12月18日(土)午後、いつものように連合会館で第33回「多田謡子反権力人権賞」受賞発表会が開催された(主催 多田謡子反権力人権基金運営委員会)。例年12月半ばの土曜ということは決まっているが、18日はまさに29歳で夭折した多田さんの命日とのことだった。没後35年になる。いつもと違うのは例年3団体・個人なのが4団体・個人とひとつ増えたことだ。この点については末尾で触れる。
今回の受賞は、差別・排外主義に反対する連絡会、フジ住宅によるヘイトハラスメント裁判・原告と支える会、布川事件の桜井昌司さん、ヘリ基地反対協海上チームの4団体・個人だった。
わたしは在日に対する差別・排外主義に関心が強いので、前2者を中心に報告する。日本社会に根深く存在する差別排外主義。過激な極右グループや会長自ら社内でヘイトをする企業も存在する。それに立ち向かうのはとても勇気のいることだと思う。しかしこの日の報告者は、大変謙虚で控えめな話し方をされた。
なおフジ住宅裁判の受賞者(原告)はお名前も写真もNGだった。また実際にどんなヘイト行為が社内であり、どんな裁判だったかは講演ではあまり触れられなかったので、HPの動画「5分で分かるヘイトハラスメント裁判」(このサイトの下のほう)をみていただければと思う。わたしは2015年の中学歴史教科書採択問題で不公正なことをしたフジ住宅の名前は知っていた。しかし、社内でも露骨なヘイトをやっていたことを知り、まったく驚いた。
1団体・個人増えたため、例年以上に長い報告になった。
桜井昌司さんについては、8月30日の「完全勝訴の布川事件国賠訴訟控訴審判決」(このサイト)も参照していただけるとありがたい。
●差別・排外主義と闘い続けて12年
差別・排外主義に反対する連絡会 三木譲さん
2009年は、4月埼玉県蕨在住のフィリピン人親子の自宅周辺でのいやがらせデモ、9月池袋の中国人商店街への街頭行動、8月三鷹市従軍「慰安婦」パネル展の妨害、12月京都第一朝鮮初級学校への襲撃と、在特会ら外国人排斥を叫ぶ集団の一連の街頭行動が続いた。それに対抗し、2010年1月差別・排外主義に反対する連絡会を結成した。7月に第1回討論集会を開催した。ふだん極右グループの活動を、ユーチューブなどの動画、SNS、HPを視聴し動静をチェックしている。そして集会主催者から相談や依頼があると、集会・イベントの防衛の手伝いをしている。現場に行き、黙って立っているだけで、普段は何も起こらない。
しかしシンポジウム会場の韓国YMCA前や名古屋の「表現の不自由展、その後」、横網の追悼集会で、彼らはトラメガを使い大音量で罵声を発し、こちらを愚弄し、挑発した(動画上映)。
極右は本当にいいところを狙っている。わたしたちが日々ややもすると見逃しがちな、心のなかで自分も差別してしまうような気持ちになる、そういう社会のひびが割れているようなところに押しかけ、社会の底を抜こうとする取り組みが繰り返されている。
ヘイト・排外主義は、毎日重ねられている小さな大切な営み、たとえば千葉の小さな教会の日曜講演会までターゲットにする。それを見逃してはいけない。
集会やデモはもちろんだが、地域のただのお祭り、映画会、住居の相談会、いろいろ課題を抱えている人に、いっしょに考えてみませんかと手を差し伸べる人々が「次はわたしのところかもしれない」と不安になり、わたしたちに連絡いただく。
そのつどわたしたちはできる限り調査する。少人数のグループなので限定されるが現場に行き、イベントが無事終了するまで見守り「次からは、いつもどおり自分たちでできそうですね」という言葉を聞き、現場を立ち去る。こういう活動を重ねている。
活動をはじめて12年、何が変わったか。今年も神楽坂のギャラリーでの「表現の不自由展・東京」が延期になった。開催しようとすると、静かな町に車を連ね大音量で罵声を浴びせる。ギャラリー前には91歳の寝たきりのおばあさんが住んでいる。何度も説明したが口汚い「演説」を1、2時間続けた。
