イメージフォーラムで「選挙2」(想田和弘監督)というドキュメンタリー(観察映画)をみた。主人公・山内和彦は元川崎市議会議員。2005年の補欠選挙に自民党の落下線候補として宮前区で立候補しみごと当選した。しかし2期目(07年)は党に公認されず不出馬。今回(11年)は独立系完全無所属での立候補である。
しかし普通の選挙運動らしいことは何もしない。やったのは友人を動員しての公選ハガキの住所書き、そして区内179ヵ所の選挙ポスターのチェックくらいだ。チェックとは、剥離していたり四隅のうちの片隅がはがれていないかどうかのチェックい過ぎない。もし少しでもはがれていればテープや画鋲で補強する。そんなことを候補者本人がクルマに乗ってやっているのだ。街頭演説も原則としてしないし、ビラのポスティングもやらない。選挙事務所もなければ選挙カーもない。選挙費用は、ポスター印刷38100円(250枚)、ハガキ印刷46620円(4000枚)の合計84720円のみだった。
街頭演説も最終日に一度だけ宮崎台駅前で行っただけ。放射線の防護服とゴーグル、ガスマスクのコスプレで、「子どもにツケをまわさない」というノボリを立て、隣で3歳の長男がカンフーの真似をしていた。
原発事故からまだ1か月だったので「放射能汚染と停電のないまちづくり」「子どもや孫にツケをまわさない財政再建」「お金のかかる選挙をなくし、クリーンな政治へ」というスローガンは「正しかった」のだが・・・。
結果は1306票、14人中13位。最下位当選は5294票だったので大差の落選だった。ただ供託金没収点まではまだ400票以上の余裕があった。
山さんが選挙を熱心にやっていないので「選挙」の見せ場に乏しく、2時間半もあるので散漫で映画としてはいまひとつな感じがした。ただ 東国原英夫の講演会や、公園で遊ぶ子どもたちの映像、元の大家のおばあさんとの会話、郵便局のベンチに座り込んでのハガキの住所書き、自民党候補との路上での「いざかい」など、アドリブ的なシーンは映画としてなかなかよかった。
さて、一番最近あった選挙は7月21日投票の参議院選である。結果は自民・公明の大勝だった。この選挙でわたしはすぐろ奈緒さん(緑の党共同代表)の支援活動を行っていた。
すぐろさんは、7年ほど前「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」運営委員だった。原発反対でも核兵器反対でも、たいていの運動で社共分裂してしまうが、このときはほとんど最後まで社共合同でやっていた。もちろんすぐろさん1人の力で実現できたのではないだろうが、コーディネイト力やプロデュース能力には並々ならぬものがあった。
ただわたしは緑の党という政党については、よくわからなかった。公約では脱原発、TPP反対、消費税増税反対などを掲げていたが、これだけなら日本共産党、社民党、生活の党なども同じだし、名前がよく似ているみどりの風も同じなのではないかと思う。
緑の党は、「経済成長至上主義からスロー・スモール・シンプルな社会へ」と社会システムやライフスタイルの考え方のチェンジや、徹底的な議論による党内合意の形成など「参加民主主義」もモットーにしている点が違う。ただ具体的にどういうことなのかもうひとつよくわからなかった。
ジャンベ隊のドラムに合わせ、ゼロノミクマ(緑のクマ)とダンスするすぐろさん
まず5月末の高円寺駅北口の街宣に行ってみた。候補予定10人のうち5人のスピーチがあった。その後、7月の投票日まで、公選ハガキ書き、名簿を使った住所書き、ポスティング、ビラの証紙貼り、電話入れなどを手伝った。
7月4日の選挙初日の夕方は、西荻南口のビラまきに参加した。この場所では「(区議の)すぐろさんが参議院選に出るんですか」など、知名度が結構高かった。7月15日には新宿駅西口の街宣でビラまきもやった。すごく暑い日で、終わるとすぐ居酒屋に駆け込み生中を飲み干した。21日の最終日の20時前には、また西荻でビラまきを行った。さらにその帰りにポスティングをした。
しかし22日の投票では惨敗だった。政党得票数457,862で1議席も取れず、しかも個人票の8割以上が三宅洋平候補(この人は非党員)に集中した。すぐろさんは9109票、頼みの杉並で800票弱しか取れなかった。自民党の最低得票は太田房江さんの77000票、民主の石井一候補は12万票取っても落選だった。これではどうやっても当選できない。
日本の参議院選は1人600万という世界一高い供託金、10人候補を出さないと確認団体になれない、つまり6000万円現金が必要という現実。あとで聞くと金策だけでせいいっぱいだったらしく、選挙のことを考えたり対策を打つ余裕がなかったとのことだ。
