11月7日(日)午後、薄曇りだがそれほど寒くはない気温のなか、日比谷野外音楽堂で全国労働者総決起集会が開催された(主催者発表 参加5900人)。この集会は1998年に、港合同(全国金属機械労働組合港支部)、関西生コン(全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部)、動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)の3労組の呼びかけで、闘う労働組合の全国ネットをつくることを目指し始まった。チケットを送ってくださった方がいたので、わたくしは初めて参加した。
会場内には色とりどりの旗が林立し、太鼓、笛、タンバリン、鈴など鳴り物が響くにぎやかな集会だった。参加者は、近くに婦人民主クラブ全国協議会や東京医労連青年部が座っていたせいもあるのだろうが、意外に女性が多かった。また小学生や幼稚園の子どもを連れたファミリー、車いすや杖の高齢者、障害者の姿も見られた。舞台裏には託児所まで用意されていた。かわいい外人の3人姉妹を見かけた。彼女たちはクルド人難民と家族の在留特別許可を求める署名活動の当事者だった。
3時間で33人もの方のスピーチがあった。なお「取材、撮影は許可制」とあったので緑のリボンをもらって撮影した。
今年の集会のポイントは2つあった。1つは国鉄1047名解雇の4・9和解を認めず、あくまでも解雇撤回を求めて、全国的な運動をつくりあげることであり、もうひとつは7月から4か月もの長期にわたるストを貫徹している関西生コンの活動報告である。
わたくしは関西生コンのストのほうを中心に紹介する。集会では時間の関係もあり10分のスピーチしかなかったので、まず四トロ同窓会二次会のbbsに7月30日から10月20日まで12回にわたり連載中のレポートの記事を引用させていただき、背景を説明する。
生コンはセメント、骨材(砂利など)、混和材を原材料として生コン工場で製造され、(大阪では)広域生コン協同組合を通して販売店(住商セメント、丸紅セメント資材、三菱商事建材など)からゼネコンなど建設業者に販売される。業界周辺にはセメントメーカーからタンクローリー車でセメントを生コン工場に輸送するバラセメント輸送業者、生コンを建設現場で打ち込むときポンプ圧送する生コン圧送業者がいる。セメントメーカー、一部の販売業者、ゼネコンを除くと中小零細企業が多い。
建設業は公共工事の減少に加え、リーマンショックに端を発する不況で民需も激減した。09年度の投資額は42兆円、10年度見通しは37.7兆円とピーク時の42%に縮小し、建設労働者は685万人から500万人、建設業者数は60万社から50万社に減少した。これにともない、生コン出荷量は09年度にはピーク時の45%の8950立方メートルとなった。供給能力を調整するため全国生コンクリート工業組合・協同組合連合会は09年5月、3900工場の内1200工場(全国の1/3)を5ヵ年で集約・廃棄する方針を決定し、今年、その第一弾として大阪広域生コン協組は全体の1/4に当たる26工場を廃棄・集約した。
一方、関西の建設業界ではスーパーゼネコンのうち大林組、竹中工務店が強く、とくに竹中と住商セメントが大量のセメントを安値で買いたたく構図ができ上がっていた。
今年4月の春闘は決着せず、6月27日に「生コン関連業界危機突破!総決起集会・デモ」が開催され、経営21団体966人、労働9団体1206人が参加して、適正価格である18,000円/立方メートルの確保を決議した。
そして7月2日連合交通労連生コン産労、全港湾大阪支部、関西地区生コン支部の3組合がストに突入、12日には近畿コンクリート圧送労働組合がストに加わった。その結果、セメントの輸送が止まり、建設現場には生コンが供給されず、ポンプ圧送車は現場に現れず、大阪府をはじめ近畿一円で工事が止まる事態が発生した。
そして7月23日以降、適正価格に応じたところから大阪広域生コン協組が選別出荷を西海し、8月には鹿島をはじめスーパーゼネコンも値上げを呑むようになった。しかし竹中工務店などスーパーゼネコンのなかには文書では値上げに同意しても、支払いをしない企業があるので、監視のためストは続いている。
●高英男・関西地区生コン支部副委員長の報告
関西地区生コン支部は7月4日にストに突入し、5か月たったいまも継続している。この間、9月下旬に、ストの大きな目的であった生コン価格値上げに頑強に抵抗し続けた大手の竹中工務店と大林組が値上げに同意した。そこで大阪広域生コン協組が扱うすべての物件で値上げが実現した。
ではなぜストを継続しているか。竹中・大林のような大手でも約束を守らないからだ。文書では値上げに同意しても、支払い時に値切ってくることがたびたびあった。ちゃんと支払いをするかどうか監視するためストを継続している。
