多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

アキヒトの20年

2009年02月17日 | 集会報告
アキヒト天皇は昨年12月23日で満75歳、立派な後期高齢者である。しかし「公務」に励み、元日には「多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます」と「心の共同体」を維持しようとする「ご感想」を発表した。今年は「即位礼」20年に当たり、11月12日を祝日にしようという動きもある。これに対抗する「「天皇在位20年」を祝わない! 2.11反「紀元節」行動」という集会が、恵比寿区民会館で開催された(参加130人)。伊藤晃さん(日本近現代史)の講演を紹介する。

天皇制はなくてもよいが、あっても別に悪くはないというのが一般的な受け止め方だ。消極的好意とでもいえる。これはひとえにアキヒトの20年の努力の成果である。
アキヒト天皇は、即位の朝見の儀で「憲法を守る」と発言し、04年秋の園遊会で「国旗国歌は、強制にならないことが望ましい」と米長邦雄・永世棋聖に述べ、人びとに好意的に受け入れられた。象徴天皇派の形成に成功したといえる。平和と民主主義意識が支える天皇制が伝統的天皇主義を圧倒し、多数派になり、現代の天皇主義の主流を形作っている。いまや伝統的天皇主義も、わたしたちのような反天皇制主義も、ともに一般民衆から浮き上がっている。
しかし天皇制が安定しているかというと、いま支配集団側に天皇制への迷いが生じている。皇統問題は、皇室典範改正で解決可能なので根本問題ではない。「マサコの心の病いは皇室そのものに原因がある」という論調に対、し08年12月羽毛田・宮内庁長官が定例会見で述べた「皇室の伝統を受け継ぎ、今日の時代の要請に応えようと一心に働き続けた両陛下は深く傷ついた」という問題のことである。20年かかって天皇が築き上げた業績が水泡に帰すかもしれない。
ではアキヒトの業績とは何だろう。大きく分けると3つの分野がある。
まず皇室外交がある。国家間関係には本質的に対立、差別、支配、不平等など不快で冷徹な要素が含まれる。皇室外交の本質には、平和、平等の観念を持ち込み、人々ののどを通りやすいようにする潤滑油の機能がある。天皇は即位直後の91年に東南アジア、92年に中国を歴訪した。この時期はカンボジアにはじめてPKOで派兵した時期と重なる。皇室外交は日本の戦争責任の問題に深く関係する。本来、戦争責任については国民の謝罪と補償が必要なのに、しきりに天皇が「過去に迷惑をかけた」「遺憾である」と口をさしはさむ。しかも「天皇の戦争責任」については一言も触れない。そこには天皇の戦争責任回避を通して、日本国家の責任回避を図るねらいがあることは間違いない。日本政府の根本的な立場は「国家無答責」の主張である。被害者への国家補償はいっさい認めない。また過去と現在を切り離し、現在は和解の時代であり、それを過去の遺憾な事態により壊してはいけないとして、過去を清算しようとする。その和解のことばを述べるのが天皇の役割である。本来民衆のあいだで実現すべき和解なのに、国家間の和解にすりかえている。日本は戦前はアジアの秩序破壊者として行動したが、戦後は冷戦の助けを借りて、国際協調の行動へと切り替えた。アジアにおける日本の支配的地位を再び確立するうえで、平和、親善の観念でくるみ込む皇室外交は不可欠であった。
次に慰霊がある。アキヒトは沖縄を何度も訪問し、サイパンにも行った。私の周囲の人には、好意的に受け止める人が多い。天皇は沖縄の犠牲者の魂は自分こそが鎮められると考えているに違いない。全国戦没者追悼式などで述べる「平和と繁栄の礎となった300万人の戦争犠牲者」という考えは、民衆の平和意識を過去の問題とし、さらに国民的視野のなかに閉じ込めてしまう。このように平和意識をある一定の方向に誘導する働きを担っている。また天皇はPKOによる死者にも弔意を表す。かつての靖国と同じように現代的な「お国のため」という考えである。平和といっても、一般的な世界平和に拡散させるのではなく、日本という国家に収束させている。したがって伝統的な天皇主義とのつながりから逃れることはできないだろう。