市民と政党とのあいだの壁を再認識した選挙だった。
しかし普通の選挙運動らしいことは何もしない。やったのは友人を動員しての公選ハガキの住所書き、そして区内179ヵ所の選挙ポスターのチェックくらいだ。チェックとは、剥離していたり四隅のうちの片隅がはがれていないかどうかのチェックい過ぎない。もし少しでもはがれていればテープや画鋲で補強する。そんなことを候補者本人がクルマに乗ってやっているのだ。街頭演説も原則としてしないし、ビラのポスティングもやらない。選挙事務所もなければ選挙カーもない。選挙費用は、ポスター印刷38100円(250枚)、ハガキ印刷46620円(4000枚)の合計84720円のみだった。
街頭演説も最終日に一度だけ宮崎台駅前で行っただけ。放射線の防護服とゴーグル、ガスマスクのコスプレで、「子どもにツケをまわさない」というノボリを立て、隣で3歳の長男がカンフーの真似をしていた。
原発事故からまだ1か月だったので「放射能汚染と停電のないまちづくり」「子どもや孫にツケをまわさない財政再建」「お金のかかる選挙をなくし、クリーンな政治へ」というスローガンは「正しかった」のだが・・・。
結果は1306票、14人中13位。最下位当選は5294票だったので大差の落選だった。ただ供託金没収点まではまだ400票以上の余裕があった。
山さんが選挙を熱心にやっていないので「選挙」の見せ場に乏しく、2時間半もあるので散漫で映画としてはいまひとつな感じがした。ただ 東国原英夫の講演会や、公園で遊ぶ子どもたちの映像、元の大家のおばあさんとの会話、郵便局のベンチに座り込んでのハガキの住所書き、自民党候補との路上での「いざかい」など、アドリブ的なシーンは映画としてなかなかよかった。
さて、一番最近あった選挙は7月21日投票の参議院選である。結果は自民・公明の大勝だった。この選挙でわたしはすぐろ奈緒さん(緑の党共同代表)の支援活動を行っていた。
すぐろさんは、7年ほど前「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」運営委員だった。原発反対でも核兵器反対でも、たいていの運動で社共分裂してしまうが、このときはほとんど最後まで社共合同でやっていた。もちろんすぐろさん1人の力で実現できたのではないだろうが、コーディネイト力やプロデュース能力には並々ならぬものがあった。
ただわたしは緑の党という政党については、よくわからなかった。公約では脱原発、TPP反対、消費税増税反対などを掲げていたが、これだけなら日本共産党、社民党、生活の党なども同じだし、名前がよく似ているみどりの風も同じなのではないかと思う。
緑の党は、「経済成長至上主義からスロー・スモール・シンプルな社会へ」と社会システムやライフスタイルの考え方のチェンジや、徹底的な議論による党内合意の形成など「参加民主主義」もモットーにしている点が違う。ただ具体的にどういうことなのかもうひとつよくわからなかった。
ジャンベ隊のドラムに合わせ、ゼロノミクマ(緑のクマ)とダンスするすぐろさん
まず5月末の高円寺駅北口の街宣に行ってみた。候補予定10人のうち5人のスピーチがあった。その後、7月の投票日まで、公選ハガキ書き、名簿を使った住所書き、ポスティング、ビラの証紙貼り、電話入れなどを手伝った。
7月4日の選挙初日の夕方は、西荻南口のビラまきに参加した。この場所では「(区議の)すぐろさんが参議院選に出るんですか」など、知名度が結構高かった。7月15日には新宿駅西口の街宣でビラまきもやった。すごく暑い日で、終わるとすぐ居酒屋に駆け込み生中を飲み干した。21日の最終日の20時前には、また西荻でビラまきを行った。さらにその帰りにポスティングをした。
しかし22日の投票では惨敗だった。政党得票数457,862で1議席も取れず、しかも個人票の8割以上が三宅洋平候補(この人は非党員)に集中した。すぐろさんは9109票、頼みの杉並で800票弱しか取れなかった。自民党の最低得票は太田房江さんの77000票、民主の石井一候補は12万票取っても落選だった。これではどうやっても当選できない。
日本の参議院選は1人600万という世界一高い供託金、10人候補を出さないと確認団体になれない、つまり6000万円現金が必要という現実。あとで聞くと金策だけでせいいっぱいだったらしく、選挙のことを考えたり対策を打つ余裕がなかったとのことだ。
市民と政党とのあいだの壁を再認識した選挙だった。