戦争や沖縄につながる問題、外国につながる子どもたち、いろんな事情で路上で暮らす人たちの問題を取り上げたり協力すれば、「お前はこうなるぞ」というパフォーマンスだ。わたしたちの社会はそれを許してよいのか。
いま一番問題なのは、公的立場にいるパブリックな人間が、ヘイトの問題についてきちんと態度を表明していないことだ。たとえば今年8月30日オリンピック奉祝のさなか京都・ウトロ地区で放火事件があり12月6日容疑者が逮捕された。首相や法務大臣は「そういう行動はわたしたちの価値観に合致しない」とメッセージを出しただろうか。
わたしたちメンバーも今の時代を生きているから差別から離れることはできない。だから当事者の話をよく聞く、当事者が何をしてほしいか、何をしてほしくないか聞いて、現場に向かうことにしている。ある時期の市民運動の苦い経験、代行主義の陥穽に陥らないよう、当事者の邪魔にならないよう活動を重ねている。
今後も現場に行き、いろんな課題を「門前の小僧」として勉強させていただき、楽しい出会いがあるよう、活動を続けていきたい。
講演の途中、ヘイトの現場でのいくつかの動画が上映された。
「ヘイト」そのものの単語は入らないよう配慮された画像だったが「何やってんだ、コラー!」「てめえら、うるせー、お前黙れ!」など罵声の連続だった。わたしも反天連のデモなどで「射殺せよー!」「東京湾にたたきき込めー!」などと怒声を浴びせられた体験があるが、そのときは歩道とデモ隊のあいだに機動隊がいて直接ではないのでまだましだった。
「黙って立っているだけ」とのお話だったが、このグループのように対面で怒鳴られると、恐怖も感じるだろうし、怒りが爆発することもあるのではないかと思う。それを我慢し耐える行動は、きっと強い意志と勇気を要すると思う。
●社員へのヘイトハラスメントに働きながら反対し獲得した高裁判決
フジ住宅によるヘイトハラスメント裁判原告と支える会
写真は支える会・文公輝(ムンゴンフィ)さん(左は多田基金運営委員の辻さん)
事件そのものや裁判の経過はHP(このサイト)をご覧いただくことにし、わたし自身のことをお話する。
わたしは内向的な性格の人間だ。在日の子ども会の環境で育ち、在日韓国朝鮮人だからといって卑下する必要はないと理屈ではわかっていても、日々のなかで知らないあいだに入り込んでくる感覚にとらわれている自分を、自覚もできずしんどくなった時期があった。高校生時代にはまだ指紋押捺制度があった。誕生日にわざわざ役所に行き、押捺する行為そのものがとても苦しかった。押捺はおかしいとわかっていても、自分にできたのは泣きながら担当者をにらみつけることだけだった。大学に入学しいろんな仲間と出会い少しリハビリになったが、どちらかというと真正面から受け止めることを避けていた部分があった。
子どもが1歳になりパートで働くことにした。応募した会社がフジ住宅だった。入ったころは、家のことや子どものことで何かあれば「早く帰っていいよ」「もう時間過ぎたから上がっていいよ」と働きやすい会社だった。ところがあるときから、戦争美化や従軍「慰安婦」は高級娼婦と書いた配布物が机に置かれたり、渡されるようになっていった。
子どもとつながる人や子どもの友達のために、自分ができることだけはやると決めた。資料をたくさん集め、山盛りの資料をもち最初労基署に行ったが、法律がないので何もできないといわれた。
たまたま弁護士への電話相談を知り、かけてみた。本当はブラック派遣の相談だったようだが、わたしはブラック企業だと思った。電話をかけたことで弁護士とつながり2015年8月裁判を起こした。提訴により支える会ができ、そのなかで教科書の会、救援の会などいろんな人と出会えた。その結果、すごく意味のある判決を書かせることができた。
