エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

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2021-10-18 10:23:35 | 地獄の生活

このゲームに賭けられたものの大きさを考え、フォルチュナ氏はすっかり沈着さを取り戻していた。マダム・ダルジュレに鋭い一瞥を投げ、彼女がどのような人間か判断した。このような女性の心をつかむためには、最初の一撃で頭がくらくらするようなショックを与えることが必要だ、と考えた。

 「あなたに大変不幸な知らせを持って参ったのです、マダム」彼は述べ始めた。「貴女様にとり身近な大切な方が昨夜悲劇的な事故に見舞われ、今朝亡くなられたのです……」

 この不吉な出だしもマダム・ダルジュレの心に響いた様子はなかった。

 「誰のことを言っておられるのですか?」と彼女は冷ややかに尋ねた。

 フォルチュナ氏は殊更に荘厳な様子を見せつけ、重々しい声で答えた。

 「貴女の兄上、ド・シャルース伯爵です……」

 彼女は立ち上がり、痙攣的に身体中を震わせた。

 「レイモンが死んだ、ですって……」彼女は口の中で呟いた。

 「遺憾ながら、そうなのでございます、マダム。貴女様が指定なさったオンブールの館に向かおうとしておられたときのことです」

 これはフォルチュナ氏の口を衝いて出たまったくの出鱈目だったが、嘘とも言い切れなかった。それに、そう言えば彼が事情をよく知っている人間という印象を与えるという利点もあった。このしたたかな駆け引きがマダム・ダルジュレに気づかれなかったことは確かであった。彼女は椅子にぐったりと腰を下ろした。顔色は蠟よりも白くなっていた。

 「どのように死んだのですか?」彼女は尋ねた。

 「脳卒中の発作でございました」

 「まぁ、なんてこと!」彼女は叫び、このとき真実に思い当たったようであった。「ああ、まぁ、どうしましょう!私の手紙が彼を殺してしまったんだわ!」

 ここで彼女の気力が萎え、また目から涙が溢れた。それまでも散々苦しみ、泣き暮れていたというのに……。この光景にフォルチュナ氏が全く心を動かさなかったと言うのは行き過ぎであろう。彼は仕事以外では情にもろい男であった。しかし、かくも迅速に思い通りの結果を得られたという満足感が彼の同情心を鈍らせていた。なんとマダム・ダルジュレはすべてを告白したではないか! これは紛うことなき勝利だった。実はマダム・ダルジュレが何もかも否定し、最初の挨拶の言葉以外何も言ってくれないのではないか、と危惧していたからだ。確かに、彼の懐具合とド・シャルース伯爵の相続との間にはまだ様々な障害が横たわっていることは承知していたが、彼はそれらを乗り越えられるという希望を捨ててはいなかった。このような輝かしい勝利を収めた後とあっては。10.18

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1-XV-8

2021-10-17 12:35:13 | 地獄の生活

マルグリット嬢とマダム・ダルジュレが敵対するか同盟関係を結ぶかによって事件は紛糾するか解決に向かうか、どちらかの結果となり、上手くやりさえすれば彼に利益をもたらすことになるだろうと。

 しかしこの瞑想は隣室からの何やら言い争う声によって邪魔された。彼はすぐさま声の方向に近づき、何か聞き取ろうと耳を澄ますと、男の野太い声が次のように叫ぶのが聞こえた。

 「一体何なんです! ブイヨット(昔のカードゲーム)の佳境に差し掛かっているところを抜けて、貴重な時間を割いて貴女のところにはせ参じたというのに、この扱いですか!……クソッたれ!……自分に関係のない問題に首を突っ込むとどうなるか、の良い教訓になりましたよ……それではさらばです、マダム、いつか高い代償を払って分かる時がきますよ。貴女がそんなにも大事にしておられるコラルト氏というのがどういう人物かをね……」

 このコラルトという名前はフォルチュナ氏の記憶に深く刻まれている名前の一つだったが、今はそのことに気づかなかった。彼の全神経は今聞いたことに集中し、それを現在の懸案の事項に結び付けようと懸命になっていた。そうしたことから彼を現実に引き戻したのは、ドアの戸枠に触れる衣擦れの音だった。マダム・リア・ダルジュレが入って来た。

