多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

新型コロナ・緊急事態宣言再発令下の東京の生活

2021年03月01日 | 日記

昨年末、東京の新型コロナウィルス新規感染者数は11月20日ごろから500人台に増え、12月半ばに800人台、年末に1300人、年明け1月7日にはピークの2520人とうなぎ上りに増加した。そして後追いではあったが、政府は1月7日に首都圏4都県、13日に関西など7府県に緊急事態宣言を再発令した。
当初は2月7日までの予定だったが、2月になっても都の新規感染者数は500人以上のレベルだったので、2日に1か月延長を決定した。この記事を書いている時点で、解除の見通しは立っていない。ただ昨年4月7日から5月25日の第一次緊急事態宣言発令のときとは、いくつか違いがある。
学校の全国一斉休校先行して3月2日スタートやデパートなど大規模商業施設の臨時休業はない。またコンサートやスポーツイベントも、座席を半分以下に減らすなどの措置をしたうえで開催され、全部中止になったわけではない。幸い区の図書館やスポーツ施設もオープンしている。
昨年春のときは、小池都知事の外出8割減、「ステイホーム」連呼と「自粛警察」により、都心はほぼゴーストタウン化し、逆にスーパーのレジ待ち行列や入店待ち行列がすごかった。スポーツクラブ、ゲームセンター、カラオケボックス、ネットカフェ、学習塾、劇場・映画館などは休業要請により閉鎖された。公共施設も閉鎖され、集会もサークル活動もできなくなった。
集会は公共施設が閉鎖されていないので、2月7日の都教委包囲首都圏ネットの決起集会も2月23日の「『天皇代替わり』とは何であったのか」討論集会も開催された。3月は福島原発事故から10周年だが、3月7日の首都圏反原発連合の国会前集会も実行される予定だ(2月28日現在)。ウェブ利用の会議も第一次のとき以上に増えている。

飲食業は、今回も19時で酒類提供は終了、営業時間は20時閉店に短縮である。今回は1月7日「営業時間短縮に係る感染拡大防止協力金」を1日当たり6万円支給することを都が発表したので、はじめから休業を決めた小規模店舗も結構あった(第一次のときは総額50万円のみ、複数店舗がある事業者は100万円だった)。
わたしが行った店は、ふだんは17時オープンだが、たった2時間営業では商売にならないと16時開店に早めた。第一次のときは背に腹は代えられずテイクアウトもやったが、そうすると予約して16時に受取りにくる客が結構いて、時間のやり繰りが大変だった経験から、今回は辞めにしたとのことだった。
裁判所は、第一次のときは2カ月ほどほぼ休業状態だったが、今回は裁判を継続している。ただし傍聴席は半分以下に減らしている。
2月26日東電株主代表訴訟の証人尋問1日目を傍聴した。証人は産業技術総合研究所(旧・通産省工業技術院)のスタッフで活断層の研究をしている地質学者だった。いままで報告・学習会で9世紀の貞観地震のことは聞いていたが、仙台沖では1000年に1度大地震が起こっており砂層を含む津波堆積物の分布とその上下の地層の泥炭中の有機物から地震発生の年代推測ができること、そして福島沖まで活断層が伸びているという推測をしたことなどを理解できた。いつもの傍聴は書状の交換と次回期日の取り決めだけなので、応援団として傍聴に通っているようなものだ。今回は推理小説を読むようで、かつそれまで「スマート」な対応をしてきた東電スタッフが「そんなことをいうのか」と思う対応をし始めた様子や裏でネゴをしていたことが証言からうかがえて興味深かった。また2009年度に追加で、小高の大規模調査をして貞観地震の堆積物がみつかったことも、昨秋小高に行ったので感慨深かった。
開演前の客席。座席数は1/2に減らされている
1月17日に高田馬場管弦楽団(アマチュアオーケストラ)の97回定期演奏会を聴きに杉並公会堂に行った。チケットは無料だが、コロナ禍なので2カ月くらい前に予約抽選制にしていた。チケットはがきは3週間ほど前に届いていたが、緊急事態宣言再発令の直後だったので前夜まで、本当に開催されるのかやきもきした。無事開催されたが、客席は1席おきなのでホールの定員の半分、そしていつもはほぼ満席だがコロナ禍なので80%程度の入場率、0.5×0.8=0.4ということでいつもの4割くらいの客の入りだった。演目もコープランドの「市民のためのファンファーレ」という金管11人とパーカッション3人のみの小編成で3-4分の短い曲とマーラーの「交響曲第4番」の2曲のみだった。いつもは3曲+アンコールのことが多く2時間半くらい時間をみていたが、1時間少しで終了した。それでもこちらは音楽が聴けただけで大満足、感謝だった。おそらくいつものような客演指揮者とソリストを囲む打ち上げはできなかっただろうと思う。また感染予防の要員配置など主催者はさまざまな苦心があったはずだ。
早く終わったので、荻窪駅北口の居酒屋街を歩いてみた。やはり臨時休業の店がちらほら見えた。