しかし大きな山場は越えた。11月17日(水)に3労組の交渉が予定され、そこで賃上げが決定すれば闘争は収束する。
今回の闘争の特徴を説明する。まず、なぜここまで闘わざるをえなかったのか。不況で出荷は激減し、そのなかで仕事を取るため価格は暴落した。生コン業界はもともと中小零細企業が多く、このままでは間違いなく100社以上が倒産する。座して死を待つか、それとも立って闘うか追い詰められ、今年6月27日に決起集会を開いた。組合員1200人に加え、経営側が1000人参加する画期的な集会となった。経営側も出荷拒否することになり、実質的にストに参加することになった。セメント輸送や現場での圧送まで含めれば300社に影響が及ぶ。
3労組の組織率は3割に満たないのに、なぜこんな多くの企業に影響が及ぶ闘いを組織できたのか。簡単である。われわれが掲げる要求が労働者、経営の要求と合致したからだ。少数でも、現場にとって切実な要求を掲げれば、多くの人が共鳴できることが証明された。
集会の前に、アメリカの運輸労働者連帯委員会(TWSC)教宣部長のゼルツァーさんから労働者階級の反応について質問を受けた。労組は無反応だった。しかし労働者は暖かい支援をしれくれた、最初に支援物資を送ってくれたのは千葉動労だし、いちはやくスト支援の表明をしてくれたのは港合同だった。この集会はもともと国鉄闘争を支えようと、港合同と関西支部が支援したことから始まった。動労千葉は官公労、港合同は大阪という地域に根を張る組合、関西生コンは産別組合である。こうした特徴をもつ組合が10年を超えて継続的に闘っている。闘う労組は、たとえ人数が少数でも、原則的な闘いをすれば多くのものに確信を与えることをこのストではっきりさせることができた。
11月、12月には勝利報告できる闘いにすることを約束し関西からの報告を終わる。
関西生コンの報告以外では、今年9月に雇い止め解雇を阻止した東京武蔵野病院(板橋区小茂根)での医労連精研支部の報告、間違いだらけの基準による「最優秀」から「最も無能」までの教員のランク付けがインターネットで公表され、自殺者まで出しているという公立小学校教員でUTLA(ロサンゼルス統一教組)中央委員の報告が印象に残った。
わたしは参加していないが、このあと、銀座、東京駅を経て常盤橋公園までデモが行われた。
☆関西での大規模なストというと、わたくしは1921年の神戸の三菱、川崎の争議を思い出す。7月8日にスト(罷業)に突入したが、1か月後の8月9日労働者側は敗北宣言を発表して終わった。陸軍・姫路第十師団の一個大隊や抜刀する警官隊まで現れ、死者も出た。21世紀の現在、やっと労働者がストで勝利する日が訪れようとしている。
会場内には色とりどりの旗が林立し、太鼓、笛、タンバリン、鈴など鳴り物が響くにぎやかな集会だった。参加者は、近くに婦人民主クラブ全国協議会や東京医労連青年部が座っていたせいもあるのだろうが、意外に女性が多かった。また小学生や幼稚園の子どもを連れたファミリー、車いすや杖の高齢者、障害者の姿も見られた。舞台裏には託児所まで用意されていた。かわいい外人の3人姉妹を見かけた。彼女たちはクルド人難民と家族の在留特別許可を求める署名活動の当事者だった。
3時間で33人もの方のスピーチがあった。なお「取材、撮影は許可制」とあったので緑のリボンをもらって撮影した。
今年の集会のポイントは2つあった。1つは国鉄1047名解雇の4・9和解を認めず、あくまでも解雇撤回を求めて、全国的な運動をつくりあげることであり、もうひとつは7月から4か月もの長期にわたるストを貫徹している関西生コンの活動報告である。
わたくしは関西生コンのストのほうを中心に紹介する。集会では時間の関係もあり10分のスピーチしかなかったので、まず四トロ同窓会二次会のbbsに7月30日から10月20日まで12回にわたり連載中のレポートの記事を引用させていただき、背景を説明する。
生コンはセメント、骨材(砂利など)、混和材を原材料として生コン工場で製造され、(大阪では)広域生コン協同組合を通して販売店(住商セメント、丸紅セメント資材、三菱商事建材など)からゼネコンなど建設業者に販売される。業界周辺にはセメントメーカーからタンクローリー車でセメントを生コン工場に輸送するバラセメント輸送業者、生コンを建設現場で打ち込むときポンプ圧送する生コン圧送業者がいる。セメントメーカー、一部の販売業者、ゼネコンを除くと中小零細企業が多い。
