昨年の夏、蒲田の街歩き+銭湯・居酒屋に行ってたいへん幸福な時間を過ごせたたので、第二弾として今年は北千住に行ってみた。
江戸周辺には宿場が4つあった。 日光街道の千住宿、東海道の品川宿、中仙道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿だ。このなかで千住が最大で人口1万人を超えていた。1689年松尾芭蕉は深川の庵を船で出発し千住で上陸した。つまり千住は奥の細道のスタート地点なのである。まず駅前の丸井の10階で千住宿の大きなジオラマをみる。宿場は東西300m、南北2800mあったが、そのうち300mを再現したものだ。
屋外に出て、荒川の近くの清亮寺、名倉医院に行き、荒川の河原のグランドを見下ろした。
清亮寺は水戸黄門が槍を立て掛け有名になった「槍かけの松」がかつてあった。いまは寺が経営する幼稚園の園庭になっている。名倉医院は江戸時代から続く整形外科の病院だ。グランドでは、子どもたちが野球の試合をやっていた。
河原の土手を下りて宿場町通りを歩く。一見伝統的な商店街なのだが、かどやの槍かけだんご、横山家住宅などがありさすが江戸の趣がある街だ。たまたま本氷川神社の秋の祭礼の日だった。居酒屋では、有名な大はしや藤やが臨時休業だった。駅に近いあたりにコンサートホールという建物があった。てっきり市民文化会館のような施設かと思ったら、2階建て690台の機械を擁する大型パチンコ店だった。それで近隣のランドマークになっているらしく、神輿の通過ポイントのひとつになっていた。
そしていよいよ千住寿町の大黒湯に入った。とにかく屋根が立派だ。破風屋根が立派な銭湯はたくさんあるが、ここはその上の大屋根も大きく立派だ。ふつうは屋根の下の正面が玄関なのだが、ここはどういうわけか右手が入口になっている。玄関で男性と女性に分かれるのかと思ったら、入口はひとつしかない。カーテンの向こうに女性の姿が見えるので女風呂かもと、しばらく出たり入ったりためらったがやはりここしかないと入ってみた。かなり広いサロンで飲み物を飲めるようになっていて右手にフロントがあった。突き当りには広い縁側があり、その先には庭があり、池に鯉まで泳いでいた。
脱衣場はロッカーが64人分、それと別に常連の石鹸などを収納できる小さいロッカーが36個あった。片隅の壁にはかなり大きな額がかかっていた。よくみると木に白い鳥が止まっている。店の方に伺うと、花鳥風月の絵だそうだ。ただし商売が銭湯なのでどんどん絵の具がはげてしまったとのこと。80年を越す建物なのでまさに文化財ものだ。
浴室には、90センチほどのかなり深いジェット座り風呂、ジェット寝風呂、水風呂の3槽がある。カランは30個なのでふつうの規模だ。立ちシャワーも2台あった。そしてうれしいのが露天風呂だ。露天なら西新宿の羽衣湯にもある。しかし羽衣湯は天井だけ露天で回りは壁に囲まれている。湯船は3人ほどしか入れない狭さだ。それに対しここはかなり広く、かつ石灯籠まである庭に面している。
あとで銭湯に詳しい人に聞くと大黒湯は東京でも有数の、歴史がある立派な銭湯なのだそうだ。一見(ひと浴び)の価値がある。
続いて居酒屋めぐりだ。超有名な立ち飲み居酒屋・割烹くずし「徳多和良」に向かった。17時オープンと聞いていたのだが、じつは16時オープンだった。16時20分に行くとすでに10人並んでいた。しかも入口に「1回3人まで、時間制限もある」と注意書きがある。あとで聞くと制限時間は1時間だそうだ。出てくる人でほろ酔い顔の人はいない。
おかげで30分くらいしたところで入場できた。その時点で、後ろに15人ほど並んでいた。店内はカウンターばかりの立ち飲みで20人弱入れそうだ。店のスタッフは男性1人、女性4人、家族のように見えた。料理は、ウワサのとおり315円が基本だ。石鯛の刺身と白魚の酒蒸しが400円、さんまの塩焼き、きんきの煮つけが525円とじつに良心的だ。わたしは里芋の白煮、ほっき貝の刺身、かき揚げを注文した。どれもていねいに料理されている。注文した酒は本菊泉の常温とキリンフリー(小びん)で合計1680円。隣のアベックは「そろそろお時間です」とせかされていた。わたくしは30分あまりで退出した。落ち着かない店だった。
最後に駅近くの千住の永見に行った。永見には、10年も前になるが大はしに行った帰りに一度寄ったことがあり、ぜひもう一度行きたいと思っていた店だ。1階はカウンターを入れて40席ほど、2回はみていないがかなり広そうだ。げそ揚げ(420円)、山芋の千切り(370円)、厚揚げ焼きを食べた。ごく普通の店だが、メニューが豊富でどれもうまい。ほっとする店である。みんなニコニコ顔だった。
☆北千住の東口近くには、いまから15年くらい前の1997年から99年に増田都子さんが勤務していた足立第十六中学校があった。場所は区民事務所の職員の方に教えてもらった。足立学園の北側で、いまは東京電機大学千住アネックスになっている。
