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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

災害を体感できる教育施設・本所防災館

2023年02月01日 | 博物館など

東京スカイツリーの南方1キロほどのところに本所消防署があり、隣接して本所防災館という体験型の教育施設がある。都内ではほかに池袋、立川にもある東京消防庁の施設だ。
5年ほど前、四谷の消防博物館に行ったことがある。わたしは歴史に興味があり訪れた。本所はその現代版かと思っていたがまったく違った。災害の恐ろしさを体感して知る施設だった。

本所消防署(左)に隣接する本所防災館

4階建ての建物の1階は地震、水害体験、2階は火災・応急手当、3回は暴風雨体験、4階は映画をみる防災シアターがある。
まず「君の命を守りたい」という20分ほどの映画をみた。これから予想される首都直下地震と自助・共助による地震への備えのケーススタディの映画だった。東京消防庁による「いかにも」という趣旨の映画だが、中学生の取組み、団地の防災組織と訓練など、なるほどと納得できる知見はいろいろあった。
主演は小学4年の少女だった。どこかで見たようなと思ったら、エンドロールに「田牧そら」とあった。NHKの「突撃!カネオくん」に出ている人だ。たしかいま高1(4月から高2)なので、6年前はたしかに小学生だ。声はいまのままだったので気づいた。
災害体験ではまず煙体験コーナーに行った。ビルで火事に遭遇したときは、煙は上方向には3-5m/秒、水平方向には0.5-1m/秒広がるので、火災時にはシャッターが降りる。そこで誘導灯をたよりに避難口に行き、エレベータではなく階段を使って避難する、といった座学がある。避難の「おかしもち」というキーワードがあるそうだ。小学生連れの家族が2組いたが、小学生は学校で習っている。「お」は押さない、「か」は駆けない、という具合に、しゃべらない、戻らない、近づかない、の頭文字をとったものだそうだ。
火災の死亡原因は、焼死が48%、一酸化炭素中毒死が32%という統計がある。煙のなかの一酸化炭素は恐ろしい。煙は上に上るので、姿勢を低くし、口・鼻をハンカチなどで覆って移動することが重要だ。暗がりは壁を手でさわって移動する。このあたりは知っていた。グループで避難するときは、ラストの人は煙が部屋に入らないよう必ずドアを閉める。
体験実習は、ハンバーガーショップなど飲食店コーナーで火災が発生したという想定で、3-4人のグループで暗がりを避難する。わたしのグループは子ども3人、大人3人だったので子どもが先を進む。姿勢を低くして、片手で壁を触りながら歩く。最後尾のわたしはドアを閉めることに注意を払った。とくに問題なく出口を出て終了。ただスタッフからの問いかけで誘導灯はいくつあったか聞かれ、2つとか4つとかみなあいまいだった。正解は5つで、注意深さが足りないことを自覚させられた。もちろん訓練なので、無害の煙が少量出るだけだ。以前、別の煙体験のときはもっと煙の量が多かったが、ここでは子ども客も多いので配慮しているのかもしれない。
体験のなかに都市型水害体験があり、ここ数年荒川洪水ハザードマップなどが話題になっているので、注目した。
都市型水害とは、ヒートアイランド化で集中豪雨が降りやすくなり、一方地上はアスファルトで覆われ側溝から下水道に流れるものの下水処理能力は50㎜/時程度なので、それ以上の降雨量なら処理できない水が地上へあふれることをいう。とくに地下室や道路のアンダーパス部分にいる人が危険にさらされる。
日頃からの側溝の掃除、ハザードマップの確認、災害時の障がい者や高齢者への気配りなどが重要になる。
たしかに以前住んでいた練馬区で、突然の集中豪雨で中学生が水死したこともあり、わたしも関心があった。
ここでは、地下室のドアへの水圧の重さ、車のドアへの水圧を水深10cm、20cm、30cmにわけて重さを体験した。わたしは部屋のドア10cmはなんとか開けたが20cmはムリ車のドアは片手しか使えず横向きなので10cmですら重くてとても開けなかった