 彼女は青いサテンの折り返しのある非常にエレガントなグレーのカシミアの部屋着を着て、髪は上品に結われていた。普段の入念な身だしなみを何一つ忘れてはいなかったが、それでも彼女が四十歳を超えていることは誰の目にも明らかだった。彼女の陰気な顔つきからは希望のない諦めが読み取れたし、赤く充血した目とその周囲の青い隈がごく最近の涙の跡を物語っていた。彼女はフォルチュナ氏をじろじろ見つめ、ぶっきらぼうな、これ以上ないほど突き放した口調で尋ねた。

 「私にお話がおありだとか?」

 フォルチュナ氏は頭を下げた。殆ど狼狽していたと言ってもよい。彼が予想していたのはブーローニュの森を黄土に汚れアンモニア臭をぷんぷんさせた馬で乗り回す頭の空っぽな女であったが、全然違った。目の前にいるのは容色が衰えたとはいえ、自分の家系に誇りを持つ威厳ある態度の女であり、彼は圧倒された。

 「実はその、奥様」彼は口ごもった。「非常に重要な案件について話し合うために参ったのです」

 彼女は肘掛椅子にばたりと座りこんだが、相手に椅子を勧めることはせず、言った。

 「お話しなさい」1017

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1-XV-7

2021-10-15 09:48:09 | 地獄の生活

 彼は名刺を差し出した。それには彼の名前の下に次のように書かれてあった。

『清算---破産処理』

 『公務に携わっている』という言葉が生み出す効果は計り知れないものがある。すぐに連想されるのは二枚舌を使ういかがわしい人物、法律を巧みに解釈する危険な人物、差し押さえ執達吏及びその立会人の先触れといったものなので、丁重に扱うのが無難というものだ。

 「ああ、貴方様は公務の方でいらっしゃいますか」と老僕は言った。「それならば話は別でございます……どうかこちらへ御足労願いとうございます」

 願われたフォルチュナ氏はその男について行った。案内されたのは二階の大サロンで、マダムを呼びにやりますので座ってお待ちくださいとのことだった。

 「ようし!」と彼は思った。「始まりは上々だ」

 一人で座っている間に彼はサロンにあるものを一々調べ始めた。これから戦場となる場所を点検する将軍のように。

 この部屋からは、夜の間に繰り広げられた痛ましい騒ぎの痕跡は見えなかった。半分壊された大燭台が暖炉の上に乗せられている以外は。この燭台はパスカル・フェライユールが身体検査をされそうになったとき、これを武器に身を護り、逃げる際に中庭に捨てていったものであった。しかしこのようなことはフォルチュナ氏の脳裏には浮かばなかった。彼が不審に思って目を留めたのはシャンデリアの上に配置された巨大なシェードであった。それが何のためのものか理解するのにしばらく時間がかかった。 

圧倒されるほどではなかったにせよ、この屋敷の贅沢さは彼を驚かせた。

 「王侯貴族並みだなこりゃ……」と彼は呟いた。「頭のいかれた連中はシャラントン(セーヌ川とマルヌ川が合流する地域。古くから戦場となってきた)だけにいるとは限らんようだ……。マダム・ダルジュレがかつては貧しい暮らしをしていたとしても、今は全くその気配はないな」

 やがてごく自然な流れとして、このように豊かな暮らしをしている女性が一体なぜド・ヴァロルセイ侯爵の共犯者になったのか、という疑問が浮かんだ。あのような卑劣で汚らわしい行為に加担するとは。フォルチュナ氏でさえ激しい嫌悪を覚えるような……。

 「してみると彼女は共犯者ではないのかもしれん?」と彼は考えた。そして、運命の悪戯によってド・シャルース伯爵が置かれた立場---まだ認知していない娘と口にすることさえ拒否していた妹との間に置かれてしまった---のことを考えると、哲学的な瞑想に入り込んでいた。この数奇なめぐり合わせを思うと彼は身震いし、彼の内で漠然とした予感のようなものが、この状況を読み解く核心はそこにある、と密やかな声で囁いていた。

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1-XV-6

2021-10-14 08:29:49 | 地獄の生活

 フォルチュナ氏はびくっと身体を震わせた。その名前はド・ヴァロルセイ侯爵が忌まわしい奸計を実行するつもりだと言った際に出た名前だ、ということを彼は思い出した。マルグリット嬢の愛する男がその名誉に泥を塗られたのは、その女性の家でのことであった。しかし彼は内心の驚きを隠し、率直な口調で言った。

