7月12日投票の東京都議選で、自民党は10減と大敗し民主が20増と大躍進した。その反面2大政党時代のあおりを食って共産、ネットなど少数会派ははじき飛ばされ21から12へ半減したことにも注目すべきである。都議選は国政選挙の先行指標といわれてきたので、来るべき総選挙で民主大勝の陰で自民だけでなく共産、社民、国民新党などはますます勢力を縮小することが懸念される。
都議会本会議場。石原と都議会民主党のおかげで、檀上には都旗と国旗が並んでいる
石原都知事が推進した新銀行東京や築地市場移転が、都議会で挫折することはほぼ確実だ。ただ、2年前の都知事選の前に、独自取材によりさまざまな事実を抉り出した共産党が退潮したことはまことに残念である。
わたくしは増田都子さんの関係でM市の選挙を手伝い、結果は落選だった。わたくしの選挙応援は、これで5回目、電話入れは3回目である。
はじめて候補者の事務所まで出向いたのは6月13日のことだった。地図では駅の近くにみえたが、意外に遠かった。駅周辺は10階建てくらいの小規模ビルやマンションが立ち並んでいる。しかし商店街から20mも離れれば住宅街が広がる町だった。50年前は田んぼだったのかと古い方に聞いてみた。しかし当時も水田は駅からかなり遠くまで行かなければなかったそうである。その日は封筒へのセット詰めだったので、回りの方との会話もあり楽しかった。
その後、毎週土曜の午後通って電話入れを手伝った。はじめの2回はポスターを貼らせていただいたお宅や4年前の選挙で「有望」だった方へ、公選ハガキ送付に協力していただくお願いだった。他の選挙では告示以降のお手伝いだったので、電話帳や同窓会名簿で電話を入れることしかやったことがなかったので、かけやすかった。それでもなかには「ウチは貼っていませんよ」と答える人がいた。また4年前の名簿なので亡くなった方、転出ずみの方も多く、支援者名簿の絶えざる更新が重要なことがよくわかった。
7月3日の告示前後から、電話帳を地域別に整理した名簿で電話入れをした。半分以上は留守電だし、先方にとって歓迎されない電話なので「ガチャン」に近い応対も多い。
この事務所の電話マニュアルではのっけから「ぶしつけな質問ですみませんが、7月12日の都議選ではどなたに投票されるか、もうお決まりでしょうか」と聞くことになっていた。「決めています」との答えなら「いまから○○をお願いしてもむずかしいでしょうか」、「まだ考えている」との答えなら候補のアピールをすることになっていた。たしかに効率はよいが、選挙事務所からの突然の電話なので「そんなことは電話ではいえない」と気分を害する人もいるし、「そんなことは説明していただなくても、公報やチラシをみて自分で判断できるから結構です」という方もいらしゃるので、結構疲れた。もちろん「うちは自民党に決めています」という方もいる。
他の選挙では、たまには街頭に出て確認団体のチラシをまいたり、候補者の街頭演説で幟をもつ桃太郎や練り歩きをして、外の空気を体で感じる機会があったが、今回はそういう機会はなく、ひたすら室内で電話入れするだけだった。
30分くらいやっていると疲れるのでリラックスタイムが必要になる。わたしの体力では、電話が通じた人の合計で1日60-70人くらいが限界だった(かけた電話の本数でいうとその2-3倍くらいか)。ただ、この候補者は現職(2期)だったことと、日ごろから自らポスター貼りをやっていて、知名度は非常に高かった。駅で握手したとか、食堂や商店街で出会ったという方もいた。その点はやりやすかった。
たまには「家族の介護をしていて、介護を支援する都政に変えてほしい、そんな候補に投票したい」と会話がはずむことがあった。また半分は儀礼にしても「がんばってください」といわれると元気が出てくる。以前行った電話入れでは「あなたは何をポイントに投票する人を決めますか(例 ポスターの顔社写真、福祉問題、財政問題・・・)」という質問をし、答えによってこちらの反応を変える「対話型」のマニュアルを使ったことがあった。対話がはずむこともあり、電話する側にとっては楽しかった。
電話で話していて、「体調が悪く今回は棄権させていただく」と答えた方がいた。もちろん口実に過ぎない可能性はあるが、電話には出ることができるのだから、投票方法を工夫する必要があると思った。とくにこれから高齢化社会に突入するのだからなおさらだ。隣で電話していた方はアメリカ帰りの方だったが「そんなことがあっていいのでしょうか」と憤慨されていた。