江戸周辺には宿場が4つあった。 日光街道の千住宿、東海道の品川宿、中仙道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿だ。このなかで千住が最大で人口1万人を超えていた。1689年松尾芭蕉は深川の庵を船で出発し千住で上陸した。つまり千住は奥の細道のスタート地点なのである。まず駅前の丸井の10階で千住宿の大きなジオラマをみる。宿場は東西300m、南北2800mあったが、そのうち300mを再現したものだ。
屋外に出て、荒川の近くの清亮寺、名倉医院に行き、荒川の河原のグランドを見下ろした。
清亮寺は水戸黄門が槍を立て掛け有名になった「槍かけの松」がかつてあった。いまは寺が経営する幼稚園の園庭になっている。名倉医院は江戸時代から続く整形外科の病院だ。グランドでは、子どもたちが野球の試合をやっていた。
河原の土手を下りて宿場町通りを歩く。一見伝統的な商店街なのだが、かどやの槍かけだんご、横山家住宅などがありさすが江戸の趣がある街だ。たまたま本氷川神社の秋の祭礼の日だった。居酒屋では、有名な大はしや藤やが臨時休業だった。駅に近いあたりにコンサートホールという建物があった。てっきり市民文化会館のような施設かと思ったら、2階建て690台の機械を擁する大型パチンコ店だった。それで近隣のランドマークになっているらしく、神輿の通過ポイントのひとつになっていた。
そしていよいよ千住寿町の大黒湯に入った。とにかく屋根が立派だ。破風屋根が立派な銭湯はたくさんあるが、ここはその上の大屋根も大きく立派だ。ふつうは屋根の下の正面が玄関なのだが、ここはどういうわけか右手が入口になっている。玄関で男性と女性に分かれるのかと思ったら、入口はひとつしかない。カーテンの向こうに女性の姿が見えるので女風呂かもと、しばらく出たり入ったりためらったがやはりここしかないと入ってみた。かなり広いサロンで飲み物を飲めるようになっていて右手にフロントがあった。突き当りには広い縁側があり、その先には庭があり、池に鯉まで泳いでいた。
脱衣場はロッカーが64人分、それと別に常連の石鹸などを収納できる小さいロッカーが36個あった。片隅の壁にはかなり大きな額がかかっていた。よくみると木に白い鳥が止まっている。店の方に伺うと、花鳥風月の絵だそうだ。ただし商売が銭湯なのでどんどん絵の具がはげてしまったとのこと。80年を越す建物なのでまさに文化財ものだ。
浴室には、90センチほどのかなり深いジェット座り風呂、ジェット寝風呂、水風呂の3槽がある。カランは30個なのでふつうの規模だ。立ちシャワーも2台あった。そしてうれしいのが露天風呂だ。露天なら西新宿の羽衣湯にもある。しかし羽衣湯は天井だけ露天で回りは壁に囲まれている。湯船は3人ほどしか入れない狭さだ。それに対しここはかなり広く、かつ石灯籠まである庭に面している。
あとで銭湯に詳しい人に聞くと大黒湯は東京でも有数の、歴史がある立派な銭湯なのだそうだ。一見(ひと浴び)の価値がある。
続いて居酒屋めぐりだ。超有名な立ち飲み居酒屋・割烹くずし「徳多和良」に向かった。17時オープンと聞いていたのだが、じつは16時オープンだった。16時20分に行くとすでに10人並んでいた。しかも入口に「1回3人まで、時間制限もある」と注意書きがある。あとで聞くと制限時間は1時間だそうだ。出てくる人でほろ酔い顔の人はいない。
おかげで30分くらいしたところで入場できた。その時点で、後ろに15人ほど並んでいた。店内はカウンターばかりの立ち飲みで20人弱入れそうだ。店のスタッフは男性1人、女性4人、家族のように見えた。料理は、ウワサのとおり315円が基本だ。石鯛の刺身と白魚の酒蒸しが400円、さんまの塩焼き、きんきの煮つけが525円とじつに良心的だ。わたしは里芋の白煮、ほっき貝の刺身、かき揚げを注文した。どれもていねいに料理されている。注文した酒は本菊泉の常温とキリンフリー(小びん)で合計1680円。隣のアベックは「そろそろお時間です」とせかされていた。わたくしは30分あまりで退出した。落ち着かない店だった。
最後に駅近くの千住の永見に行った。永見には、10年も前になるが大はしに行った帰りに一度寄ったことがあり、ぜひもう一度行きたいと思っていた店だ。1階はカウンターを入れて40席ほど、2回はみていないがかなり広そうだ。げそ揚げ(420円)、山芋の千切り(370円)、厚揚げ焼きを食べた。ごく普通の店だが、メニューが豊富でどれもうまい。ほっとする店である。みんなニコニコ顔だった。
☆北千住の東口近くには、いまから15年くらい前の1997年から99年に増田都子さんが勤務していた足立第十六中学校があった。場所は区民事務所の職員の方に教えてもらった。足立学園の北側で、いまは東京電機大学千住アネックスになっている。
いくつかある「銭湯ブログ」にありました、「男湯は右側が定番」。
ところが オイラがかよった風呂屋は 男湯が 入って「左側」だったです。
脱衣所には、風呂屋の長女と双子の次女、番台にはその母。お父さんは火の番で、裏方です。
で、子どものオイラが風呂からあがると、その3姉妹のうち、居合わせた1人が、風呂上がりのオイラの汗をふき、パンツを履かせてくれるの、、、、でした。
当時、少し恥ずかしかったです、いま思い出すと、「ヨカッタ」ですね。
ン10年、散歩で たまにそのあたりを歩きますが、 今では どこにでも見かける 建売住宅が いくつも建っているのです、、、。
(お湯割りが旨いデス)