◎言霊の効用
ババジの秘蔵っ子スワミ・ラーマのマントラについての言葉。
『偉大な人物の言葉はマントラの効力を発することがある。偉大な人物に話しかけられたら、その言葉を受け入れ、実践しなければならない。』(ヒマラヤ聖者とともに/スワミ・ラーマP97から引用)
これは、スワミ・ラーマが、彼だけに効く蜂よけのマントラを教えてもらったのだが、それを師の許しもなく俗人に教えたところ、俗人は却って何百匹の蜂に刺され入院したことを見て、この教訓を述べたもの。
次は、師に唱えることを禁じられたマントラを唱えたら、男女の巨人がやってきてスワミ・ラーマを食い殺そうとして、気絶した時のこと。
『このときの体験から、私はマントラの効力を悟った。私は師が私に授けたマントラの修養をはじめ、ささいなことでもそのマントラをたよりにした。若い頃の私は愚かでばかげたことをたくさんしたが、自分のマントラが気づきをもたらし、つねにそうした状況から抜けだすよううながした。
霊性修養とともに適切に用いないなら、マントラは、私がそうであったように幻覚をも生じかねない。幻覚は整えられていない汚れた心の産物だ。マントラは心を浄化し内に向けたとき有益となる。マントラの意味も知らず、適切な感情を呼びおこすことも、強い想いを抱くこともないなら、ただ機械的に唱えたところでさしたる効用はない。』
(上掲書P99から引用)
マントラの効用と弊害をきちんと説けるのは、20世紀前半のヒマラヤの高地で、相当なレベルのヨーギ達と修行していた環境だからこそ、この二つをマントラの効用と禁則として説けるのだと思う。
99%冥想修行と縁のない俗人がはびこって、善も悪もおかまいなしの何でもありのこの日本では、ダンテス・ダイジは、敢えて言霊のバイブレーションが効きにくいほど粗いバイブレーションの時代であると見て、マントラそれ自体の表面な意味はあまり問題にしなかった。
だが修行者は両方の説を考えてみるべきだろう。マントラは心を浄化し内に向けたとき有益となる、ということなのだろう。
ババジの秘蔵っ子スワミ・ラーマのマントラについての言葉。
『偉大な人物の言葉はマントラの効力を発することがある。偉大な人物に話しかけられたら、その言葉を受け入れ、実践しなければならない。』(ヒマラヤ聖者とともに/スワミ・ラーマP97から引用)
これは、スワミ・ラーマが、彼だけに効く蜂よけのマントラを教えてもらったのだが、それを師の許しもなく俗人に教えたところ、俗人は却って何百匹の蜂に刺され入院したことを見て、この教訓を述べたもの。
次は、師に唱えることを禁じられたマントラを唱えたら、男女の巨人がやってきてスワミ・ラーマを食い殺そうとして、気絶した時のこと。
『このときの体験から、私はマントラの効力を悟った。私は師が私に授けたマントラの修養をはじめ、ささいなことでもそのマントラをたよりにした。若い頃の私は愚かでばかげたことをたくさんしたが、自分のマントラが気づきをもたらし、つねにそうした状況から抜けだすよううながした。
霊性修養とともに適切に用いないなら、マントラは、私がそうであったように幻覚をも生じかねない。幻覚は整えられていない汚れた心の産物だ。マントラは心を浄化し内に向けたとき有益となる。マントラの意味も知らず、適切な感情を呼びおこすことも、強い想いを抱くこともないなら、ただ機械的に唱えたところでさしたる効用はない。』
(上掲書P99から引用)
マントラの効用と弊害をきちんと説けるのは、20世紀前半のヒマラヤの高地で、相当なレベルのヨーギ達と修行していた環境だからこそ、この二つをマントラの効用と禁則として説けるのだと思う。
99%冥想修行と縁のない俗人がはびこって、善も悪もおかまいなしの何でもありのこの日本では、ダンテス・ダイジは、敢えて言霊のバイブレーションが効きにくいほど粗いバイブレーションの時代であると見て、マントラそれ自体の表面な意味はあまり問題にしなかった。
だが修行者は両方の説を考えてみるべきだろう。マントラは心を浄化し内に向けたとき有益となる、ということなのだろう。