◎あらゆるものと一体である現象人間
冥想道手帳〔知的理解の冥想〕の続き
『[現象界]
生老病死苦・愛憎・快苦の人間自我が編み出した妄想世界である。顕在意識と潜在意識に相当する。
迷える君は、この仮象なる世界を唯一の現実と見て、時に、権力欲に酔い痴れ、時に、疲れ果てて不安におののく。
この宇宙では、いつも君は一人ぽっちだ。 君は、一人ぽっちの空虚さから逃げるために有意義な活動と称するようなことをしようとがんばり、そしてまた空虚さにある自分に気づく。
冥想体験は、君に現象世界の夢幻性を自覚させ、現象を越えたあたりまえの自分自身から、現象界を最高に素適な修行場兼戯れの場 へと変容せしめる。
君は一人ぽっちであると同時に、あらゆるものと一体である現象人間を生き始める。』
(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)
三つある宇宙とは、現象界、霊界、神界。それぞれの説明は、それぞれ独立した世界において悟りがあり得ることを示している。
現象界とは、生老病死苦・愛憎・快苦に翻弄される常識的な心理にある人間の生きる世界。
自分の願望、社会における自己実現を最優先に考えがちな自分は、うまく行っている時は、金や異性や権力の甘みに溺れ、うまくいかない時は、無駄なあがきを繰り返し疲れ果てて不安におののく。現象界を世界の唯一のものと考えれば、必ずそう思うものだ。
現象世界は、少々の天国的なものとほとんどの地獄的なものであると思い込んだ我々に、ここで、突然『冥想体験は、君に現象世界の夢幻性を自覚させ、現象を越えたあたりまえの自分自身から、現象界を最高に素適な修行場兼戯れの場 へと変容せしめる。』などとハッピーエンドを語る。
この冥想体験とは悟りであって、未悟の者の冥想修行で起きるいろいろな状況のことではない。
ただし一般に、禅では、
(a)現象世界の夢幻性の自覚と
(b)現象を越えたあたりまえの自分自身から、現象界を最高に素適な修行場兼戯れの場 への変容
が一度に起きるが、密教などクンダリーニ・ヨーガ系では、(a)(b)が徐々に起こるという違いがある。
『修行場兼戯れの場』という表現は、既に神が神を神しているという状況だが、そこに『修行場兼戯れの場』と言える見方もありえるということだろう。
ここで、大悟覚醒は成ったが、『君は一人ぽっちである』と透徹した孤独感があることを示し(世界が自分だから、世界には一人しかいないからか?)、『あらゆるものと一体である現象人間を生き始める』
と、世界が自分であるという逆転を語る。ここで現象人間の悟りに至る道筋を説いている。