ヘイトの人とは違う、もう一つの社会の流れとして取った判決なので、しっかり生かすようにしないといけない。まだ最高裁で決まったわけでないので、具体的に何をすればよいかわからないが、そう思う。これはわたしにとって日常のできごとであり、日常から「なんとかしたい」という思いで始め、その思いをいまも持ってなんとかやっている。東京ではあまり知られていないようなので、宣伝していただきたい。
支える会事務局の文公輝さん(ムンゴンフィ NPO法人多民族共生人権教育センター)から解説があった。
フジ住宅でヘイト書類が社内配布されるようになったのは2012~13年のことだ。わたしの職場はヘイト攻撃の矢面に立つ地域、鶴橋にあり、ちょうどこのころ「韓国・朝鮮人なら何をしてもよい」と社会のタガが外れたようになった。ヘイトを規制する条例づくりの運動も行った。
フジ住宅では、コリアンを「在日は死ねよ」「野生動物」「ウソを平気でつく民族」などと、従業員が書いた文書を社内配布するできごとが起こった。今回は原告が裁判を提起したが、異議申し立てできず人知れず職場を去ったり、耐えながら仕事をしている外国人労働者や外国にルーツをもつ人が多数いることを、考えていただきたい。
今回の判決はそういう人にとても意味がある。とくに11月18日の高裁判決は「原審原告には(略)自己の民族的出自等に関わる差別的思想を醸成する行為が行われていない職場又はそのような差別的思想が放置されることがない職場において就労する人格的利益(以下単に「本件利益」という。)がある」(p16)と人格的利益を認められ、「原審被告らは、自ら職場において原審原告の民族的出自等に関わる(略)差別的思想が醸成されているのにもかかわらずこれを是正せず、放置した場合には、職場環境配慮義務に違反し、原審原告の本件利益を侵害したものとして、不法行為責任又は債務不履行責任を免れない(p16)」と事業主の是正措置の義務が地裁判決に書き加えられた。外国籍労働者は職場において人種差別的言動にさらされない権利をもつ。それだけでなく人種差別的言動が放置されることのない職場で働く権利をもつ。働く人の権利と事業主の義務が明示された判決はおそらく日本になかった。外国人住民や外国にルーツをもつ人間が職場で差別されない権利を豊かにしれくれるすばらしい判決を勝ち取ってくれた。この成果を広く知っていただき普及させ、日本全体のものにしていかないといけない。
ただ、フジ住宅は一審で敗訴しても差別的文書の社内配布を止めず、原告個人への誹謗中傷を止めなかった。それで違法文書配布差止の仮処分申請をしたところ高裁判決と同時に認められた。仮処分違反の手続きをいま行っている。フジ住宅は「日本のためにわれわれは闘う」と称し最高裁に上告し、HPにも掲載している。
支援する会は、原告が差別を受けず働けるようになるよう取り組んでいく。
●冤罪と闘った29年、そして冤罪被害者救援の闘い
桜井昌司さんは、1967年布川事件の犯人扱いで故・杉山卓男さんとともに別件逮捕され、違法な「自白」強要で無期懲役となり、29年の獄中生活を経て再審請求を続け、今年8月完全勝訴した冤罪被害者である。
桜井さんは勝った理由は2つあったと語った。ひとつは弁護団が「みんなで話し合い、みんなでやろうよ」というスタイルで、守る会が「楽しく遊ぶ会」だったこと、もうひとつは杉山・桜井のコンビ、自分の言葉で自分の思いを発信する態度にあったことを挙げた。
冤罪による29年もの獄中生活を耐えられた秘訣を「拘留されると時間の感覚がなくなる。無期懲役が確定したとき刑務所から出られないことを覚悟した。しかし人生は1回しかないのだから、どこへ行っても今日という1日を全力で生きようと決意し、それをやり切った自信がある」と述べた。
無罪で社会に戻り、詩集や歌手としてCDも出し、冤罪犠牲者の会で、昨年の受賞者・青木惠子さんや大勢の犠牲者を支援する活動を続けている。冤罪社会を正すのは簡単で、公務員である検察官が集めた証拠をすべて開示させればよい、また国に雇われる検察官でなく真に独立した組織にしないといけない。そういう制度に変えるには法律を成立させないといけない、とアピールした。