わたしは参加しなかったが、投票日にも熱心に電話入れをし、「選挙に行きましょう」という横断幕を手にしたキャラバン隊を街頭に繰り出していた。市民党の面目躍如である。電話入れをしていた周囲の人は、増田さんの支援者以外は、近隣の現・元議員が多いようだった。きっといままでの選挙のノウハウが生かされていたのだろう。
昔と違い、電話帳へ掲載しない家庭も多くなったし、若い世代はそもそも固定電話を設置しない人も増えたので、今後この方法の比重は小さくなると思われる。朝夕の辻立ちは名前を浸透させるうえで一定の効果があると思う。たとえばわたしの選挙区では当選2回の衆議院議員が夜9時半ごろ駅頭で「お疲れさまです」と頭を下げていることがある。自民の議員であっても胸に迫るものがある。しかし街宣車での連呼や公選はがきなど、いまの時代に合わないものも多い。公選法のしばりでやれないことが多いのだろうが、一考を要する。
それとは逆に、高円寺の松本哉氏がやったような街頭パフォーマンスやネットやメールの比重が高くなることは容易に予測される。今後の選挙は、メールニュースやブログでファンをつくり、ファンを選挙ボランティアにして選挙を戦うということがメインストリームになるのではないかと思う。たとえば、わたくしの場合、教育基本法改悪反対でファンになった参議院議員からMNが送信されてきており、やはりその人に投票した。またブログでファンになった人の選挙運動に参加したいと思っている。
日本初の選挙プランナー・三浦博史氏の科学的な選挙戦略・戦術も謙虚に学習すべきである。また公明はこれだけ与党への逆風が吹いていながら立候補した23人全員当選、しかも10%も投票率が上がったにもかかわらずである。まさに神業である。こういう選挙戦略はおおいに学ぶべきである。
都議の所属により控え室の面積は変わる。この見取図も今回の選挙結果で一変する
ところで、わたしは大勝した都議会民主党をあまり信用していない。なんといっても土屋たかゆき(板橋)、吉田康一郎(中野)といったウルトラ右翼がいること、とくに土屋は4期目の実力者で、初当選の若手をたくさんオルグすることが予想される。第二に、分裂の可能性があること。練馬区議会民主党は任期なかばの今年3月末突然、ベテラン議員の「練馬区議会民主区民クラブ」(4人)と若手の「民主党練馬クラブ」(5人)に分裂してしまった。分裂の前に民主を脱退し1人会派をつくった議員もいる。その結果、共産党区議団より小さい所帯になった。都議会でも4年前の浜渦副知事問責決議の際、民主主流13人に反旗を翻した6人が棄権し、首謀者とみなされた田中良(杉並区 現在の幹事長)と和田宗春(北区 今回返り咲き)は除名され、別の会派を立ち上げ分裂した。
都議会本会議場。石原と都議会民主党のおかげで、檀上には都旗と国旗が並んでいる
石原都知事が推進した新銀行東京や築地市場移転が、都議会で挫折することはほぼ確実だ。ただ、2年前の都知事選の前に、独自取材によりさまざまな事実を抉り出した共産党が退潮したことはまことに残念である。
わたくしは増田都子さんの関係でM市の選挙を手伝い、結果は落選だった。わたくしの選挙応援は、これで5回目、電話入れは3回目である。
はじめて候補者の事務所まで出向いたのは6月13日のことだった。地図では駅の近くにみえたが、意外に遠かった。駅周辺は10階建てくらいの小規模ビルやマンションが立ち並んでいる。しかし商店街から20mも離れれば住宅街が広がる町だった。50年前は田んぼだったのかと古い方に聞いてみた。しかし当時も水田は駅からかなり遠くまで行かなければなかったそうである。その日は封筒へのセット詰めだったので、回りの方との会話もあり楽しかった。
その後、毎週土曜の午後通って電話入れを手伝った。はじめの2回はポスターを貼らせていただいたお宅や4年前の選挙で「有望」だった方へ、公選ハガキ送付に協力していただくお願いだった。他の選挙では告示以降のお手伝いだったので、電話帳や同窓会名簿で電話を入れることしかやったことがなかったので、かけやすかった。それでもなかには「ウチは貼っていませんよ」と答える人がいた。また4年前の名簿なので亡くなった方、転出ずみの方も多く、支援者名簿の絶えざる更新が重要なことがよくわかった。
7月3日の告示前後から、電話帳を地域別に整理した名簿で電話入れをした。半分以上は留守電だし、先方にとって歓迎されない電話なので「ガチャン」に近い応対も多い。
この事務所の電話マニュアルではのっけから「ぶしつけな質問ですみませんが、7月12日の都議選ではどなたに投票されるか、もうお決まりでしょうか」と聞くことになっていた。「決めています」との答えなら「いまから○○をお願いしてもむずかしいでしょうか」、「まだ考えている」との答えなら候補のアピールをすることになっていた。たしかに効率はよいが、選挙事務所からの突然の電話なので「そんなことは電話ではいえない」と気分を害する人もいるし、「そんなことは説明していただなくても、公報やチラシをみて自分で判断できるから結構です」という方もいらしゃるので、結構疲れた。もちろん「うちは自民党に決めています」という方もいる。
