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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

60万回のトライ

2014年11月03日 | 映画
10月11日(土)夜、大阪朝鮮高級学校ラグビー部を描いたドキュメンタリー映画「60万回のトライ(監督:朴思柔、朴敦史 コマプレス 106分)を枝川の東京朝鮮第二初級学校(枝川朝鮮学校)で見た。

枝川で見た意味は大きい。朴思柔(パク・サユ)監督は、韓国の放送局の海外レポーターだったが、来日してすぐのころこの学校を訪問し、韓国の学校と異なりこれほど先生方が生徒のために一所懸命にやっている姿に感動しニュースをつくったという。
東京朝鮮第二初級学校は1946年開校、2003年に東京都が土地明け渡しを求めて提訴した(枝川裁判)。裁判の末、07年にカンパなどで集めた金で幼稚を買収するという和解が成立した。その後、新しい校舎も2011年4月に竣工した。
映画は、一言でいえばラグビーの青春映画である。

映画は2010年1月大阪朝鮮高校が花園の全国大会でベスト4に入ったところから始まる。4月に新しいチームができる。キャプテンはプロップの金寛泰(キム・ガンテ)、副キャプテンはセンターの金勇輝(キム・ヨンヒ)である。
決勝まで進出した春の全国高校選抜、オーストラリア、イングランドなどと対戦した連休のサニックスワールドラグビーユース交流大会、夏休みの菅平合宿、秋の府予選、そして年末の全国大会、ベスト4まで勝ち上がるが桐蔭学園(神奈川)に敗北。さらに1月下旬の高校選抜チームとの友情試合。「ハナ・ミドゥム・スンリ」(ひとつ、信じる、勝利)をモットーに戦う高校生チーム、主力選手2人の故障による危機、女子マネの活躍。さらに家族や親せきがそろう一大イベントの運動会、帰国した大叔父に面会したり絶叫マシンに乗った北朝鮮への修学旅行、などのエピソードも織り込まれる。
しかしそれだけではない。舞台は朝鮮高校なのだ。在日の歴史、学校の歴史、在日コミュニティの拠点としての学校<ウリハッキョ>、花園からわずか1キロ北西の距離なのに公式戦にも出られなかった差別の歴史、その典型である高校無償化からの排除、記者会見での金寛泰の「ノーサイド」精神を引用したスピーチ、橋下徹府知事による補助金凍結、これらが映画のたて糸になっている。応援席に広げられた「叶えよう60万同胞の願い!」の横断幕は感動的だった。
構成もなかなかしっかりしていた。エピローグは、卒業から2年後の2013年2月の成人式パーティだった。彼らの多くは、関西学院、法政、帝京などの大学ラグビー部の部員になっていた。3年もかけて撮ったドキュメンタリーだからこそ、できたことである。
スタッフとして数々の有名な人が協力している。ナレーションは根岸季衣、わたくしはここ数年ピース・リーディングでみている。音楽は大友良英、あまちゃんのテーマに似たブラスバンドの音楽が流れていた。プロデューサーは元NHKの永田浩三と岡本有佳である。

朴思柔監督(左)と共同監督の朴敦史さん
上映後、朴思柔監督と共同監督の朴敦史(パク・トンサ)さんの話を聞いた。
朴思柔さんは、枝川のあとウトロ(宇治市)の強制立退きを報道し、自分もウトロに住み込んだ。地域の人に支えられながら乳がんの闘病生活を送る。そして大阪朝鮮高校のグラウンド裁判のニュースを発信し、この学校とのつながりができた。2009年暮れ監督に一本の電話が入った。「あの子たちがすごいことをやった!早く花園に来なさい」というものだった。残念ながら準決勝で敗れたが、このクラブのことを映画にしようとした。しかし1位になればニュースにしてやる、といわれ頓挫する。そこで自力で映画を撮ることにした。
一方、朴敦史さんは、日本生まれの在日3世、朝鮮学校ではなく日本の学校に通い、本人の言葉によると「孤立した在日」だった。書店の店員として働いていたが、あるときウトロにビデオを持っていき撮影をはじめたときにたまたまフレームに入ったのが朴思柔さんで、ウトロの人びとのこと、韓国のこと、民主化のことなど、いろいろ語り合った。その1年後に映画作りに誘われ、コマプレスを立ち上げた。

この映画は9月18日から韓国の76の映画館でも公開が始まった。初日に2000人、1週間で1万人の観客を集めたが、これはインディペンデント映画としては記録的なことだそうだ。韓国では、在日や朝鮮高校についてあまり知られていない。たとえば上映会で「なぜ修学旅行の行先はなぜ北朝鮮なのか」という質問が上映後の質疑応答で出る。「学校をつくるときに、北にも南にも日本政府にも声をかけたが、お金を出してくれたのは北だった」「朝鮮籍(韓国籍を選択しなかった在日の人が1952年のサンフランシスコ講和条約以降、朝鮮籍となった)の人は韓国に入国できない」といった在日事情を答えるととても驚くそうだ。
さて韓国上映にあたり、元・マネジャーの金玉姫(キム・オッキ)と元・フッカーの黄尚玄(ファン・サンヒョン)がボランティアで手伝った。そして黄尚玄はいまは焼肉店の正社員だが、韓国のラジオ番組にゲスト出演し、「俳優になりたい」といってさらに人気が出たそうだ。

☆以前、枝川に来たのは「パッチギ! LOVE&PEACE(井筒和幸監督 2007)をみた2007年秋だった。もう7年も前のことになる。そのころはもちろん旧校舎だったし、もっと小さい学校だった印象が残っている。

☆上映前にスタッフのリボンを着けた男性をみかけたので、地下鉄・木場までの行き方と時間を聞いてみた。しかし「地元のものではないので・・・」と恐縮がちの返事だった。あとで気付いたのだが、その人は朴敦史さん本人だった。そんなことならサインしてもらえばよかったのだが・・・。
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