世田谷パブリックシアターで井上ひさしの「ロマンス」(こまつ座&シス・カンパニー」をみた。
ボードビルを愛するアントン・チェーホフの評伝がテーマである。
ここでいうボードビルはアクロバットや踊りを組み込むアメリカン・ボードビルではなく、唄も入った面白い芝居、ヨーロピアン・ボードビルである。
パリからやってきたボードビル一座をこっそりみた少年チェーホフはボードビルの虜になる。モスクワ大学医学部に入学した青年チェーホフはボードビルを書き始めるが、世間のほめことばに合わせて「ブンガクブンガクした小説」を書くようになった。
モスクワ郊外メリホヴァに広大な領地を手に入れた壮年チェーホフは、最下級役人、14等官の遺書から人間にとっての笑いの重要性を発見する。
「ひとはもともとあらかじめその内側に苦しみをそなえて生まれ落ちるのです。けれども笑いはちがいます。笑いというものは(略)ひとが自分の手で自分の外側でつくり出して、たがいに分け合い、持ち合うしかありません。」
壮年チェーホフは短編小説の名手として名をなしたが何か物足りない。
「少年時代のあの夢はどこへ消えてしまったんだろう」
「カモメ」「ワーニャ伯父さん」の大成功で劇作家としても有名になったチェーホフは女優オリガのアドバイスもあり、ボードビルとして「三人姉妹」を書く。しかし晩年チェーホフはスタニスラフスキーの演出をみて「お涙チョウダイのおセンチな抒情劇にしてしまった」と、気に入らない。
死の1年前に書いた「桜の園」の演出も「あれがぼくの『桜の園』ですか。ぼくは人生を書いているのです。うんざりするようなめそめそした生活ではありません」と散々な感想を抱いた。
失意のなかでも晩年チェーホフは、肺結核が腸へ転移した発作に対し「笑えばおさまる」「いつもの物真似のトンプク薬ね」と、妻オリガのトルストイの物真似に二人で舞台を笑い転げる。
劇中歌「やるせない世界をすくうものはなにか(略)わらう、わらい、わらえ それがひとをすくう」。この歌詞はこの芝居の中心テーマであると同時に井上の戯曲哲学なのだと思う。
最後の場面、モスクワ行きの急行列車の4人がけ個室で晩年チェーホフがみた夢はそのまま遺言になっている「印税で少年時代過ごしたタガンローグの市立図書館に年に100冊、青年時代に働いたサハリンの小学校へ絵本を年に100冊、壮年時代に暮らしたロバースニヤの公立病院付属図書館に年100冊、モスクワ大学医学部図書館にロシア医学史の資料を購入するために年1000ルーブリ寄付してほしい」
ちょっと「イーハトーボの劇列車」の客室を思い起こさせる幻想的な情景だった。
主要登場人物はチェーホフ4人(少年、青年、壮年、晩年)と妹マリア、女優で妻のオリガの計6人だが、その他警官、医師、弁護士、老婆、ボーイ、スタニスラフスキー、トルストイなど15ほどの役がある。それをすべて6人でこなしてしまう。
井上の古い芝居「雨」「日本人のへそ」にはずいぶん多くの役者が登場した。しかし、今回のような構成にすれば役者の数を減らすことができることがわかった。1人で何役もこなすのだが、わたくしは大竹しのぶがすばらしいと思った。大竹を初めて舞台でみたのは「虎―野田秀樹の国性爺合戦」(94年日生劇場)だったと思う。このときは「この人はテレビや映画はよいけれど、舞台はちょっとなあ」という感想だった。ところが「太鼓たたいて笛ふいて」(2002年)の和服の林芙美子役のときにすっかり見直した。そして今回である。リウマチの老婆、自殺した14等官の未亡人、たばこ売り娘のオリガ、トルストイの物真似をするオリガなど、「夢の泪」(2003年 新国立劇場) の三田和代に迫る演技だった。ホップ、ステップの次を期待したい。
マリア役松たかこはあんなに歌がうまいとは思わなかった。また井上芳雄は芸大声楽科出身なので歌がうまいのは予想していたが、演技も溌剌としていて好感が持てた。今後も、井上芝居で活躍してほしい。
その他の男優陣も手堅い演技だった。
こまつ座の音楽芝居では、ピアノ朴勝哲、歌唱指導・宮本貞子がお決まりだったが後藤浩明と伊藤和美のコンビもいいなあと思った。また前田文子のロシア衣装もよかった。
場の転換にムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」のなかの1曲「リモージュの市場」を、テンポを2倍以上落としてピアノで弾いていたが、間奏曲のような効果を上げていた。
☆1月の「わたしはだれでしょう」に落胆したので、今回は開演1ヶ月後に観劇した。それが大成功。今後は井上の初演はこのくらい間隔をとってからみるようにしようと思った。