フィジカルディスタンスを保つ待ち行列
1月30日に、都民芸術フェスティバルでたまたま前年にチケットを予約していた藤原歌劇団のプッチーニ「ラ・ボエーム」を上野の東京文化会館で観た。こちらも観客席は半分に減らし、入場待ちの列の間隔を空けたり、廊下の窓を開け換気したり、コロナ禍のオペラ上演だった。
文化会館の掲示ボードをみると3割は公演中止だが、7割は開催していた。
開演45分前に折江忠道総監督の解説があるというので早く行った。ただし「ラ・ボエーム」の解説そのものは、「観ればわかる。なぜか泣けてくる作品だ」という程度で、プッチーニの伝記的な話がほとんどだった。それ以上にコロナ禍の藤原の苦労話が多かった。昨年は6カ月間何もできず、8月から公演を始めたが、マスクとフェイスシールドでの歌唱、PCR検査の実施、直接手を握ったり抱き合うシーンも「工夫」が必要との話で、たしかにコロナ禍の歌劇団運営は大変そうだった。最後に、ぜひカンパをとのお願いがあった。少額で気がひけたが、「気持ち」だからと帰りにカンパ袋に入れてきた。
オペラを観るのは6年ぶりくらいになる。いつもは新国立劇場で主としてドイツオペラを観ていたこともあり、いろいろ勝手が違った。また考えると文化会館4階の音楽資料室には、上野にきたとき懐かしかったので訪れたことがあったが、客席に座るのは数十年ぶりのような気がする。小ホールで室内楽を聞くことが多く、大ホールは本当ににごぶさただった。壁面の雲形ブナ材のパーツ(向井良吉作)がなつかしかった。
初めて4階席に座った。オーケストラボックスを見下ろす席だった。5年ほど前に川崎ミューザで「カルミナ・ブラーナ」を聴いて以来のことだ。
音楽は別に下のほうから聴こえてきてもよいのだが、困ったのは字幕が舞台左右に縦書きのものしかないことだった。字画が少ないものはまだよいが、漢字などで識別できない文字もあった。欧米と同じように、横書きで幕の上部に1本付けてくれるとよいのにと、心底願った。字幕と歌手を両方見ることはほぼ不可能で、オペラグラスを持参すべきだったと大いに後悔した。
歌手はミミ(伊藤晴)、ロドルフォ(笛田博昭)、ムゼッタ(オクサーナ・ステパニュック)などよかったが、わたくしはとくにコッリーネ役・伊藤貴之(バス)の声が好きだった。ステパニュックはソプラノだけでなく、ウクライナの民族楽器バンドゥーラの名手とプロフィールにあった。バンドゥーラは竪琴のような撥弦楽器で、ローマ法王の前や小泉首相時代に官邸の晩餐会でも演奏したそうだ。なお合唱は、普通は平場で密集して歌うのだろうが、コロナに配慮し、1階と屋根の上の二手に分かれ、間隔も開けて歌っていた。
なお「ラ・ボエーム」は藤原にとって、いまから87年前の1934年に劇団として初めて公演したときの作品だそうだ。
帰りに楽屋口の前を通ると、楽器を抱えた東京フィルハーモニーの楽団員と思われる人が何人も足早に帰って行った。これもコロナのせいかもしれない。