たいへんポジティブで、「冤罪を体験し、大事なのは真実だ、やましくない生活だと気づいた。だからアベも刑務所に入れて本当に更生させてあげたい」、また会場が連合会館だったので「本当はここには来たくなかった。芳野友子会長はなぜ自民党にあいさつに行くの? 労働者を守るなら、共産党云々という前に、非正規をなんとかしなさい」などの主張を織りまぜ、拍手と笑いをあげさせる楽しいスピーチだった。
●辺野古新基地反対 非暴力不服従の海の闘い
ヘリ基地反対協 海上チーム カヌーチームの山口さん(右)と船団の牧志船長
海上チームは、政府の暴力装置・海上保安庁と直接対峙するカヌーチームとそれをサポートする船団により構成されている。
山口さんは2004年にはじめて辺野古のテントを訪れ、ちょうど沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した年で「同じ日本なのに信じられない思い」がし、辺野古に通いはじめ、2014年に移住し週4日働き、週3日カヌーを漕いでいる。
牧志さんは沖縄の方で、ダイビングの指導員をしていた。2004年インストラクター仲間が辺野古のサンゴの白化現象のデータ調査をしているとき同行しきれいな海とサンゴが素早く回復する様子を知り驚いた。一方、ボーリング調査阻止のためのヤグラに寝泊まりしていたオバさんの姿をみて運動に加わった。具体的には、水中写真を撮ったり、船団の船長をしたり、水中に潜って調査するダイビングチーム・レインボーを組織したりしている。
山口さんは、辺野古「海のたたかい」は全国の多くの人の支援で成り立っていること、現地では「民主主義の学校」のように、多様なメンバーがどんな行動をするか侃侃諤諤と話し合っていることが紹介された。
牧志さんは辺野古大浦湾のきれいな水、サンゴ礁、さらに5334種もの多様な生物がおり、うち362種は絶滅危惧種であること。それが防衛局の発表ですでに8%が数百万トンの土砂で埋められ、その下に生きていた生物1/4が埋め殺されたこと、そして沖縄県と沖縄防衛局・日本政府の間でいくつもの裁判闘争があったが、県民は沖縄県を支持していることが報告された。
生き物の命を大切にすることが本質であり、犠牲はサンゴでは終わらず、75年前の沖縄の悲劇にみられるように、沖縄の人の命に及ぶ、本土の仲間たちと闘っていきたい、と締めくくった。
今回受賞団体・個人が増えたのは、故長谷川美子(よしこ)さんから多額の寄付があったからだ。長谷川さんは80年代から「行動する女たちの会」会員として街中の差別的表現やポルノ、企業の女性差別を告発する運動や、都立高校教員として教育現場から男女差別をなくす運動を展開した方だ。2020年逝去されたが、遺族を通して多田謡子反権力人権基金に多額の寄付をされ、今回4団体・個人の受賞が実現した。
運営委員から、基金の歩みの話があった。多田さんの自宅マンション売却金を遺族が寄付し、有志の寄付を合わせ2500万でこの基金が設立された。当初は金利で運営していける目論見だった。しかし低金利時代に突入し、財政的危機を2度迎えたが、そのたびに篤志家の寄付があり、今回第33回を迎えることができた。存続の危機があったことは知っていたが、詳細について伺ったのは初めてだ。
多田さんが2年足らずの弁護士生活のなかで、三里塚闘争、85年10.20成田現地闘争などの接見をしていたことは以前から聞いていた。
今回、差別・排外主義に反対する連絡会のメンバーから、多田さんが当時指紋押捺拒否者の弁護士相談センターのメンバーで、法務省への要求行動をしたとき監視弁護団として来てくれたというエピソードが披露された。もう40年近く前の話だ。
また、昨年の受賞者、青木惠子さんと冤罪被害者の西山美香さんから、桜井さんとフジ住宅裁判原告へ花とメッセージが届けられた。
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