多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

多田謡子反権力人権賞の活動休止

2015年01月01日 | 集会報告
第26回多田謡子反権力人権賞受賞発表会が12月20日(土)午後、神田の連合会館で開催された。席上驚くべきことが発表された。26年続いてきたこの賞が、今回で最後(いったん休止)だというのである。
多田謡子弁護士が29歳で急死したのが1986年12月。住宅ローン借入のため契約した生命保険金をもとに基金をつくり、第1回受賞決定が1989年、15回までは海外1、国内2の受賞だったが資金が乏しくなり国内3となった。そして18回で資金が枯渇したが、多額の寄付を受け以降8回続いたところで再び資金がなくなった。多田さんの父・道太郎氏は2007年に亡くなり、母千恵子さんも今年(2014年)亡くなったので一つの区切りにするとのことだった。また正賞の著書「私の敵が見えてきた」の残部も少なくなったとのことだ。
今回の受賞は、川内原発建設反対連絡協議会、こるむ(在特会らによる朝鮮学校に対する襲撃事件裁判を支援する会)、袴田巌さんの2団体、1個人だった。このなかからこるむのさとう大さんの発表を中心に紹介する。

こるむ(在特会らによる朝鮮学校に対する襲撃事件裁判を支援する会)

わたしは神奈川県出身で京都の大学を卒業したが、ちょうど浪人時代の1998年に横浜駅西口でチマチョゴリの高校生を見て変わった制服だと思ったことがある。その年、テポドン騒動が起き夏以降民族服をみなくなった。その状況は今も続いている
2009年12月京都朝鮮第一初級学校を在特会(在日特権を許さない市民の会)と主権会(主権回復を目指す会)が襲撃した。これに対し、被害者(保護者や教師ら)は刑事告訴だけでなく民事訴訟を起こした。2013年10月地裁判決、2014年7月大阪高裁判決が下り、今年(2014年)12月9日に最高裁が上告を棄却し高裁判決が確定した。

こるむの活動
こるむとは朝鮮語で、歩みや肥料を意味する。民族教育の歩み、子どもたちへのこやしという思いを込めている。4年少し活動した。原告と弁護団、支援団体と弁護団の橋渡しをするのがこるむの役割だった。具体的には、裁判の報告集会開催、機関紙こるむを17号まで発刊、会議を34回行った。

裁判までの苦悩
原告のあいだには、裁判を始める前に、いまわしい事件のことは早く忘れたい、日本の司法に期待できるのか、民事に先行した刑事訴訟の事情聴取でほとほと疲弊しきっているといった声もたしかにあった。というのは在特会による刑事告訴で朝鮮学校校長が都市公園法違反で10万円の罰金刑を受けたという事情もある。長年記念式典、運動会、地域とのバザーなどを行い近隣住民とうまくやってきたにもかかわらずこの結果なので、日本社会への不信は大きかった。
また、警官は出動してもヘイトスピーチを止めたり抑制しようとはいっさいしない。そして2013年にはこうしたヘイトデモが1年で363行われ、地裁判決が出た10月以降むしろ増えている。

どんな被害があったのか
まず沈黙効果がある。「我慢したらええ」ということだ。PTSDと同じように自分がどう感じたのかいえなくなる。
次に、子どもたちは古紙回収の音や作業着姿のおとなの姿にもおびえた。夜泣きや夜尿が始まった子もいた。あるオモニ(母親)は、子どもに「朝鮮人て悪い言葉なん?」「なんであの人は怒ってるん?」「どこに帰れと言ってるの?」と質問攻めにされ、「また来るの?」という質問には、どう答えていいかわからなかった、と集会で語った。
さらに大きいのは長年培った地域とのきずなが瓦解してしまったことである。事件発生より前のことだが、地域からバザーなどの公園使用にクレームが入ったことがある。そこでバザーのちらしを持ち話をする場を設けた。そして「地域の理解をえられるようがんばってや」と激励されるまでになったのに、努力は水泡に帰した。「やっぱり朝鮮学校が隣にあるから」という目でみられるようになった。
こるむの事務局長は、裁判の目的は、ヘイトスピーチを人種差別と正すだけでなく、日本社会で民族教育を認めさせる第一歩にすることと書いた。
   
