新型コロナ下での体力維持のため週3回のジョギングを続けている。たまには気分を変えて皇居1周コースに行こうと、大手町(住所は内神田)の稲荷湯に行った。
14時50分オープンだが、もっと早く着いたので先にジョギングをした。気象庁前スタートのこのコースは皇居周回ジョギングを始めた1998年ごろ走っていたコースだ。99年夏勤務先事務所が移転し、その後は半蔵門の国立劇場前スタートに変えた。
皇居外苑、右はパレスホテル東京(撮影時期2017年10月)
まず平河門を通り越し竹橋の坂を上り、首都高代官町入口脇を皇居に沿って走る。正式名はわからないが1人用警備ボックスの警官が「こんにちは」と声をかけてくれたので、こちらもあいさつする。いつのまにか歩道の幅が広がっていて走りやすくなっていた。内堀通のゆるい坂をだらだら上る。千鳥ヶ淵のあたりはいつも桜の季節は人出が多く走るのに苦労した。
半蔵門を通過、このあたりが上り坂のピークだ。最高裁を越えたあたりから急な坂道を駆け降り一気に桜田門へ、坂から見下ろす風景はいちばん眺めのよいスポットだった。日が出ている季節は濠の草原が美しく、日の沈んだ季節はビルの夜景が美しい。下の方から草刈りのチェーンソーか集塵機の音が響いてきた。昔もこの音を聞いた。桜田門は半年くらいかけて補強工事をしていたことがあったが、現在も濠(ほり)の補修工事をやっていた。再び内堀通りの歩道を北上、パレスホテルもずいぶん長期間建設工事をしていた。昔のいろんな光景や思い出が頭のなかを駆け巡った。信号がひとつもなく、かつ東京都心の「名所」満載の景色のよいコースだ。
半蔵門スタートのコースは、後半に出てくる竹橋の坂上りがつらいが、こちらはその点は楽だった。
稲荷湯は3年近く前に一度来たことがあったので、間違えず行けるつもりで地図を確認しないまま出てきた。ところがしばらく歩き回ったのにまったく見つからない。神田橋の西側(錦町)にあった気がしていたのだが、じつは東側の内神田だった。配達中の佐川急便の人に聞いてやっとわかった。神田橋と鎌倉橋を勘違いしていたようだ。疲れると同時に、これも年のせいかと情けなかった。
稲荷湯は皇居周回ジョギングでは半蔵門のバン・ドゥーシュと並び有名な銭湯である。外観は以前と同じ赤レンガだったが、脱衣場、浴槽とも99年ごろとまったく変わっていた。
カラン15、ロッカー44、これと別に小さいロッカー22、さらにロッカーの上のパイプに、数人の荷物を置ける。下駄箱は男女合わせて88あった。わたくしは16時前に入ったのでジョギング客はまだ数人だったが、客を大勢迎え入れられるよう改造したのだろう。
浴槽はエル字型で、エルの長辺のほうにジャグジーが4つある。うち2つはかなり水流が強い。
壁の絵はよくある富士山だが、山麓に桜、ひまわり、モミジ、雪をかぶった松と春夏秋冬の植物が描かれている。さらにその横に中国風の三重の塔があった。これは変わっている。また壁の下の真ん中にタイル絵があり、西洋風の民家が描かれていた。銭湯に広告があることはそれほど珍しくないが、ここには浴室に雲切目薬、パン屋、居酒屋、便利屋など聞いたことがない店名の広告があった。ご近所の店かと思われる。いさぎよくサウナや水風呂はない。
脱衣室は歴史ある銭湯でよくあるように、馬鹿に広くゆったりしている、花王創業130周年記念のレトロなデザインのポスターやうちわがあった。ポスターは東京都公衆浴場業生活衛生同業組合とのコラボで入浴の6つのルールが書かれていた。日中、ハングル、英語の4か国語併記で、たとえば「浴室に入る前にパンツを脱いでください」「脱衣所に戻る際は濡れた体をふいてください」というものだった。公衆浴場に裸で入るのは生まれて初めてという外国人観光客も多いからだろう。
帰りがけに店の歴史を聞いてみた。新潟出身の長谷川さんが1956年に創業したということで64年の歴史をもつ。それで5階建ての長谷川ビルの1階にある。その前は、古い大きな家があったそうだ。商店だったようだ。千代田区の人口推移をみるとこの店が開店した1955年ごろが戦後のピークで、12.2万人居住者がいた。ボトムは95年の3.4万人でいまは6.6万人に回復している。こういう場所で60年はすごい。銭湯としては、皇居周回コースに近いということが強みになったのかもしれない。