建設業は公共工事の減少に加え、リーマンショックに端を発する不況で民需も激減した。09年度の投資額は42兆円、10年度見通しは37.7兆円とピーク時の42%に縮小し、建設労働者は685万人から500万人、建設業者数は60万社から50万社に減少した。これにともない、生コン出荷量は09年度にはピーク時の45%の8950立方メートルとなった。供給能力を調整するため全国生コンクリート工業組合・協同組合連合会は09年5月、3900工場の内1200工場(全国の1/3)を5ヵ年で集約・廃棄する方針を決定し、今年、その第一弾として大阪広域生コン協組は全体の1/4に当たる26工場を廃棄・集約した。
一方、関西の建設業界ではスーパーゼネコンのうち大林組、竹中工務店が強く、とくに竹中と住商セメントが大量のセメントを安値で買いたたく構図ができ上がっていた。
今年4月の春闘は決着せず、6月27日に「生コン関連業界危機突破!総決起集会・デモ」が開催され、経営21団体966人、労働9団体1206人が参加して、適正価格である18,000円/立方メートルの確保を決議した。
そして7月2日連合交通労連生コン産労、全港湾大阪支部、関西地区生コン支部の3組合がストに突入、12日には近畿コンクリート圧送労働組合がストに加わった。その結果、セメントの輸送が止まり、建設現場には生コンが供給されず、ポンプ圧送車は現場に現れず、大阪府をはじめ近畿一円で工事が止まる事態が発生した。
そして7月23日以降、適正価格に応じたところから大阪広域生コン協組が選別出荷を西海し、8月には鹿島をはじめスーパーゼネコンも値上げを呑むようになった。しかし竹中工務店などスーパーゼネコンのなかには文書では値上げに同意しても、支払いをしない企業があるので、監視のためストは続いている。
●高英男・関西地区生コン支部副委員長の報告
関西地区生コン支部は7月4日にストに突入し、5か月たったいまも継続している。この間、9月下旬に、ストの大きな目的であった生コン価格値上げに頑強に抵抗し続けた大手の竹中工務店と大林組が値上げに同意した。そこで大阪広域生コン協組が扱うすべての物件で値上げが実現した。
ではなぜストを継続しているか。竹中・大林のような大手でも約束を守らないからだ。文書では値上げに同意しても、支払い時に値切ってくることがたびたびあった。ちゃんと支払いをするかどうか監視するためストを継続している。
しかし大きな山場は越えた。11月17日(水)に3労組の交渉が予定され、そこで賃上げが決定すれば闘争は収束する。
今回の闘争の特徴を説明する。まず、なぜここまで闘わざるをえなかったのか。不況で出荷は激減し、そのなかで仕事を取るため価格は暴落した。生コン業界はもともと中小零細企業が多く、このままでは間違いなく100社以上が倒産する。座して死を待つか、それとも立って闘うか追い詰められ、今年6月27日に決起集会を開いた。組合員1200人に加え、経営側が1000人参加する画期的な集会となった。経営側も出荷拒否することになり、実質的にストに参加することになった。セメント輸送や現場での圧送まで含めれば300社に影響が及ぶ。
3労組の組織率は3割に満たないのに、なぜこんな多くの企業に影響が及ぶ闘いを組織できたのか。簡単である。われわれが掲げる要求が労働者、経営の要求と合致したからだ。少数でも、現場にとって切実な要求を掲げれば、多くの人が共鳴できることが証明された。
集会の前に、アメリカの運輸労働者連帯委員会(TWSC)教宣部長のゼルツァーさんから労働者階級の反応について質問を受けた。労組は無反応だった。しかし労働者は暖かい支援をしれくれた、最初に支援物資を送ってくれたのは千葉動労だし、いちはやくスト支援の表明をしてくれたのは港合同だった。この集会はもともと国鉄闘争を支えようと、港合同と関西支部が支援したことから始まった。動労千葉は官公労、港合同は大阪という地域に根を張る組合、関西生コンは産別組合である。こうした特徴をもつ組合が10年を超えて継続的に闘っている。闘う労組は、たとえ人数が少数でも、原則的な闘いをすれば多くのものに確信を与えることをこのストではっきりさせることができた。
11月、12月には勝利報告できる闘いにすることを約束し関西からの報告を終わる。
関西生コンの報告以外では、今年9月に雇い止め解雇を阻止した東京武蔵野病院(板橋区小茂根)での医労連精研支部の報告、間違いだらけの基準による「最優秀」から「最も無能」までの教員のランク付けがインターネットで公表され、自殺者まで出しているという公立小学校教員でUTLA(ロサンゼルス統一教組)中央委員の報告が印象に残った。
わたしは参加していないが、このあと、銀座、東京駅を経て常盤橋公園までデモが行われた。
☆関西での大規模なストというと、わたくしは1921年の神戸の三菱、川崎の争議を思い出す。7月8日にスト(罷業)に突入したが、1か月後の8月9日労働者側は敗北宣言を発表して終わった。陸軍・姫路第十師団の一個大隊や抜刀する警官隊まで現れ、死者も出た。21世紀の現在、やっと労働者がストで勝利する日が訪れようとしている。