ボードビルを愛するアントン・チェーホフの評伝がテーマである。
ここでいうボードビルはアクロバットや踊りを組み込むアメリカン・ボードビルではなく、唄も入った面白い芝居、ヨーロピアン・ボードビルである。
パリからやってきたボードビル一座をこっそりみた少年チェーホフはボードビルの虜になる。モスクワ大学医学部に入学した青年チェーホフはボードビルを書き始めるが、世間のほめことばに合わせて「ブンガクブンガクした小説」を書くようになった。
モスクワ郊外メリホヴァに広大な領地を手に入れた壮年チェーホフは、最下級役人、14等官の遺書から人間にとっての笑いの重要性を発見する。
「ひとはもともとあらかじめその内側に苦しみをそなえて生まれ落ちるのです。けれども笑いはちがいます。笑いというものは(略)ひとが自分の手で自分の外側でつくり出して、たがいに分け合い、持ち合うしかありません。」
壮年チェーホフは短編小説の名手として名をなしたが何か物足りない。
「少年時代のあの夢はどこへ消えてしまったんだろう」
「カモメ」「ワーニャ伯父さん」の大成功で劇作家としても有名になったチェーホフは女優オリガのアドバイスもあり、ボードビルとして「三人姉妹」を書く。しかし晩年チェーホフはスタニスラフスキーの演出をみて「お涙チョウダイのおセンチな抒情劇にしてしまった」と、気に入らない。
死の1年前に書いた「桜の園」の演出も「あれがぼくの『桜の園』ですか。ぼくは人生を書いているのです。うんざりするようなめそめそした生活ではありません」と散々な感想を抱いた。
失意のなかでも晩年チェーホフは、肺結核が腸へ転移した発作に対し「笑えばおさまる」「いつもの物真似のトンプク薬ね」と、妻オリガのトルストイの物真似に二人で舞台を笑い転げる。
劇中歌「やるせない世界をすくうものはなにか(略)わらう、わらい、わらえ それがひとをすくう」。この歌詞はこの芝居の中心テーマであると同時に井上の戯曲哲学なのだと思う。
最後の場面、モスクワ行きの急行列車の4人がけ個室で晩年チェーホフがみた夢はそのまま遺言になっている「印税で少年時代過ごしたタガンローグの市立図書館に年に100冊、青年時代に働いたサハリンの小学校へ絵本を年に100冊、壮年時代に暮らしたロバースニヤの公立病院付属図書館に年100冊、モスクワ大学医学部図書館にロシア医学史の資料を購入するために年1000ルーブリ寄付してほしい」
ちょっと「イーハトーボの劇列車」の客室を思い起こさせる幻想的な情景だった。
主要登場人物はチェーホフ4人(少年、青年、壮年、晩年)と妹マリア、女優で妻のオリガの計6人だが、その他警官、医師、弁護士、老婆、ボーイ、スタニスラフスキー、トルストイなど15ほどの役がある。それをすべて6人でこなしてしまう。
井上の古い芝居「雨」「日本人のへそ」にはずいぶん多くの役者が登場した。しかし、今回のような構成にすれば役者の数を減らすことができることがわかった。1人で何役もこなすのだが、わたくしは大竹しのぶがすばらしいと思った。大竹を初めて舞台でみたのは「虎―野田秀樹の国性爺合戦」(94年日生劇場)だったと思う。このときは「この人はテレビや映画はよいけれど、舞台はちょっとなあ」という感想だった。ところが「太鼓たたいて笛ふいて」(2002年)の和服の林芙美子役のときにすっかり見直した。そして今回である。リウマチの老婆、自殺した14等官の未亡人、たばこ売り娘のオリガ、トルストイの物真似をするオリガなど、「夢の泪」(2003年 新国立劇場) の三田和代に迫る演技だった。ホップ、ステップの次を期待したい。
マリア役松たかこはあんなに歌がうまいとは思わなかった。また井上芳雄は芸大声楽科出身なので歌がうまいのは予想していたが、演技も溌剌としていて好感が持てた。今後も、井上芝居で活躍してほしい。
その他の男優陣も手堅い演技だった。
こまつ座の音楽芝居では、ピアノ朴勝哲、歌唱指導・宮本貞子がお決まりだったが後藤浩明と伊藤和美のコンビもいいなあと思った。また前田文子のロシア衣装もよかった。
場の転換にムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」のなかの1曲「リモージュの市場」を、テンポを2倍以上落としてピアノで弾いていたが、間奏曲のような効果を上げていた。
☆1月の「わたしはだれでしょう」に落胆したので、今回は開演1ヶ月後に観劇した。それが大成功。今後は井上の初演はこのくらい間隔をとってからみるようにしようと思った。