2008年の記事には満員札止めで12人の客が行列して並んでいたと書いた。当時は東京マラソンが07年に始まったばかりのブームの時期で、皇居周辺にラン・ステもなかったので一時的に混んでいたようだ。
ついでに風呂の絵のことも聞いてみた。タイル画はイギリスの民家のようだ。中国風の塔については、若い人(おそらく息子夫婦)に聞かないとわからない、とのことだった。
なお稲荷湯の南に御宿稲荷神社という小さな社がある。これは江戸時代から続くそうだ。店名はここから取ったのだろう。
向かいは内神田尾嶋公園という公園だが、昔は尾嶋さんという方の自宅だったのを区に寄付され1997年にできた公園だ。左右25mくらい、奥行15mくらい、120坪ほどの屋敷、内神田でこれだけの土地を所有していれば富豪といえる。ただ住んでいる限りは現金が入ってくるわけではないのだが・・・。
隣は日経別館だったと思ったが、MIFビルという名に変わっていた。しかし9階建てのオフィスのうち日経系列の会社が3フロアに入っていたので、実質的にはそう変わっていないのかもしれない。
近所の店もかなり変わっていた。立飲み酒場の地下の「本屋」はもうなかった。ただその跡地は「ろくよう」という店が現存しているようだが、コロナのため休店中だった。
左から経団連会館、JAビル、日経ビル(神田橋より)
さらにスタート地点近くの気象庁と合同庁舎(現在は建替え中の京橋税務署が仮庁舎として利用中)は変わっていなかったが、その南はガラリと姿を変え経団連会館・JAビル・日経ビルの高層ビルになっていた。丸ビル、新丸ビルをはじめ大手町フィナンシャルシティ、パレスホテルなどみんな建て変ったのだから仕方がない。たまに銀行協会、三菱一号館など古い建屋の保存をみるとホッとする。
住所 東京都千代田区内神田1−7−3
電話 03-3294-0670
営業時間 14:50−24:00(新型コロナ下、閉店時間は異なっている)
定休日 日曜
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
14時50分オープンだが、もっと早く着いたので先にジョギングをした。気象庁前スタートのこのコースは皇居周回ジョギングを始めた1998年ごろ走っていたコースだ。99年夏勤務先事務所が移転し、その後は半蔵門の国立劇場前スタートに変えた。
皇居外苑、右はパレスホテル東京(撮影時期2017年10月)
まず平河門を通り越し竹橋の坂を上り、首都高代官町入口脇を皇居に沿って走る。正式名はわからないが1人用警備ボックスの警官が「こんにちは」と声をかけてくれたので、こちらもあいさつする。いつのまにか歩道の幅が広がっていて走りやすくなっていた。内堀通のゆるい坂をだらだら上る。千鳥ヶ淵のあたりはいつも桜の季節は人出が多く走るのに苦労した。
半蔵門を通過、このあたりが上り坂のピークだ。最高裁を越えたあたりから急な坂道を駆け降り一気に桜田門へ、坂から見下ろす風景はいちばん眺めのよいスポットだった。日が出ている季節は濠の草原が美しく、日の沈んだ季節はビルの夜景が美しい。下の方から草刈りのチェーンソーか集塵機の音が響いてきた。昔もこの音を聞いた。桜田門は半年くらいかけて補強工事をしていたことがあったが、現在も濠(ほり)の補修工事をやっていた。再び内堀通りの歩道を北上、パレスホテルもずいぶん長期間建設工事をしていた。昔のいろんな光景や思い出が頭のなかを駆け巡った。信号がひとつもなく、かつ東京都心の「名所」満載の景色のよいコースだ。
半蔵門スタートのコースは、後半に出てくる竹橋の坂上りがつらいが、こちらはその点は楽だった。
稲荷湯は3年近く前に一度来たことがあったので、間違えず行けるつもりで地図を確認しないまま出てきた。ところがしばらく歩き回ったのにまったく見つからない。神田橋の西側(錦町)にあった気がしていたのだが、じつは東側の内神田だった。配達中の佐川急便の人に聞いてやっとわかった。神田橋と鎌倉橋を勘違いしていたようだ。疲れると同時に、これも年のせいかと情けなかった。
