広報邂逅記

広報宣伝に携わる私が、世の中の面白いこと、美味しいものや温泉鉄道旅を紹介します。(⌒∇⌒。)三(。⌒∇⌒)。

ブログ180912 大阪淡路島の旅二日目~淡路島 廃線跡を訪ねて

2018-12-17 23:35:41 | 食べ物
15:30
淡路文化資料館でもらった資料を元に廃線跡をたどる旅のスタート!

まずは、今はバスの、車庫になっている場所で撮影


壁が邪魔で上手く撮れなかったが、確かにこの写真のようなホーム跡と屋根は残っていた


ブラタモリだっただろうか?
よく、電柱に古い地名が残っているというが、確かに
「駅前」という地名が刻まれている


電柱に番地があるのを以前は知らなかったが、古き時代を知るには便利なのだ!


さすがに建物の中は入れないので、残念。
この入口の先にホーム跡があります


右側の中央分離帯のようになっている所が、廃線跡のようです。

路面電車の電停に近いかも。

写真を見ると一両編成だし、路面電車に近かったのかなぁ?


この道も廃線跡のようです。


電柱の住所が地図の示す住所に近いかも


この交差点辺りに駅があったようです


見つけました!
ここが駅の跡です!

この土塁の幅と平らなところと、桜!
まさに駅があったことを証明している!!


峠越えの探索経験のおかげで、すっかり峠のスイッチバックや廃線駅の見つけ方をマスターしてしまっている自分が怖い(笑)
英才教育を受けただけある

http://rail.hobidas.com/blog/natori/sp/archives/2013/10/17_11.html


本当に見るからに駅があったなぁと思うのは自分だけか?


ちょうど、ゴミだしに出てきた老夫婦に聞いたら、やはり昔、ここに駅があったそうだ。


この、トラックの辺りに転車台もあったそうだ。
昔に想いを馳せて、感慨深い


そして、そのご夫婦にもう一つの廃線名所の場所も教えてもらった。
ラッキー♪
やはり、人との出会いは大切だ。
私なんてそれだけで、生きてこれたようなもの。
ありがたや。




この先はどんな感じに線路は繋がっていたのどろうか?





これを読んでくれた人が廃線跡を見つけられるよう、道路からの風景も撮影。
桜が目印です


この傾斜が鉄道の土塁ぽい


どんな風に電車は走っていたのだろうか?


春は桜が綺麗な駅だったんだうなぁ。
廃線になって50年だから、この桜は樹齢50年以上で、ずっとこの風景を見守ってきたのだろうなぁ。


全体の風景です。
見つけられるかな?


16:25
もう一つ見つけたかった廃線跡。
橋梁の跡です!


先程の駅の跡であった老夫婦に教えていただけたおかげで、見つけられました

やはり、橋梁の土台を見つけると感動はひときわ大きい!!


角度が難しくて、なかなか両側を一緒に上手く撮れません(T∀T)


ちょうど、この橋梁の現在の持ち主?のおばさんが庭の掃除をしていて、声をかけたら庭に入って見てもいいと言ってくれたので、お言葉に甘えて撮影

超ラッキーである


橋梁の上に家が建っており、不思議な感じ

その先はこの道に続くのか?


小さな小川のような川だけど、こんな立派な橋梁で越えて行ったのだなぁ

それにしても、家を建てた時によく残したなあ


親切なおばさんは「年に何人か、マニアな方が見に来るのよ」と言っていた。
「でも、女性は初めてねぇ」とも。

それは、そうであろう。。。


こんな感じの場所です


駅の跡で老夫婦に教えてもらわなかったら!絶対に見つけられなかった。

道路からはわからいなぁ


橋梁跡の入口付近の電柱番号


この家と家の隙間を抜けていくと橋梁跡があります。
女性ならともかく、怪しいオタクだと完全に不審者と思われることでしょう…


訪ねる場合は、この風景を目印に!

16:33
橋梁を見つけられて大満足で、退却


16:45
次は、もっと大きな川に架かる橋梁跡

ここだと思うのだが、草が生い茂っていて分かりにくい。


やはり、夏より冬などの枯れた時期が廃線跡を辿るには適していると、教えられたがその通りである。


それにしても、宝探しをするような感じで楽しい時間であった!

これは、資料館でもらった廃線跡の資料

バスの車庫になっているのは旧洲本駅のようです。






二本松駅は交差点名で残っていた


桜が残っていたのは
広田駅

橋梁の橋台跡は

納~広田間


この住宅は現在も残っています


広田~長田間のこの巨大な橋台はみつけられませんでした…(T∀T)


桜のある広田駅は今も面影が残る




掃守~おのころ島間の相成川岸の橋台は、最後に撮った写真の場所のような気がするが、草が多くて、古いのか?新しいのか?見極めがつかない…














洲本から福良までの路線図


昭和12年の立体路線図


淡路鉄道の歴史と路線図


大正11年(1922年)に淡路鉄道の歴史は始まったようだ


1966年9月30日に島民に惜しまれながら、その幕をとじた


現代の地図と路線図を照らし合わせた図。
路線図は手書きの赤の部分


だいぶ幹線道路から外れている部分もある




この探索をした時は携帯が古くて覚束なかったのですが、こんな素晴らしいサイトを後から見つけました。
ご参考に

▼廃線探索 淡路鉄道
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/130120awajitetudou.html


http://pyoco3.c.ooco.jp/kansai/awazi/awazi.html
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