アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

洞山が弟子の首座を問殺する

2023-02-22 06:54:02 | 無限の見方・無限の可能性

◎問い詰められてすぐ死んじゃった初首座

 

洞山録から。先生とは洞山のこと。首座はランキング上位の弟子。

『【首座を問いつめる】

 

先生は、泐潭(ろくたん)で、初首座に会われた。かれはこういった、「すばらしや、すばらしや、仏道の 世界は測ることもできん」

 

先生はそこでたずねる、「仏道の世界のことはおいて、たとえば仏道の世界を語る君は、どういう世界の人なのだ」

初は沈黙して答えない。

先生、「どうして早く返事せぬ」

初、「せかせてはいけません」

先生「まともな返事すらできないで、せかせてはいかんなどとよくもいえたものだ」

初は答えない。

 

先生、「仏といっても道といっても、みな名前にすぎん、とある。どうしてお経を引用せぬ」 初、「お経にはどういっている」

先生、「意味を把めば言葉はいらん、とある」

初、「君はまだ経典によって心の中に病気を作りだし ているぞ」

先生、「仏道の世界をあげつらう君の病気の方はいったいどれほどだ」

初はこんども答えられぬ。そして次の日、にわかに死んだ。

人々は先生のことを、首座を問いつめた价と呼んだ。』

(禅語録(世界の名著)/中央公論社P315から引用)

※价とは、洞山良价のこと。

※<泐潭> 江西省洪州南昌県。当時、ここに「大蔵経」があった。

 

禅問答は、そもそも解答のない問題に自分自身がなりきり、その不条理を体感しきった先に起こる何かを求めようとするもの。この問答は公案ではないが、求める解は同じ。

 

人は、大災害に突然出くわすと、心を石のように閉ざすか、自殺するか、心をオープンにして大悟するかのいずれかに分かれるなどと言われる。

 

禅語録では、不条理に迫られた求道者が、悟れないまま禅堂で暮らし続けるか、退去を求められるかなどするケースがあるが、死ぬケースはさほど多いものではない。

 

悟りを開くには、人生を卒業するに足るあらゆる実感を経験していることが求められる。そうした蓄積がなければ、準備ができていないということになるわけだが、特に禅では、今日只今悟っているかどうかを求めるために、覚者老師の側は、準備ができていようができていまいが、そんなことはおかまいなしのところがある。

 

洞山には他にも、彼が死んだばかりの僧(悟りきらないまま死んだ若い僧)の頭を三度棒で打ち、輪廻から抜けられないぞと独白するシーンがあり、結構素人目には酷薄な言動の目立つ人だったのかもしれない。

 

悟りを開くには、高額な金を払えばよいとか、何かスペシャルなあるいはバーチャルな環境に身をおけばよいとか、悟りを促す姿勢保持をサポートする機器を使えばよいなどといろいろなことが言われる。だがそんなうまい話はない。

 

また今はスマホ1台で、居ながらにして大蔵経のテキストを読める時代になったが、当時希少な大蔵経にアクセスできる洞山の僧堂にあって、お経の意味を把めば言葉はいらんなどと、言っていることは、現代と何も変わらない。自分で飛び込んでいくしかないのだ。

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三、四月。大難を無難に。ウラルの嵐

2023-02-21 12:59:28 | 冥想アヴァンギャルドneo

〇あおり予言、はずれ予言、当たり予言。

(2022-02-27)

 

出口王仁三郎は、出口ナオも共に、「日本が大峠に遭って、みろくの世を実現する」という幻視をしたので、二人で協力して一つの教団を立ち上げることにした。

 

大本神諭では、日露戦争以前の段階で、日本とロシアが戦って日本が敗戦するという予言を出して、1905年の日露戦争から1945年の敗戦までの40年間、(日露戦争で日本は負けなかったので)代表的なはずれ予言とみなされていたが、第二次大戦後は当たった予言として評価が逆転。

 

『〇ソ連襲来

 

二月に露国から攻めて来る。

(昭和19年正月中旬)』

(出口王仁三郎玉言集 新月の光/木庭次守編/八幡書店P131から引用)

 

これもソ連による満州侵攻は、1945年8月9日だったから、はずれ予言の一種と見られているのだろう。

 

そこで、

『○日本の立替の時

 

問 日本の立替はいつですか。

答 お筆先に三、四月、八、九月とあるだろう。開祖様が神様に「世界の大難を無難にして下さい」とお祈りになったが、神様は「どうしてもある」と言われるので、開祖様はいつも「どうしてもあるのなら三、四月、八、九月にあるように、それでないと助かる者も助からないから」とお願いになったのや』

(上掲書P267から引用)』

 

二月を三、四月と祈っているわけだ。

 

まず、あおり予言にひっかからないように。だが一見はずれ予言でも真正の聖者が出してきているものは、意味があるので、よくよく感じてみることが必要だろう。

 

また、もともと予言は、予言した時点とその後の「今」では状況が変わるので、基本的に「予言はズレル」の法則があることも意識すべきだろう。

 

ロシアが、ウクライナで地上戦を行っている今日も、冥想を。

 

いつの日かウラルの嵐 日本の空に向かって吹かむとするも(霊界物語第62巻/出口王仁三郎)

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日本の立替の時

2023-02-21 12:54:29 | 時代のおわりneo

◎三、四月、八、九月

(2009-08-08)