稲荷湯は皇居周回ジョギングでは半蔵門のバン・ドゥーシュと並び有名な銭湯である。外観は以前と同じ赤レンガだったが、脱衣場、浴槽とも99年ごろとまったく変わっていた。
カラン15、ロッカー44、これと別に小さいロッカー22、さらにロッカーの上のパイプに、数人の荷物を置ける。下駄箱は男女合わせて88あった。わたくしは16時前に入ったのでジョギング客はまだ数人だったが、客を大勢迎え入れられるよう改造したのだろう。
浴槽はエル字型で、エルの長辺のほうにジャグジーが4つある。うち2つはかなり水流が強い。
壁の絵はよくある富士山だが、山麓に桜、ひまわり、モミジ、雪をかぶった松と春夏秋冬の植物が描かれている。さらにその横に中国風の三重の塔があった。これは変わっている。また壁の下の真ん中にタイル絵があり、西洋風の民家が描かれていた。銭湯に広告があることはそれほど珍しくないが、ここには浴室に雲切目薬、パン屋、居酒屋、便利屋など聞いたことがない店名の広告があった。ご近所の店かと思われる。いさぎよくサウナや水風呂はない。
脱衣室は歴史ある銭湯でよくあるように、馬鹿に広くゆったりしている、花王創業130周年記念のレトロなデザインのポスターやうちわがあった。ポスターは東京都公衆浴場業生活衛生同業組合とのコラボで入浴の6つのルールが書かれていた。日中、ハングル、英語の4か国語併記で、たとえば「浴室に入る前にパンツを脱いでください」「脱衣所に戻る際は濡れた体をふいてください」というものだった。公衆浴場に裸で入るのは生まれて初めてという外国人観光客も多いからだろう。
帰りがけに店の歴史を聞いてみた。新潟出身の長谷川さんが1956年に創業したということで64年の歴史をもつ。それで5階建ての長谷川ビルの1階にある。その前は、古い大きな家があったそうだ。商店だったようだ。千代田区の人口推移をみるとこの店が開店した1955年ごろが戦後のピークで、12.2万人居住者がいた。ボトムは95年の3.4万人でいまは6.6万人に回復している。こういう場所で60年はすごい。銭湯としては、皇居周回コースに近いということが強みになったのかもしれない。
2008年の記事には満員札止めで12人の客が行列して並んでいたと書いた。当時は東京マラソンが07年に始まったばかりのブームの時期で、皇居周辺にラン・ステもなかったので一時的に混んでいたようだ。
ついでに風呂の絵のことも聞いてみた。タイル画はイギリスの民家のようだ。中国風の塔については、若い人(おそらく息子夫婦)に聞かないとわからない、とのことだった。
なお稲荷湯の南に御宿稲荷神社という小さな社がある。これは江戸時代から続くそうだ。店名はここから取ったのだろう。
向かいは内神田尾嶋公園という公園だが、昔は尾嶋さんという方の自宅だったのを区に寄付され1997年にできた公園だ。左右25mくらい、奥行15mくらい、120坪ほどの屋敷、内神田でこれだけの土地を所有していれば富豪といえる。ただ住んでいる限りは現金が入ってくるわけではないのだが・・・。
隣は日経別館だったと思ったが、MIFビルという名に変わっていた。しかし9階建てのオフィスのうち日経系列の会社が3フロアに入っていたので、実質的にはそう変わっていないのかもしれない。
近所の店もかなり変わっていた。立飲み酒場の地下の「本屋」はもうなかった。ただその跡地は「ろくよう」という店が現存しているようだが、コロナのため休店中だった。
左から経団連会館、JAビル、日経ビル(神田橋より)
さらにスタート地点近くの気象庁と合同庁舎(現在は建替え中の京橋税務署が仮庁舎として利用中)は変わっていなかったが、その南はガラリと姿を変え経団連会館・JAビル・日経ビルの高層ビルになっていた。丸ビル、新丸ビルをはじめ大手町フィナンシャルシティ、パレスホテルなどみんな建て変ったのだから仕方がない。たまに銀行協会、三菱一号館など古い建屋の保存をみるとホッとする。
住所 東京都千代田区内神田1−7−3
電話 03-3294-0670
営業時間 14:50−24:00(新型コロナ下、閉店時間は異なっている)
定休日 日曜
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。