高裁判決の到達点
 人種差別撤廃条約を援用して、現行法に違反すると認定した地裁判決の1226万円の損害賠償を維持しただけでなく
在日朝鮮人の民族教育を行う学校法人としての人格的価値」
「民族教育を軸にした学校教育を実施する場として社会的評価が形成されている」
我が国で在日朝鮮人の民族教育を行う社会環境も損なわれた」
といったことばが判決に記載された。
とくに「我が国」と「在日朝鮮人の民族教育」という言葉が並んでいることに父母たちは歓喜した。これから育てていくべき判決だと考える。

こっぽんおり
わたしたちはこるむと並行して朝鮮学校を支援するため「こっぽんおり」(朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋)という会を立ち上げた。メンバーはほぼ共通である。こっぽんおりとは朝鮮語で、つぼみとか前途ある若者を指す。民族教育権の確立とヘイトスピーチの抑止が2つのテーマだ。
近隣の京都教育大学の教員にボランティアでスクールカウンセラーを引き受けてもらえる運びになっている。行政の支援を求めたい。
また新築された校舎には保健室があるが、養護の教諭がいない。民族教育の法整備が必要だ。また障碍児の進学支援の制度保証も求められる。
さらにヘイトスピーチ禁止の国内法整備や、高裁判決に見合った自治体の対応、たとえば被害調査や被害救済へも足を踏み出すべきである。

なぜチマチョゴリを着て学校に通えないのか。そういう服が街にあふれていれば、とくに子どもは色鮮やかな衣装に目を奪われる。そこからどんな歴史があるのか考える機会にもなる。多民族共生を実現するために、マジョリティとしての日本人ももっと豊かな経験が得られるだろう。在日だけでなく、日本人にとってもそういう環境が奪われている。

   袴田巌さんと姉・秀子さん
袴田巌さんは3分ほどの短いスピーチのなかで、「自白調書の任意性」について触れた。35通の調書のうち1通しか採用されなかった調書である。
お姉さんの秀子さんによれば、釈放後家に帰ってからしばらく外に一歩も出なかったのが、いまは1日2時間くらい散歩するようになった。マスコミの人などが訪ねてくると「将棋ができるか」聞いて、出来る人なら将棋を指すが、いまのところ連戦連勝しているそうだ。釈放直後は無表情だったが笑うようになった。また水戸黄門などのテレビを見、今年(2014年)は50年ぶりの紅白を楽しみにしているとのことだった。
ずいぶんお元気になられたが、「再審無罪」という大きな課題はこれからだ。

川内原発建設反対連絡協議会会長・鳥原良子さんは原発建設反対に始まる40年の歩み、とくに2009年以降の三号機建設反対と廃炉運動を語った。40年前にはいやがらせが激しかったこと、家族との板挟みで自殺者まで出したこと、当初14団体で始めたが、公明党や自治労が抜けたことなど、地方で運動を長年にわたり続ける苦心がよくわかった。
最後は「ドイツのようにベビーカーを押しながら反対運動に参加するそういう時代が日本にもくると信じて、日本中の脱原発の人たちとともに、再稼働をストップし廃炉への道をつくっていきたい」と締めくくった。

☆運営委員会の辻恵さんが「今回の総選挙結果も踏まえ、来年5月には集団的自衛権の国内法整備も国会で審議され、長期政権が続けば2-3年後に憲法改正の動きが浮上するだろう」と述べていたが、そういう情勢なのでいつかこの賞の中断が解けて再開できる日がくるとうれしい。
☆いまから5年前の12月、朝鮮学校襲撃事件から10日ほど後「緊急報告会」が飯田橋で行われた。このとき正面玄関には、日の丸や海軍旗を10本近く立てた在特会のメンバー30人ほどが押し寄せたことを覚えている。5年もたってからだが、こんないい判決が確定し、その点はよかった。
2014年は袴田さんの釈放とも合わせ、少しはよいことがあった年だった。
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