30m/秒の風、50mm/時の暴風雨を体験する
暴風雨体験のコーナーがあった。30m/秒の風、50mm/時の降雨を1分間体験する。カッパは二重のジッパー、袖口もしっかりカバーされ、ズボンの裾はゴム長に入れ、完全防御スタイルで入室する。手すりを握り腰も落しているので、なんとか耐えられるが素手に落ちる雨が、突き刺さるような感じで痛い。とても傘など差せる状態ではない。それにこの強風ならどこから落下物が飛んでくるかわからないので、ときどき顔を上げざるをえない。この風雨なら、外に出て避難所に向かうべきでないことを実感した。実際問題、水深30cmのなかを歩くのは困難とのことだ。
ヒートアイランド現象で、日本全国での暴風雨は1970年代は190だったのが、40年後の2010年代には240へ26%増えたそうだ。
荒川の氾濫という現実的なシミュレーション映像も流されていた。もし荒川右岸の岩淵水門(北区)が豪雨で決壊すると、わずか10分で南北線赤羽岩淵駅に氾濫した水が押し寄せ、地下鉄トンネルを通って都心の地下鉄駅は水没する。陸の洪水も決壊3時間後に足立区・荒川区、9時間後には台東区上野や浅草、12時間後に秋葉原、15時間後に中央区・千代田区の銀座や築地、21時間後に港区に達し24時間後にやっと地域の拡大が止まるそうだ。死者は最大2000人、避難生活が長期化する大災害に東京が襲われる。
これらの地域は川の手地区と呼ばれるそうだ。山の手に対応する呼び名だろう。6000年前は海で、海底は堆積土砂だった。その後の寒冷化により水面が下がり陸になった。1922-30年に荒川放水路が整備され氾濫はいったんなくなった。ところが戦後、工場の地下水汲み上げなどで地盤沈下が発生し、ゼロメートル地帯が生まれた。そのため堤防・防潮堤が必要になった。
この地域の地盤は砂質土でもともと軟弱である。地震に揺さぶられた砂が浮遊状態になり地下水が上に上がってきて軟弱化する。そしてビルや電柱などしっかり固定されているものは沈み、逆にガス管、水道管、マンホールなどは浮き上がり破損する。これが液状化現象だ。解決するには、長期かつ大規模工事になるが地盤改良しかない。
壁面に「荒川堤防決壊 近未来ドキュメンタリー ある家族の2週間」というストーリー仕立ての展示があった。小学3年ひとみちゃんは4人家族でマンション10階に住んでいる。お父さんは都心で働いている。10階なので直接家屋への被害はないものの、父は交通途絶でオフィスに泊り続けて戻れず、マンションのエレベータも電気も止まっている。食料備蓄も3日分だったので、しかたなく3人は水のなかを歩き高台の避難所へ行く。父と再会できたが、長引く避難所暮らしでみなストレスがたまっている。2週間後やっと水が引き住民総出でマンションの掃除をする。
小学5年のたけし君は、平屋の一軒家住まいで家の隣に父が経営する工場がある。工場の2階に避難したが、119電話が通じず救助も呼べない。翌日救出に来たゴムボートに乗り、ヘリで避難所に送ってもらう。5日目にやっと避難者用風呂に入ることができた。
かなりリアルな状況設定で、これでは確かに困るだろう。

だんごむしのポーズで震度7を体験
地震体験コーナーでは、激しい揺れを体感する。

震度は0から7までだが、6,7は強弱を区別するので0から7強まで10段階ある。子どもは震度4か5までだが、おとなは一番大きい7を体験する。100年前の関東大震災は推定7、阪神大震災も7、東日本大震災の東京都心は5だったそうだ。
揺れたときに机の下に潜ることはだれでも知っているが、そのとき机の脚2本を1本ずつ手でもち机を支えることが重要だそうだ。机のようなしっかりしたものがない場合は「だんごむし」のポーズをとり、頭をカバーする。
震度5まではなんとか大丈夫だったがそれ以上は、体が踊るようで、一生懸命だんごむしのポーズをとるだけでせいいっぱいだった。以前起震車で体験したことはあるが、おそらく7まではなかったと思われる。実際の地震では上からモノが降ってくるかもしれないし、家の中も危ないが、外にいても危なそうだ。たしかに恐ろしい。
消火体験は、いつも防災訓練でやっている水を入れた消火器を使い、スクリーンに映った炎の根元を目がけ消火するものだった。
このほか、わたしは体験していないが、応急手当体験がある。内容は胸骨圧迫とAEDの体験実習とのことだった。わたしは元の勤務先で5年ほど防火管理者を務めたことがあり、防災訓練の運営もやっていた。またその流れで、いまも上級救命講習を3年に一度受けているので、おそらく知っている内容だと思う。
見学して、この防災館は主として団体客を対象にしているように思えた。わたしが行ったときも、警備会社、鉄道会社、大学生、高校生が団体で来ていた。また子ども連れの家族も何組が来ていた。消防団や区の防災関連団体など「おとなの遠足」の団体客ニーズはたしかにあるので、防災活動啓発には有益な体験施設だと思った。
体験コースの申し込みは4日前締切りだが、1ヵ月先でもかなり埋まっている日もある。団体のすき間を個人が埋める様子だった。ただし逆に個人客が普通の見学施設のようにフェイス・トゥ・フェイスで個別に質疑応答することには対応しきれていない。スタッフも団体への見学説明とコース付き添いで手がいっぱいなのだろう。
また、アニメやVRを利用した疑似災害体験はどんどん進歩していると感じた。防災映画「君の命を守りたい」がまさにそうだ。昨年、団体で豊洲のそなエリア東京を見学した。そこでみたアニメ「東京マグニチュード8.0(フジテレビ)もなかなかよく出来ていた。わたしは参加していないが、ゴーグルをつけて地震・風水害の疑似体験をするVR防災体験のコースもある。
また震度7の地震体験や暴風雨体験もリアルに体感できる。小学生など子ども客に対しても、ゲーム機を使ってクイズに答えるコーナーがあった。わたしはクイズの内容より、ゲーム機の使い方を忘れてしまっていて使うことすらできなかった。

防災館近くの四ツ目通りから見上げた東京スカイツリー
☆防災館の近くから東京スカイツリーもよく見えたが、館から700mほど東の横川橋手前で大震災遭難者追悼碑をみつけた。関東大震災から10年ほどたったいまから89年前の9月1日に建てられたものだ。題字は当時の斎藤実総理による。建碑趣旨に「36万6000戸の家屋焼失、5万8000人の市民が犠牲となった。横川橋の橋脚が落下し船中の家族など3600人が死亡し、第二の被服廠」といわれたとある。今年は関東大震災100周年の年なので感慨深い。
震災復興記念館や東京都慰霊堂のある両国駅近くの横網町公園には4年ほど前に行ったことがある。1973年に立てられた関東大震災朝鮮人犠牲者追悼の碑もあった。いまも在日ヘイトが続いているので、その文脈でも100周年の年である。

横川橋の大震災遭難者追悼碑

本所防災館
住所 東京都墨田区横川4-6-6
開館 9-17時(入館受付 午後4時30分まで)
休館日 毎週水曜日・第3木曜日
入館料 無料

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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