他の選挙では、たまには街頭に出て確認団体のチラシをまいたり、候補者の街頭演説で幟をもつ桃太郎や練り歩きをして、外の空気を体で感じる機会があったが、今回はそういう機会はなく、ひたすら室内で電話入れするだけだった。
30分くらいやっていると疲れるのでリラックスタイムが必要になる。わたしの体力では、電話が通じた人の合計で1日60-70人くらいが限界だった(かけた電話の本数でいうとその2-3倍くらいか)。ただ、この候補者は現職(2期)だったことと、日ごろから自らポスター貼りをやっていて、知名度は非常に高かった。駅で握手したとか、食堂や商店街で出会ったという方もいた。その点はやりやすかった。
たまには「家族の介護をしていて、介護を支援する都政に変えてほしい、そんな候補に投票したい」と会話がはずむことがあった。また半分は儀礼にしても「がんばってください」といわれると元気が出てくる。以前行った電話入れでは「あなたは何をポイントに投票する人を決めますか(例 ポスターの顔社写真、福祉問題、財政問題・・・)」という質問をし、答えによってこちらの反応を変える「対話型」のマニュアルを使ったことがあった。対話がはずむこともあり、電話する側にとっては楽しかった。
電話で話していて、「体調が悪く今回は棄権させていただく」と答えた方がいた。もちろん口実に過ぎない可能性はあるが、電話には出ることができるのだから、投票方法を工夫する必要があると思った。とくにこれから高齢化社会に突入するのだからなおさらだ。隣で電話していた方はアメリカ帰りの方だったが「そんなことがあっていいのでしょうか」と憤慨されていた。
わたしは参加しなかったが、投票日にも熱心に電話入れをし、「選挙に行きましょう」という横断幕を手にしたキャラバン隊を街頭に繰り出していた。市民党の面目躍如である。電話入れをしていた周囲の人は、増田さんの支援者以外は、近隣の現・元議員が多いようだった。きっといままでの選挙のノウハウが生かされていたのだろう。
昔と違い、電話帳へ掲載しない家庭も多くなったし、若い世代はそもそも固定電話を設置しない人も増えたので、今後この方法の比重は小さくなると思われる。朝夕の辻立ちは名前を浸透させるうえで一定の効果があると思う。たとえばわたしの選挙区では当選2回の衆議院議員が夜9時半ごろ駅頭で「お疲れさまです」と頭を下げていることがある。自民の議員であっても胸に迫るものがある。しかし街宣車での連呼や公選はがきなど、いまの時代に合わないものも多い。公選法のしばりでやれないことが多いのだろうが、一考を要する。
それとは逆に、高円寺の松本哉氏がやったような街頭パフォーマンスやネットやメールの比重が高くなることは容易に予測される。今後の選挙は、メールニュースやブログでファンをつくり、ファンを選挙ボランティアにして選挙を戦うということがメインストリームになるのではないかと思う。たとえば、わたくしの場合、教育基本法改悪反対でファンになった参議院議員からMNが送信されてきており、やはりその人に投票した。またブログでファンになった人の選挙運動に参加したいと思っている。
日本初の選挙プランナー・三浦博史氏の科学的な選挙戦略・戦術も謙虚に学習すべきである。また公明はこれだけ与党への逆風が吹いていながら立候補した23人全員当選、しかも10%も投票率が上がったにもかかわらずである。まさに神業である。こういう選挙戦略はおおいに学ぶべきである。
都議の所属により控え室の面積は変わる。この見取図も今回の選挙結果で一変する
ところで、わたしは大勝した都議会民主党をあまり信用していない。なんといっても土屋たかゆき(板橋)、吉田康一郎(中野)といったウルトラ右翼がいること、とくに土屋は4期目の実力者で、初当選の若手をたくさんオルグすることが予想される。第二に、分裂の可能性があること。練馬区議会民主党は任期なかばの今年3月末突然、ベテラン議員の「練馬区議会民主区民クラブ」(4人)と若手の「民主党練馬クラブ」(5人)に分裂してしまった。分裂の前に民主を脱退し1人会派をつくった議員もいる。その結果、共産党区議団より小さい所帯になった。都議会でも4年前の浜渦副知事問責決議の際、民主主流13人に反旗を翻した6人が棄権し、首謀者とみなされた田中良(杉並区 現在の幹事長)と和田宗春(北区 今回返り咲き)は除名され、別の会派を立ち上げ分裂した。