あまりにもタイミングが遅くなったが、このままではボツ原稿になりそうなので、今年7月10日投票の参議院選の記事を記録のために残しておく。
選挙結果は、予想どおり、立憲民主が改選前と比較し-6の大敗、自民が+8,維新が+6、そのため改憲勢力が衆参ともに改憲発議に必要な2/3を越えた。
とくに全国の1人区32選挙区のうち、立憲野党が獲得したのは3(沖縄、長野、青森)のみ、山形の国民民主を入れても4しか取れなかった。これは連合・芳野友子路線の「成果」としかいいようがない。
ただし東京選挙区だけみれば3対3のイーブン、投票率も56.55%(全国3位)、2019参院選比で+4.78ポイント(全国は+3.25ポイント)となった。全国が東京のようになってくれるとよいのだが・・・。
東京新聞7月11日(右)と12日の紙面
細かいところでは、立民だけでなく、共産-2,国民民主-2と議席を減らした。とくに共産の議席減と比例の得票数が448万から361万へ減らしたのは理由がわからない。逆にれいわが+3で代表演説もできることなったことは喜ばしい。また東京・京都などで維新が思ったほど伸びなかったことはよかった。ついでながら公明も現職を1人落し-1だった。これも理由がわからない。要注意は、参政党の初議席獲得とNHK党の2議席確保だ。とくに参政党は全選挙区で立候補を実現、来年の統一地方選にも出ると公言している。
議員個人でいうと、社民・福島みずほ、立民・辻元清美、沖縄の風・伊波洋一もともに当選できた。逆に立民・白真勲、有田芳生(比例)、森裕子(新潟)の落選は残念だ。
なお投票率でいうと、若年層の低投票率は相変わらずで、18歳38.6%、19歳30.3%、20代30.9%と、日本の将来が危ぶまれる。また期日前投票はさらに増え、全国で有権者の15%に当たる1612万人。東京では18%に当たる212万人なので、全投票者の3人に1人は期日前投票したことになる。
政権交代という点に焦点を合わせると、連合・芳野友子路線をなんとかしないことには何も始まらない。立民執行部へ各地の市民が要望を送っていることは知っている。それに加え、労働組合ナショナルセンターとはいえ連合に、市民から要望を送る時期に来ているのではないか。もちろん組合運動全般への意見ということではなく、連合の政治運動・選挙活動に限定し、「憲法9条を守るため、いまの方針を見直してもらえないか」というような「控えめ」呼びかけの市民運動だ。
なお連合は力が強いとはいえ、今回の選挙で121議席中、組織内候補の当選は立民で5、国民で4に過ぎない。しかも国民のパナソニック出身(電機連合)の現職まで落選させている。9人を多いとみるか少ないとみるか、という問題もある。
改憲勢力にとって「黄金の3年」ともいわれるが、安倍亡きあと、自民内部の抗争で総選挙がもっと早くなると可能性もある。その間にやるべきことをやらないと、再び今回のようなことが起こりそうだ。
自分のことでは、昨年の衆議院選は事情があり見送りだったが、今回は各種ボランティア活動を行った。選挙はもともとわたしにとっては年に1度あるかないかの「お祭り」だった。はじめて参加したのは、三悪都議の一人土屋敬之をなんとか落選させたいと、2005年に板橋の都議選の手伝いをしたのが始まりだ。
今回は東京地方区のれいわ・山本太郎候補の運動を手伝った。告示の2週間前から近所へのポスティングを開始、累計2800部入れた。もっとも単なるポスティングに過ぎないので、ポストから取り出しそのままゴミ箱に直行が少なくとも1/3はあるはずだ。
なお告示後、確認団体チラシも事前ポスティングとは違う地域に1000枚入れたので累計3800になる。わたしにとっては最高記録だ。
告示4日前の土曜日、新宿に公示ポスターの受取に行った。それがわかりにくい場所で、ビルそのものは発見できたが入口がわからず、同じように事務所を探している人と2人で彷徨った。
