多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

戦争する国にしない、NO WAR 杉並立ち上げ集会

2014年12月01日 | 集会報告
特定秘密法、原発再稼働推進と代替エネルギーつぶし、武器輸出解禁、そして集団的自衛権行使の閣議決定、第二次安倍政権の暴走は留まるところを知らない。
2014年11月15日(土)夜、阿佐ヶ谷の杉並区立産業商工会館で「NO WAR 杉並立ち上げ集会 子どもたちを戦場に送らないために・・・安倍政権NO!」という集会が開催された。
ちょうど、「アベノミガッテ解散」による総選挙の日程が固まった時期である。この集会は、「戦争はイヤだ!」という思いをいだく市民が党派を超えて集まり、杉並から政治を変えようというものである。
中野晃一さんの講演と永田浩三さんの報告を聞いた。

安倍政権は日本をどこへ導くつもりなのか
  改めて立憲主義の立場からかんがえる

       中野晃一さん(立憲デモクラシーの会呼びかけ人・上智大学教授)

●この解散はそもそもどんな解散か
解散のニュースを聞き、直感的に感じたのは、子どものころやったファミコンゲームの「リセット」である。ゲームオーバーになる前にリセットボタンを押す子どものように、選挙により「信認を得た」と言って、いろんなことをチャラにしようというものだ。
これをわたしは「DV解散」と呼んでいる。
「俺にはお前(国民)しかいない、お前を取り戻すぜ。一緒にビッグになろうぜ」と囁き、「オレが嫌いなやつと付き合うな」(嫌中、嫌韓)と周囲から孤立させる。そして憲法を勝手に壊し、薬を打とうする(原発再稼働)。「花を買ってきてやった」(消費税増税を延期した)と語り、拒みきれずヨリを戻したら最後、情報を隠し(特定秘密保護法)、情報を捻じ曲げる(NHKや朝日など)。安倍総理の政治の見方、支配の仕方はDV男にそっくりだ

●政治の二つの見方
二つの政治観がある。アリストテレスは「人間は政治的動物、ポリス的動物だ」といった。ポリスとは、人間が自然に形成する、人間にとってちょうどよい共同体の規模のことである。人間が人間らしく暮らす、自分らしく暮らす、そのための営み、会話や話し合いをして暮らし方を決めることが政治という見方だ。
もうひとつの政治観は、政治とは権力をめぐる闘争というものである。政治は「まつりごと(政事)」であり、「まつろう、まつらわす」「さぶろう、さぶらわす」「従う、従わせる」がその本質である。靖国神社は、国に刃向かった人をまつろわせた人びとをまつろう神社である。集団的自衛権はアメリカの敵をまつろわせようとするものである。さらに今回の選挙は、われわれを安倍にまつろわせ、恭順の意を表明させる儀式なのである。

●何が起きているのか
安倍のやっていることは「ナショナリスト」というより、寡頭政治、少数支配である。おじいさんが総理だったからということで総理になれる世襲政治。世襲政治家というのは国家に寄生している階級だ。
ただ、少数支配、世襲というとあまりに露骨なので「日の丸」に身を包む。中韓を敵にして、敵をつくらないとやっていけない。集団的自衛権も同じで、平たくいえばグローバル企業(たとえばキヤノン)の利益のために中東に行って殺し合いをして死ぬということだ。そんなことはだれもいやがるので、「愛国心」をあおる。
本質は少数支配なので、われわれはデモス・クラトゥス(=民衆の力)で寡頭支配に対抗しようとしている。

