◎業障を負う
(2011-12-14)
笹目秀和氏は大本のご神体を崑崙山に返還してきた人物。彼のモンゴル神仙邂逅記を読んだ頃は、彼の山あり谷あり苦あり楽ありの人生記は、通常人の10倍20倍の密度で展開しているので、とてもではないが、こんな人生では私ならやっていけないと思ったものだが、これぞ「ご神業」というものであったと、今しみじみと思う。
深山幽谷を訪問しておまじないみたいなことをやったり、集団でパワースポットとされる神社仏閣を参拝するだけが、ご神業ではないのだと思う。
召命、神の側に使命を課されるというのがあって初めてご神業であり、自発的に参拝して回るようなのはご神業と言えるのかどうか。
笹目秀和氏が、崑崙山中の疏勒神仙を訪問したとき、疏勒神仙は洞窟に居た。
『疏勅神仙は、その奥のほうに胡座しておられた。
小児かと思われるほど小柄で、顔も童児のような血色のよさである。頭頂には頭の毛がない(いわゆる禿)のだが、周辺には漆黒の髪がはえていて、それを頭上に束ねて結んでいるので、禿はほとんど目立たない。顔立ちも子どものようなので、限りなく童児に近いという感じなのだが、しかしもちろん全然違うのだ。
「拝顔の栄を得ましたことを、最上の喜びに存じます」
わたしは日本語で挨拶した。
「今日ここにこられましたのも、仙師の庇護によるものと、深く感謝いたしております。どうか新たな使命をお授けくださいますよう、お願い申し上げます」
「おお、ごくろうだったな」
仙師のお言葉がわたしの頭の中に入ってきた。
「汝が十二年の活動は、つぶさに知っておる。魔の障害が多かったが、それは汝が世の業障を背負ったためで、世を救うための慈悲行と心得るべきだ」
業障というのは、大自然の法則に違反した結果として、世の中が負担しなければならない代償である。それは地震や津波などの自然災害のかたちで出ることが多いのだが、そうならないでわたしが背負った。そのために、あれだけの苦労をしたというのだ。
その苦労を少しでも軽減するために授けられたのが、“月の精気を食む方法”なのだが、その実践が足りなかったと注意された。
「いまここにきたということは、さらに“太陽の精気を食む方法。”を授けられるということだ。では、これの実践によって、魔障やもろもろの苦労から解放されるかというとそうではない。反対にいっそうたいへんになる。どうだ、耐えられるか」
そう言って、仙師は大声で笑った。
「仙師がついておられるからには、断じて耐える決意です」
「そうか。では明日、崑崙山の山頂、モヌマーハルの聖地で、その法を伝授することにしよう」』
(モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店p252-253から引用)
笹目秀和氏は故人となったが、阪神大震災、関東東北大震災の続発など、日本人がその因縁を自ら背負って清算する時期がきているのだろう。それを負う覚悟、そして正しい生き方を続けるための冥想習慣は、日本人のカルチャーとして必要だと、崑崙山脈を縫うように走る鉄道の映像を見つつ思う。