 「綺麗な名前だな! で、何をしている人なんだい、その人は?」

 「そうさね……まぁ何と言うか、遊び暮らしている人ですね……」

 フォルチュナ氏は羨ましそうな様子をして見せた。

 「そうなのか……あんな家に暮らしてるんだから、さぞ立派に遊び暮らしてるんだろうな……やっぱり綺麗な人なんだろうな?」

 「そりゃ好みによるでしょうね……どっちにしてももう若くはないですよ。でも素晴らしい金髪でね。それに色が白い……雪のように白いってやつですよ。おまけに姿も良い。何から何まで高級ずくめときてる。いつも現金で支払うんですよ、全額即金でね」

 もはや疑いの余地はなかった。このワイン商が並べ立てる描写は、エルダー通りの館の主人の言葉から連想させる人物にぴったり当てはまった。

 フォルチュナ氏はスグリのシロップを飲み終え、五十サンチームをカウンターの上に放り投げた。それから通りを横切り、大胆にもダルジュレ邸の呼び鈴を鳴らした。もし誰かに、何をし、何を言うつもりかと尋ねられたとしたら、彼の正直な答えは『分からない』だったであろう。ただ彼の頭の中ではその目的はしっかり固まっており明確だった。今回の不可解な事件について、たとえどのようなものであろうと何かを掴まずにはおかない、と彼は不屈の闘志を燃やしていた。それに、実際どうやるかは自分の度胸と沈着さに任せることにしていた。一旦勝負が始まれば鋭い観察力がものを言うであろうし、術策には事欠かないことは分かっていた。

 「とにもかくにも」と彼は自分に言い聞かせていた。「この女に会わなくては。最初に何を言うかは第一印象次第だ……その後はその場の成り行きに身を任せるのみだ……」

 趣味の良いごくシンプルな制服を着た老僕が門を開けに出てきたので、彼は権威をにじませた口調で尋ねた。

 「マダム・リア・ダルジュレはおられるかな?」

 「マダムは金曜は人とお会いになられません」と老僕は答えた。

 フォルチュナ氏は非常に遺憾であるという身振りをした。

 「今日中にどうしてもマダムと話をせねばならぬ用事がある……非常に重大な案件だ……私の名刺をお渡し願いたい。さぁこれを。私は公務に携わっている者だ」10.14

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1-XV-5

2021-10-12 12:27:07 | 地獄の生活

 フォルチュナ氏はもはや何の不安も持たなかった。

 「よろしい!」彼は答えた。「忘れてしまったというわけだ……それはもっともなことだ。でもその家を見たら分かるね?」

 「それならね、分かりますよ」

 「そこまで私を乗せてって貰えるかね?」

 「もちろんでさぁ、旦那、さぁこっちです。これがあっしの馬車で。乗ってくだはい」

 フォルチュナ氏が乗り込み、御者が馬に一鞭当てるのを見届けてから、館の主人は事務所に戻った。

 「あの男は警察のスパイに違いないよ」と彼は妻に言った。

 「あたしもそう思うわ」

 「今まで見たことのない顔だってのが妙だな……ま、多分新入りだろ」

 フォルチュナ氏にとって、もう二度と足を踏み入れることなどない場所で人が自分のことをどう思おうと知ったことではなかった。重要なのは、彼がすべての情報を手中にしていることだ。今やその問題の婦人の身体的特徴まで手に入れた。自分が刻々と獲物に近づいていることを彼は感じていた。この上なく快適な馬車の中で手足を伸ばしながら、調査を始めたばかりのところで出くわしたこの幸先の良い前触れに彼は大いに気を良くしていた。そうこうするうちに馬車はベリー通りに到着し、やがて小さい小綺麗な家の前で止まった。御者は馬車のドアの前で身を屈めて言った。

 「着きやしたよ、旦那」

 フォルチュナ氏はゆっくりと歩道に降り立ち、御者の手に五フランを握らせた。御者の方は、命を救ってやった礼がこれっぽっちかよ、とぶつくさ言いながら遠ざかっていった。それはフォルチュナ氏の耳に入る筈もなく、彼は馬車から降りた地点にじっと立ったまま、目の前の家を一心に観察していた。

 「ここがその女の住まいだな」彼は呟いた。「しかし俺は何の目的もなく訪ねるわけにもいくまい。彼女の名前も知らないままでは……。よし、情報集めと行くか」

 五十歩ほど離れたところにワインを売っている店があった。彼はその店に入り、スグリのシロップを注文した。それをちびちびやりながら、出来るかぎりの無造作を装いつつ件の家を指さして尋ねた。

 「あそこの素敵な家には誰が住んでいるんですかね?」

 「マダム・ダルジュレですよ」とワイン商は答えた。10.12

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