◎ジェイド・タブレット-12-12
◎ニルヴァーナ-12
◎人生、輪廻転生、運命とニルヴァーナ-2
◎秋の虫たちが鳴いているよ・・・
タオは、ニルヴァーナの一呼称。タオと合体したことのあるダンテス・ダイジが、タオのある生活を歌う。
『タオ
これは絶対でも相対でもない
流れているわけでもないし
久遠の静寂というわけでもなし
これはこれだろう
あれはあれなんだ
静かじゃないかい・・・
うれしいじゃないか
哀しくもあるしね
もちろん
恐ろしくもありんす
みんな生きている
なにもかも死ぬ
そんなにツッパルなよ!
もっともっとどうしようもなく、
ツッパレ、ツッパレ、ツッパレ!!
無が有を産んだのだろうか?
有が無をあらしめたのだろうか?
それとも、
無と有が同時にからまっているのか?
ニルヴァーナが真実なのだろうか?
マーヤーが真実なんだろうか?
それとも、
ニルヴァーナもマーヤーも真実なのか?
それじゃなきゃ、
ニルヴァーナもマーヤーもありもしないのか?
いいじゃないか?
断じてよくない!!
いいじゃないか!
いいやだめだ!!
・・・・・・・・
秋の虫たちが鳴いているよ・・・』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
ニルヴァーナのある日常生活と言えば、ラーマクリシュナが何日もトランスに入ったまま、食事もとらずに横になっていたというようなことがあるが、そのような生活をベターとしていたわけではない。
ダンテス・ダイジの目指すライフ・スタイルは、悟りという体験とはいえない体験は経るが、常時そうした三昧に入ることをベストとしているわけではない。
例外的にそうした生き方ができたラーマクリシュナはいるが、万人が悟りを持って生きる時代とは、平素は働いたり家事をしたり学業にいそしんだりするが、冥想が社会全体の習慣となり、すべての人が悟っている時代のこと。
そういう前置きがなければこの詩は、単なる優柔不断な世迷言として読まれてしまうのだと思う。