◎出口王仁三郎、百年前に時期もバッチリ幻視す
出口王仁三郎は、空中のスマホを右の指でかなをポチポチしてメールが送れ、読み上げまですることが、21世紀の初期に始まることをバッチリ幻視している。
『言依別
『吾々は神代の文字は知っていますが、今日の時代は文字も大変異っていましょう』
松彦
『昔のように今日の時代は、毛筆や、鉛筆や、万年筆などの必要はありませぬ。唯指先を以て空中に七十五声の文字を記せば、配達夫は直に配達してくれますよ。私が一つ手本を見せましょう。この交通機関は21世紀の初期から開始されたのですよ』
と右の指を以(もっ)て空中に七十五声の片仮名を綴(つづ)って、一つの語を作り、
『サア、これで手紙が書けました。文字が言語を発する時代となって来ました』
と言って笑っている。
四人は耳を傾けて珍らしい文字の声を聞こうと努めていた。文字の声は音楽の如く聞えてきた。云々(この後にメールの返事が来るシーンが続く)』
(霊界物語第15巻21章 帰顕(きけん)/著者出口王仁三郎)
出口王仁三郎の幻視の根本は、人類が全滅の危機を乗り越え、覚醒して次の時代に進むことを前提としている。代表的な幻視は、瑞能神歌、吉岡発言など。
こうした幻視の中で、いわばスピンアウト幻視としてスマホ出現幻視も含まれているわけだ。
出口ナオ、出口王仁三郎は、京都の寺社が空襲でまる焼けになるシーンを明治中期にともに幻視。その衝撃がその後の大教団育成の原動力になった節があるように思う。
既成大宗教の滅亡は、ファティマ予言や聖マラキ予言でのカトリック滅亡の暗示、あるいはダライラマは今の14世ダライラマが最後のダライラマになる発言などで感得できるものだ。
次の時代は宗教のない時代であることが様々な宗派でいわれているわけだが、その前段として既成大宗教の滅亡というのは、論理的に矛盾しない、ただし信者にとっては感情的には割り切れるものではないだろう。
つまり人類全員が、最低でも見神見仏見道の経験があって初めて宗教のない時代と呼ばれるのだが、そうなるには、一波乱も二波乱もあるのだろうと思う。
全体としてみれば、時代が逆立ちしてしまうと見るのだろう。
翻って出口王仁三郎予言は強烈なのが注目されているせいか、はずれただの、当たらないだのと感情的に言われることも多いかと思う。だが彼の幻視の精度は、21世紀初めにスマホ電子メール出現を明確に見れるほどの精度であることを、その当の21世紀初めの我らは知っておくべきだろう。
出口王仁三郎は、空中のスマホを右の指でかなをポチポチしてメールが送れ、読み上げまですることが、21世紀の初期に始まることをバッチリ幻視している。
『言依別
『吾々は神代の文字は知っていますが、今日の時代は文字も大変異っていましょう』
松彦
『昔のように今日の時代は、毛筆や、鉛筆や、万年筆などの必要はありませぬ。唯指先を以て空中に七十五声の文字を記せば、配達夫は直に配達してくれますよ。私が一つ手本を見せましょう。この交通機関は21世紀の初期から開始されたのですよ』
と右の指を以(もっ)て空中に七十五声の片仮名を綴(つづ)って、一つの語を作り、
『サア、これで手紙が書けました。文字が言語を発する時代となって来ました』
と言って笑っている。
四人は耳を傾けて珍らしい文字の声を聞こうと努めていた。文字の声は音楽の如く聞えてきた。云々(この後にメールの返事が来るシーンが続く)』
(霊界物語第15巻21章 帰顕(きけん)/著者出口王仁三郎)
出口王仁三郎の幻視の根本は、人類が全滅の危機を乗り越え、覚醒して次の時代に進むことを前提としている。代表的な幻視は、瑞能神歌、吉岡発言など。
こうした幻視の中で、いわばスピンアウト幻視としてスマホ出現幻視も含まれているわけだ。
出口ナオ、出口王仁三郎は、京都の寺社が空襲でまる焼けになるシーンを明治中期にともに幻視。その衝撃がその後の大教団育成の原動力になった節があるように思う。
既成大宗教の滅亡は、ファティマ予言や聖マラキ予言でのカトリック滅亡の暗示、あるいはダライラマは今の14世ダライラマが最後のダライラマになる発言などで感得できるものだ。
次の時代は宗教のない時代であることが様々な宗派でいわれているわけだが、その前段として既成大宗教の滅亡というのは、論理的に矛盾しない、ただし信者にとっては感情的には割り切れるものではないだろう。
つまり人類全員が、最低でも見神見仏見道の経験があって初めて宗教のない時代と呼ばれるのだが、そうなるには、一波乱も二波乱もあるのだろうと思う。
全体としてみれば、時代が逆立ちしてしまうと見るのだろう。
翻って出口王仁三郎予言は強烈なのが注目されているせいか、はずれただの、当たらないだのと感情的に言われることも多いかと思う。だが彼の幻視の精度は、21世紀初めにスマホ電子メール出現を明確に見れるほどの精度であることを、その当の21世紀初めの我らは知っておくべきだろう。