3番目に、国民の間に心の共同体をつくる行為がある。地震や災害が発生すると被災地にかけつけ、社会的弱者を見舞い、励ます。パラリンピックにも熱心だ。そしてメディアを通してパフォーマンスをみせつける。20年間技術を磨き、開発したパフォーマンス術である。ヒロヒトは手の動きもぎごちなくかったが、アキヒトは顔を寄せて話しかけたり、ねっとりした行為を臆面もなく堂々と実演する。このパフォーマンス術を皇太子はまだ引き継げていない。
心の共同体を上から媒介し、人々の統合のモデルを指し示す。戦後の憲法で日本は天皇の国家から、天皇と国民がみんなでつくる国という建前になった。いっしょにつくっているという心のあり方を、天皇がイニシアティブを取り、つくりだす行為である。それも情におけるつながりをつくり、情の回路をつくりだす。戦後の民衆意識を計算し、民衆に寄り添うかたちで誘導するものだった。権力装置にとりまかれてやっているので矛盾はある。しかし民衆はあまり違和感を感じていない。
これらの業績が皇太子につながらないところに危機がある。またいままで適応してパフォーマンス行為をしてきた国際政治そのものがいま変化しつつある。近代天皇制はこれまでも世界の体制に適応を試みた歴史をもつ。明治には列強支配に抗して日本を強国に作り変えることに成功した。しかし成功したとみえたとき、20世紀に入り列強の国際協力による世界支配と本格的な植民国家の時代に変わり、それへの適応に失敗した。戦後はそのやり直しの時期で、2代にわたり国際協調と民主主義の時代に適応した天皇制をつくることに成功した。成功したとみえたときに時代は21世紀に入った。一歩ずつ遅れて適応している。いまアメリカの一国支配が弱まろうとしている。一方ここ30年ほど日米軍事同盟の再編構造化が進んだが、田母神論文にみられるように、日本の軍事をアメリカから解き放ちたいという願望が表れている。ある種の反米的態度が表れている。今後、反米思考が高まれば天皇制イデオロギーが声高に叫ばれるだろう。
現実の戦後天皇制は、極東国際軍事裁判で救ってもらった恩義があり親米だったので、矛盾が生まれるだろう。アメリカの視線はヨーロッパ、ロシア、中国、インドなど国際政治の多極化に広がり、ここでも反米が生まれるかもしれない。
天皇制は新しい局面にどう対応するのだろうか。アジアのなかの日本の位置づけを問い直さざるをえない。その時戦争責任や歴史問題がもう一度重要性を持ち立ち現れるだろう。また国民一体のための心の共同体づくりも、いま経済危機のなかで崩壊しつつある。従来は弱者をいたわり励ませばよかったが、いまや人々が「弱者はわたしたち」と自覚する時代になった。社会的危機を自分の問題とし、民衆が自ら社会を再生する動きが高まれば、天皇制に対抗する軸をつくることができる
ミチコは「マヤコフスキーエセーニンの詩が好きだ」という。言語学者・田中克彦氏はそれでミチコが好きになったという。象徴天皇派が社会の変化に適応しようとするならこういう方向かもしれない。
一方わたしたちは象徴天皇派が時代の変化に取り残されかかっている現状を冷静にみて、新たな対立軸をつくりだす努力をする必要がある。

講演のあと、山谷争議団、女性と天皇制研究会、立川自衛隊監視テント、「天皇即位20年奉祝」やめろ!行動、えーかげんにせーよ共同行動、東京にオリンピックはいらないネット、日韓民衆連帯全国ネットワーク、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、「山谷」制作上映委員会などから、各団体の活動報告と天皇在位20年奉祝反対のアピールがあった。

☆いつものように公安の人数がすごい集会だった。ただ右翼は同じ時間に明治神宮会館で開催された「建国記念の日奉祝中央式典」に参加していたようで、大日本愛国党の女性が一人、旗を立てスピーカーで演説していただけだった。
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