京成線柴又の駅をおりると1999年8月に立てられた寅さんの銅像が出迎えてくれる。振り返ると改札ごしにホームがみえる。映画でさくらと寅さんがたびたび別れの場を演じたあのホームである。映画でみるより幅が狭く感じる。
寅さん記念館は、江戸川堤の近くに区の施設として97(平成9)年11月開館し、その後何度か改装された。寅さん映画に関する資料やAVと、明治末に柴又―金町間を運行していた人車鉄道や昭和30年代の帝釈天の参道のミニチュアなど柴又に関する資料が展示されている。今年1月入館者は300万人の大台を突破した。
映画版「男はつらいよ」は1969年から95年の26年間に48本制作された。48本すべてで使われた「くるまや」のセットが展示されていた。2000年に松竹大船撮影所が閉鎖され、この記念館に永久保存されることになったとあった。このセットは2005―06年にNHKスタジオパークで一度みた(同じものかどうかはわからない)。一番みたかったのは2階の寅の部屋に上がる階段である。寅がかけあがったり、考古学研究者の礼子(樫山文枝 16作)や住込みの早苗(大原麗子 22作)が優雅に降りてきた。定時制高校生のすみれ(伊藤蘭 26作)も一時住んでいたし、画家のりつ子(岸惠子 12作)も見舞いに来たとき使ったはずだ。階段を下から見上げるとどんな風景が見えるのか?階段の幅は50センチくらいしかなく意外に狭かった。
くるまやの一家が全員集合しマドンナを交えて食事をする茶の間には、大型ディスプレイがあり映画の一部が映し出されていた。またあまり写ることのないおばちゃんの城、炊事場もじっくり見ることができた。グリーンの冷蔵庫、パロマの大型炊飯器、電子レンジもあった。タイル貼りの流しやガス台は時代を感じさせる。大きなざるも置いてあった。
この記念館には寅さん映画を部分的にみられる「名場面集」「マドンナたち」などAV資料も豊富にある。「俳優・渥美清が語る寅さん」「『男はつらいよ』の撮影現場」では、8作・柴又慕情で高梁の墓の前で記念写真を撮るシーンの読み合わせと現場ロケ、7作・奮闘編の雪の駅で中卒の集団就職の子どもたちを親が見送るシーンの地元エキストラを含む撮影風景が流されていた(ロケ現場は青森ではなく新潟県小出)。山田洋次監督や倍賞千恵子がとても若い。山田監督が40歳になるかならないかの時期である。
ファンにとってなんといってもうれしいのは、エンディングコーナーのマドンナたちのコラージュ写真である。1作光本幸子から48作浅丘ルリ子まですべてそろい、しかも48作のうち複数回マドンナになった人も省略せず、たとえば吉永小百合は2回、浅丘ルリ子は3回写真が出てくるところがうれしい。複数回登場するのは人気が高かった証拠といえるが、浅丘ルリ子、吉永小百合、竹下景子、大原麗子、松坂慶子、後藤久美子の6人である。なおダブルで登場するマドンナ(京マチ子、藤村志保、香川京子、三田佳子など)の若いほう(檀ふみ、大竹しのぶ、林寛子、三田寛子など)は登場しない。逆に泉(後藤)の母、礼子(夏木マリ)を一度くらい出してもよさそうだがやはりなかった。
資料としても面白いものがたくさんあった。たとえばロケ地を表示した大きな日本地図が掲示されていた。寅さんシリーズは、朝の連続テレビドラマと同じように北海道から沖縄まで47都道府県すべて回ったような気がしていたが、じつは行っていない県が6県もあった。栃木、埼玉、神奈川、富山、高知、徳島である。1都3県は近すぎることもあり、旅先に設定するのは難しかったようだ。ちなみに千葉は江戸川の下流、豆腐屋の節子(長山藍子 5作)がいた浦安で、上野、浅草と同じように隣町のようなものである。
「くるまや」の模型もあった。2階部分がアップダウンするので部屋の構造を理解しやすい。たとえば2階の2部屋の関係や庭と隣の朝日印刷との関係などだ。映画のイメージよりずっと広い家であることがわかった。
記念館まで建てられ、もはやファンにとってフィクションと現実の境界が怪しくなっている。しかし渥美清自身が「寅は山田監督がつくったまったく架空の人間だが、お客さんがいうように柴又か浅草か上野に本当にいたんじゃないかというなつかしさを感じる。長年寅の役をやっているうちに、おっちょこちょいでバカで直情系の寅と血のつながりを感じるようになってきた。」と「俳優・渥美清が語る寅さん」で語っていた。
住所:葛飾区柴又6丁目22-19
電話:03-3657-3455
開館:原則として第3火曜日以外は開館
