アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

南泉の猫を斬った後

2022-12-11 20:49:36 | 丹田禅(冥想法8)neo
◎やり過ぎた咎め

南泉が猫を斬ったのは、猫好きにとってはありえない話である。ところが、傑僧趙州の師たる南泉は猫を斬ってからは、そのことを負い目に感じていたようだ。というのは、猫を斬ってから利他行=カルマ・ヨーガのことでもある異類中行を、南泉は言い出したからである。猫も異類である。

そこで、趙州は、南泉さん本気でそんなことを主張するのですかと言わんばかりに以下の問答を仕掛ける。

趙州は、南泉に問う。「(異類中行)の異についてはお尋ねしません。では、その(異類中行の)類とは、どんなものですか?」

南泉は、四つんばいになってみせた。

趙州は、その南泉を踏み倒した。それから自室の涅槃堂に帰って「残念だ、残念だ」と大声で叫んだ。

それを聞いた南泉は、人をやって何が残念か尋ねさせると、趙州は「もう二踏みしなかったのが残念だ」と答えた。


また別の日、南泉は、自室の戸の前にぐるりと灰をまいて、弟子たちに「諸君らがちゃんとした一言を言えたら戸を開けよう」と宣言し、多くの雲水の言葉を聞いたが、どれも気に入らず、結局「がっかりだ、がっかりだ」と嘆き、自分で戸を開けた。

このように猫を斬ってからの南泉は、昔日の平常心是道で颯爽としていた南泉ではなく、勢いを失ってしまった。趙州を大悟させるような力量ある人物でも一回の修羅業をきっかけに、迷いの世界に戻る。

本来、弟子たちがダメだからといってやる気を失う老師は、禅ではありえない。OSHOバグワンは、冥想コミューンを立ち上げたが、途中で弟子の指導に飽きたふしがある。長い一生のうちには、大悟したといっても行動が大きく振れることがあるのだろう。


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