オーケストラやオカリナなど器楽はまだよいが、歌唱は規制が厳しい。敬老館の合唱教室はずっと中止のまま、区の合唱サークルも12月以来、練習中止が続いている。
水泳教室は、館主催のものは3月まで中止、しかし区の水泳連盟主催の教室や子ども向けスイミング教室は開催と分かれ、どうなっているのかよくわからない。中止の関係者は運が悪く、開催の関係者は運がよかったということなのか? 第一次のときに、銭湯は開業しているのに、プールはダメだったのと似た話だ。
こういうふうに社会の7割程度は生きているようなので、小池都知事には叱られそうだが、都心の人出は7割くらいありそうだった。ただし休日の歩行者天国は中止しているようだった。
またコロナとはあまり関係ないかもしれないが、公園では子どもたちが元気に遊び、付き添いの両親がわが子を見守っていた。
 
しかし、知られていないところで、間違いなく被害は広がっている。たとえば、高齢者のサポートを担う地域包括支援センターの関係者に聞いた話で、高齢者が外に出ず屋内にとどまる生活が続いているため、転倒・骨折の負傷者が増え、人と話すことが激減しうつ傾向の人が増えている、面談後いままでは介護へ移行することが多かったのに、いまは即医療処置というケースが増えているそうだ。相談に行くことも「自粛」し、ギリギリまで我慢した結果だろう。
新型コロナ対策で、命が大事、なりわいが大事というのはそのとおりである。また個人の精神的孤立やウツ状態化という問題も社会的に少し取り上げられるようになった。しかしそれだけでなく失われた社会的機能の保障も重要な問題である。社会的機能が失われている一例として、ボランティア活動が激減していることがある。結局そのツケはより弱い人、高齢独居者、乳幼児、介護を強いられている家族に来ていると考えられる。
第一次のときはゴーストタウンのようだったが、第二次では結構人出がある街頭風景
いま毎日15時ごろ発表しているのは、PCR検査をした新規陽性者数とその範囲の感染率であり、地域全体のなかでの感染率を推計する調査を継続して行わなければ意味がない。たとえば都発表の検査陽性率は、昨年4月半ばは30%台という驚くような数値を示し、その後しばらく1ケタ台だったが年末に10%台、1月6日にピークの14%を示し、2月は4-6%くらいだ。これは都全体の検査や推計ではない。だから「数字操作」を疑われてしまう。たとえば2月7日以降500人以下を続けているのも、2020オリパラ中止を2月中に決定したくないのでそういう数字を「つくり、発表」しているのではないかといった憶測・疑惑である。昨年12月ごろから感染者が増加したため、都の保健所は積極的疫学調査の規模を縮小していたことが、2月になって発覚した。感染者数急減の要因だと疑われる。
厚労省の6か月ごとの抗体保有調査はある程度参考になる。20年6月に0.1%だったのが12月には0.91%に増えている。ただしこれもサンプリングした地区で調査参加に同意した人だけ(12月は募集に応募した人のみ)であり、無作為抽出した地区での悉皆調査というわけではない。
世田谷区で昨年10月から始めた高齢者施設向けの(発症前の)無症状者も含めたPCR検査は意味があると思う。
大正時代のスペイン風邪のときは何波も波があり、足かけ3年続いたが、21世紀の新型コロナも、ワクチンが開発されたとはいえ、いつまで続くのか先が見通せない
こんな対策を続けていたのでは、ワクチン接種が都民の7-8割に達するまで、何波でも発生し、累計死亡者数も増え続けるのではなかろうか。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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