やっと会場に到着したが部屋の入口がわからない。受付のような女性がいたので、聞いてみたが「この部屋ではない」と言われる。そんな「難民」が多数だったので、さぞ迷惑だっただろう。
会場内はもちろん立ち席だが満員、一発で新型コロナ感染急拡大しそうな盛況だった。2007年7月、川田龍平が無所属で立候補し初当選を果たしたときの熱気を思い出させた。
すでに分担地域は決まっており、5地域28枚、はじめて貼るところが3地域15枚あった。
そこで前日に下見に行った。どうしてもわからないところが1カ所あり、選管に聞いてみた。驚くべきことにその掲示場は工事の進展とともに使えなくなり、設置場所を変更したという。わたしは知らなかったが、ポスター掲示場設置場所の告示というものがあり、たまたま電話をした前日が告示日で、新しい場所を教えてくれるとのことだったので選管に出向き、そのあと現地確認にもいった。
掲示番号の抽選は9時からと以前聞いたが、これも驚くべきことに9時前にナンバーの連絡が入った。早くスタートできたのと、何とか雨に降られなかったので12時半ころ作業を終了できた。
まっさらの掲示板に一番乗りでポスターを貼るのはやはり気分がよい。10時前後から自民、公明、10時半ころから幸福実現党、くにもり、11時前後から社民、乙武、立民、こども、維新、ファースト、12時ころ共産、午後に参政とだんだん数が増えていったが、初日に貼れたのは立候補者34人のうち半分くらいだった。
自民党のおじさん2人組と屈強そうな青年には会ったが、今回は公明の人には出会わず。たまたまだったのかもしれないが、今回は共産が出遅れていた。はじめて幸福実現党のおとなしそうな青年に出会った。
昼前後の時間には昼食に出るサラリーマンが増えたが、せいぜい「そうか、参議院選が始まるのか」という程度の関心で、れいわに注目してくれたのは「あっ、山本太郎だ」といってくれた若い女性1人だけだった。
週明けには、比例で立候補している人の公選ハガキの住所シールと証紙貼りのボランティアに行った。いつものように情報交換しつつの楽しい作業だが、数が膨大でかつこちらは手先が不器用で作業スピードが遅く、4時間くらいで疲れ切ってしまった。
新橋駅前街宣の長谷川ういこ候補
7月1日(金)、はじめて街宣のボランティアで新橋に行く。この場所には数年前一度立ったことがあり、偶然学生時代の旧友に出会った記憶がある。まず準備作業としてリーフの「折り」と50枚1セットにまとめる仕事。その後、以前よりもう少しステージに近い場所に立ち、腕章が来るまでは確認団体チラシ、来てからは証紙付きリーフを撒いた。昔と違い、街頭でのチラシは受け取らないのがデフォルトになっているので受取は悪い。
れいわはフェスという位置づけなので、かなり長く大道芸(ジャグリング、輪投げ、ローラーバランスなど)をやっていた。その後3組ほどバンドの演奏があり、京都の長谷川ういこと大阪の大石あきこのスピーチがあった。長谷川のスピーチは内容が充実しており、大石は客を惹きつけるスピーチだった。ちゃんと維新批判もしていた。「維新の身を切る改革の正体は、皆さんの身を切ることであって、自分たちの身や懐は温めると、そういう方々なんです。「維新と山本太郎どっちしようかな?」みたいな人、間違わないでください」としっかりアピールしていた。いままでは山本1人だったが、大石と立派な二枚看板になっていた。
続いて7/6(水)有楽町街宣へ。ステージ設置も一度手伝ってみたいと、がんばって1時間前に到着した。しかし音響機器関係は関係者のみだし、普通の幟旗設置やテープの線引きも、どうやら専属スタッフがいるようで、結局いつものように確認団体チラシ撒きしかできなかった。早く着いたので腕章を借りられたため15分前ころから山本チラシを撒く。
熱心なファンもいて、1時間前からから待っている人もいた。