開館時間 午前9時~午後5時
入館料:一般 500円、児童・生徒 300円、シルバー 400円
寅さん記念館は、江戸川堤の近くに区の施設として97(平成9)年11月開館し、その後何度か改装された。寅さん映画に関する資料やAVと、明治末に柴又―金町間を運行していた人車鉄道や昭和30年代の帝釈天の参道のミニチュアなど柴又に関する資料が展示されている。今年1月入館者は300万人の大台を突破した。
映画版「男はつらいよ」は1969年から95年の26年間に48本制作された。48本すべてで使われた「くるまや」のセットが展示されていた。2000年に松竹大船撮影所が閉鎖され、この記念館に永久保存されることになったとあった。このセットは2005―06年にNHKスタジオパークで一度みた(同じものかどうかはわからない)。一番みたかったのは2階の寅の部屋に上がる階段である。寅がかけあがったり、考古学研究者の礼子(樫山文枝 16作)や住込みの早苗(大原麗子 22作)が優雅に降りてきた。定時制高校生のすみれ(伊藤蘭 26作)も一時住んでいたし、画家のりつ子(岸惠子 12作)も見舞いに来たとき使ったはずだ。階段を下から見上げるとどんな風景が見えるのか?階段の幅は50センチくらいしかなく意外に狭かった。
くるまやの一家が全員集合しマドンナを交えて食事をする茶の間には、大型ディスプレイがあり映画の一部が映し出されていた。またあまり写ることのないおばちゃんの城、炊事場もじっくり見ることができた。グリーンの冷蔵庫、パロマの大型炊飯器、電子レンジもあった。タイル貼りの流しやガス台は時代を感じさせる。大きなざるも置いてあった。
この記念館には寅さん映画を部分的にみられる「名場面集」「マドンナたち」などAV資料も豊富にある。「俳優・渥美清が語る寅さん」「『男はつらいよ』の撮影現場」では、8作・柴又慕情で高梁の墓の前で記念写真を撮るシーンの読み合わせと現場ロケ、7作・奮闘編の雪の駅で中卒の集団就職の子どもたちを親が見送るシーンの地元エキストラを含む撮影風景が流されていた(ロケ現場は青森ではなく新潟県小出)。山田洋次監督や倍賞千恵子がとても若い。山田監督が40歳になるかならないかの時期である。
ファンにとってなんといってもうれしいのは、エンディングコーナーのマドンナたちのコラージュ写真である。1作光本幸子から48作浅丘ルリ子まですべてそろい、しかも48作のうち複数回マドンナになった人も省略せず、たとえば吉永小百合は2回、浅丘ルリ子は3回写真が出てくるところがうれしい。複数回登場するのは人気が高かった証拠といえるが、浅丘ルリ子、吉永小百合、竹下景子、大原麗子、松坂慶子、後藤久美子の6人である。なおダブルで登場するマドンナ(京マチ子、藤村志保、香川京子、三田佳子など)の若いほう(檀ふみ、大竹しのぶ、林寛子、三田寛子など)は登場しない。逆に泉(後藤)の母、礼子(夏木マリ)を一度くらい出してもよさそうだがやはりなかった。
資料としても面白いものがたくさんあった。たとえばロケ地を表示した大きな日本地図が掲示されていた。寅さんシリーズは、朝の連続テレビドラマと同じように北海道から沖縄まで47都道府県すべて回ったような気がしていたが、じつは行っていない県が6県もあった。栃木、埼玉、神奈川、富山、高知、徳島である。1都3県は近すぎることもあり、旅先に設定するのは難しかったようだ。ちなみに千葉は江戸川の下流、豆腐屋の節子(長山藍子 5作)がいた浦安で、上野、浅草と同じように隣町のようなものである。
「くるまや」の模型もあった。2階部分がアップダウンするので部屋の構造を理解しやすい。たとえば2階の2部屋の関係や庭と隣の朝日印刷との関係などだ。映画のイメージよりずっと広い家であることがわかった。
記念館まで建てられ、もはやファンにとってフィクションと現実の境界が怪しくなっている。しかし渥美清自身が「寅は山田監督がつくったまったく架空の人間だが、お客さんがいうように柴又か浅草か上野に本当にいたんじゃないかというなつかしさを感じる。長年寅の役をやっているうちに、おっちょこちょいでバカで直情系の寅と血のつながりを感じるようになってきた。」と「俳優・渥美清が語る寅さん」で語っていた。
住所:葛飾区柴又6丁目22-19
電話:03-3657-3455
開館:原則として第3火曜日以外は開館
開館時間 午前9時~午後5時
入館料:一般 500円、児童・生徒 300円、シルバー 400円