●どうしてこんなことになったのか
2つのことが同時に進行してきた。
ひとつは新自由主義経済で、それが経済だけでなく政治も変えた。かつて「1億総中流」といっていた時代もあったが、非正規雇用が増大し、貧富の差が拡大した。しかも貧困が深刻化し若年化している。
ただそれだけでは不人気なので「強い国家」を標榜する。これが二つ目のことだ。中国、北朝鮮、韓国、日本の北東アジアは世界のなかでも危険な地域だが、この4か国ともナショナリズムを煽っており、かつ世襲制の国だ。
これが、とくに日本では段階を追って進展している。1980年代から90年代半ばまで自由主義が進んだ。90年代後半にクラッシュが起きた。村山内閣や民主党政権が振り子のように成立したが、そのあとまた右傾化した。その際、重要なのは振り子の支点自体が右に移動したことだ。こういうふうに段階を追って右傾化している
短期的には安倍をひきずりおろすのがよい。それは不可能ではない。安倍は、「まつろえ、恭順の意を表せよ」といっているのだから、皆で「まつろわない」といえばよいのである。「安倍を信認しない」ということは大事だ。ただそれで解決するわけではない。
というのは彼らはそれなりの下積みをしている。安倍の初当選は1993年で、この年河野官房長官談話が発表され、直後に自民党は下野した。安倍の政治家人生は屈辱のスタートだった。しかもそのあと社会党・村山をかついで政権に復帰した。そこで「日本を取り戻したい」という気持ちが募った。さらに96年には中学の全社の教科書に「慰安婦」が記述され、安倍はぶちきれた。97年にバックラッシュが始まる。「つくる会」や「日本会議」ができ、安倍は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成する。「まつろいまつろわせる日本の政治が奪われた。こんなことが許されるわけがない」なんとかにじり戻ってやろうということが始まった。あんな異様な連中に、われわれは砦をひとつひとつ奪われてきてしまった。左派勢力は駆逐され、今度は中立的な立場のもの、たとえばNHK、朝日新聞、日本銀行、内閣法制局までまつろわせようとしている。

●対抗するためにどうするか
砦を一つずつ取り戻すために、どうすればよいのか。
「マジノ線メンタリティ」と決別することである。マジノ線とはナチスドイツの戦車部隊の進撃に対抗するため、フランスが構築した要塞群のことである。フランスはこれに賭けたが、ドイツ軍はこれを迂回してフランス領に侵攻した。
日本には憲法がある。憲法が「マジノ線」なので、これを落とされるときわめて脆弱な状況に陥る。9条のおかげで日本国憲法では戦争できなくなっている。ところがいったん戦争が始まると、憲法には「だれが戦争を始めるのか」「だれがどうやって終えるのか」「だれが戦争を止めるのか」「軍部をどう警戒し暴走を抑えるか」、何も書いていない。すると結局憲法を改憲せざるをえない。憲法が崩されたときにどうするかも考える必要がある。
そのために必要になるのは、アリストテレス的政治を志向する市民団体の連合体だと考える。その下作業は大変だ。リベラルと左派がどう連合できるか、多様性を維持するには、あまりに教条主義的であったり、ドグマチックだとついていけなくなる。一方、リベラルなほうはネオリベとどう対話し、どう切り崩していくかという大きな問題がある。そこを連合できず分断されている限り永遠に勝てない。皆で考えていけるとよいと思う。

このあと永田浩三さん(武蔵大学教授、元NHKプロデューサ)から「NHK,朝日新聞が危ない。安倍総理の20年にわたる執念とメディアの危機」という短い報告があった。

2014年という年は、後年振り返るとメディアが壊れた年と位置付けられるのではないか。前半はNHKが災難に遭い、後半は朝日新聞がバッシングを受けた年として。
1月26日NHKの籾井勝人新会長は記者会見で「秘密保護法は通ってしまったのだから、いまさらなにを言っても仕方がない」「政府が右というものを、左というわけにはいかない」「日本軍の慰安所のようなところは、どこにでもあった」などと公共放送のトップとして、ゆゆしき発言を行った。
2001年当時、安倍首相は内閣官房副長官だったが、NHKのETV2001の「慰安婦」問題の番組に介入し、改変させた。
今年8月5日と6日、朝日新聞は80年代の慰安婦に関する吉田証言の誤報訂正を行った。安倍総理は「傷つけられた日本の名誉を回復するため努力する」と述べたが、じつは国際的に指弾されたのは、2007年に安倍総理や高市総務大臣が作成したワシントンポストへの意見広告のせいである。しかし激しい朝日バッシングが起こった。
いま市民として何ができるか。NHK受信料を銀行振り込みにせず自宅支払にするとダメージを与えられる。また朝日とはいわないが、よき新聞を応援し続けることが大事だ。さらに「言論の自由、表現の自由」について声を上げ続けることが、結果的にメディアを強くする。

最後に「安倍政権は集団的自衛権を閣議決定した。杉並区には「平和都市宣言」があり、60年前のビキニ事件のときにはどこよりも早く、区民が核実験反対の署名運動を立ち上げた。戦争によってひとを殺し、殺されることを許してはならない。ふたたび戦争する国になってはいけない。『NO WAR 杉並』に参加し一緒になって、平和な世界を、この杉並からつくっていこう」(要旨)という呼びかけが読み上げられ、さらに定塚才恵子さんの歌が2曲(「未来へのプレゼント」「今日、卒業していくあなたへ」)披露された。
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