最終9日には新宿駅南口へ。前日、奈良でアベ襲撃があったせいもあるからか、フィナーレの時間・場所は公表されなかった。おそらく新宿駅西口か南口だろうと予測し、夕方新宿に向かった。地下広場の向かって右に立民・辻元(ただし本人は大阪)、左で福島みずほが街宣していた。ずいぶん疲れた表情だった。
れいわのボランティア会場を訪ねたが、例によってフロアがどこかわからない。ビル管理会社に電話してやっとわかった。しかしやはり街宣の時間・場所は教えてもらえない。
仕方がないのでしばらく電話入れを手伝った。4年くらい前までは電話入れが、わたしのメインのボランティア作業だった。冒頭に書いたように期日前投票が増え、また携帯使用者が多く電話帳に電話番号を公表する人がますます減っているので、最終日に電話入れなどやっても仕方ないと、ここ数年電話入れ作業から離れていた。
こちらにとっては時間つぶしのような作業だったが、おそらく電話帳の板橋の番号に60本ほど電話入れをした。つながったのは1/3ほど、土曜の夕方としては、結構つながったほうだと思う。ガチャ切りは3-4本だけだったので、比較的よく聞いていただけた。たまにはいい反応もあり、途中で楽しくなってきた。
19時前になり新宿駅西口から南口に回った。西口の地上では共産党が街宣していた。南口の北側改札ではこどもの党・さいき陽平候補がひとりで頑張っていた。南側改札で予想どおり、れいわのファンたちの集団を発見した。20時の拡声器使用時間以降も、ツーショット写真を撮る希望者の長蛇の列が続いた。
れいわには全国に固定ファンがいることは確かだ。今回東京・沖縄で得票率6%台だっただけでなく、全国平均でも4.3%取れている。来春の統一地方選でも一定の当選者は出るだろう。しかし、かつての期待感、熱気はなくなったように感じる。
今年4月ごろフレンズやオーナーズ(一般の政党では党員)をつくったころから、体制(かたち)は整いつつあるが、一般市民から遠くなりつつあるようにも思える。そういえば、ボランティア・センターで責任者のような役をしていた方は、かつては市議や元市議が多かったが、今回は一般市民が中間管理職のような役をしていて、そのせいもありギスギスしていたように感じた。つまり政党としてのステージが一段上がる過渡期にあるように感じる。今後どうなるかわからないが、一般市民ボランティアとしては、そろそろ離れる潮時かもしれない。
フィナーレの新宿南口・山本代表
選挙後、安倍・自民党と旧統一教会の密接な関係がクローズアップされた。その件で選挙中の6月26日NHKの日曜討論でN党幹事長の黒川敦彦氏が言っていたことを思い出す。「番組の趣旨に沿って話してほしい」「個人名は出すな」という司会・伊藤雅之解説委員の制止に抗し、「おじいちゃんの岸氏以来の関係をもう一度洗い直してはいかが」と発言し「ここで一節」とYMCAにも似た手振りをつけながら「おじいちゃんの代からCIA」と歌った。いま思えばあれはCIAの文字だった。
黒川氏は、モリカケの加計学園獣医学部がある今治の人で、モリカケ問題を熱心に追及していた。N党に入った理由はまったくわからないが、あのときテレビで訴えたことは事実であったことが、いまになってわかった。
☆恒例の一人打ち上げ、今回は、つるかめでも岐阜屋でもなく西口思い出横丁「養老乃瀧 新宿西口店」にいった。30代のころにはときどき訪れた店だ。一時なくなったと思っていたが勘違いだったのかもしれない。日本酒と焼酎お湯割りはいつものとおり、イワシの刺身、白菜キムチ、焼きおにぎりを注文した。
この店も、客もスタッフも周辺の店と同じく国際化していた。ママさんも何か国語か、聞き話せるようで、お勘定のとき客と会話していた。
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