 

日本の立替の時は「逃げる」しかないようだ。

 

『○日本の立替の時

 

問 日本の立替はいつですか。

答 お筆先に三、四月、八、九月とあるだろう。開祖様が神様に「世界の大難を無難にして下さい」とお祈りになったが、神様は「どうしてもある」と言われるので、開祖様はいつも「どうしてもあるのなら三、四月、八、九月にあるように、それでないと助かる者も助からないから」とお願いになったのや』

(出口王仁三郎玉言集 新月の光/木庭次守編/八幡書店から引用)

 

この引用の回答者は出口王仁三郎、開祖様は、出口ナオ。 この三、四月、八、九月は出口ナオの予言集である大本神諭にもある。

 

『最後の時は人を助ける必要はない。親子でも神様から助けるものと助けぬものと定まっているのだから、そんなことをしたら神様の邪魔になる。自分だけ逃げたらよいのや。

 

大阪は淀川があるから橋を落とされたら袋の鼠や。いよいよいかぬとわかったらすぐ亀岡に逃げて来い。食料の用意はしてあるからどんなにしても食べていくのや。

(昭和十九年四月九日 三木善建氏拝聴)』

(前掲書から引用)

 

これは、後半は先般の大阪の空襲のことだが、前半は大阪のことだけではあるまい。

 

『○それは逃げる

 

それ(日本人)は逃げる。

大本事件の時、信者が逃げたじゃないか。日本魂が腐ってしもうているからなあ。

 

昭和十九年九月十一日』

(前掲書から引用)

 

大本事件の時は、出口王仁三郎に言わせれば、大本信者もほとんど知らぬふりを決め込み、正味10人しか逃げずに残らなかった。そういうように、日本から日本人が逃げることを言っているのだろう。

 

この日本人が日本から逃げ出すのを見て、チベット民族がチベットから逃げたみたいに逃げると表現する人もいる。財産や利権がある人には踏ん切りがつかない人も出るのだろう。

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出口王仁三郎の入蒙の評価

2023-02-21 12:46:14 | 古神道の手振りneo

◎日本大衆の深いレベルの情動動かす

(2015-10-09)

 

出口王仁三郎の霊界物語全81巻で、入蒙記は別巻とされ、特別な位置づけである。なぜそうなのか。理由がようやくわかった。

 

出口王仁三郎は、未決囚でありながら、裁判所の許可を得ないまま、合気道の開祖植芝盛平らを伴い国外の蒙古に飛び出し、蒙古を教化しながら数か月の布教の旅をしているところ、張作霖軍によって捕らえられ、パインタラにて、一行全員が刑場に引き出され、銃殺寸前まで行った。辞世の句まで詠んだ。

 

そこで幸運にも生還できるのだが、その強運故に別巻としたのではない。帰国後日本国内では、英雄が帰国したが如き大報道をされ、大いに歓呼された。その後99日間収監されたのではあるが。

 

出口王仁三郎は、パインタラで逮捕された時に、「大成功だ」と叫んだという(出典:新月の光(上巻)/木庭次守P139)。

 

これこそが、入蒙記が別格となっている理由。出口王仁三郎は、この冒険で日本において英雄として歓迎され、日本全土にその名をポジティブに伝播することに成功したのだ。イエスの十字架刑が世界席巻のきっかけとなったように。

 

この事件が、日本大衆の深いレベルの情動を彼に向かわしめたのだ。

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AKB48の遭難と出口王仁三郎入蒙

2023-02-21 12:39:40 | 古神道の手振りneo

◎よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ

(2014-05-26)

 

出口王仁三郎の霊界物語で「入蒙篇」は別巻の扱いであるが、ポスト出口王仁三郎時代を明示する重要な一巻である。

 

外面的には、今で言えば仮釈放中に当局の許可なくモンゴル旅行したのだが、その間に出口王仁三郎一行は銃殺寸前となり、辞世の歌まで詠んで、すんでのところで解放されたという冒険譚である。

 

大正13年2月12日出口王仁三郎は、大正10年2月12日に上弦の月と金星が空に輝いた時に教団の最初の大弾圧の第一次大本事件が起こったように、この日同じ現象が空に起こったのを見て、蒙古行きの決心を固め、翌日には蒙古に向けて綾部を発った。

 

2月12日は、かのダンテス・ダイジの誕生日であり、ポスト出口王仁三郎が彼であるリンクと見れる。

 

出口王仁三郎の一行には合気道開祖植芝盛平も加わっていたが、6月22日、日本人6名、中国人2名が一列に並ばされ、蒙古パインタラの町の銃殺場で機関銃を向けられたが、最初の発射で何故か銃の反動で射手が後ろに倒れたので、この日の銃殺は中止となった。

 

同日夕方から日本領事館が解放交渉にあたり、出口王仁三郎一行がパインタラを出られたのは、30日のことだった。

 

出口王仁三郎 蒙古パインタラの辞世。

『よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ』

 

『いざさらば天津御国にかけ上り日の本のみか世界を守らむ

 日の本を遠く離れて我は今蒙古の空に神となりなむ』

 

2014年5月25日岩手で遭難したAKB48の○○さんの誕生日が2月12日なので、思わずこのことを思い出した次第。怪我の速やかに回復することを祈ります。

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出口王仁三郎のモンゴル入り

2023-02-21 12:35:30 | 古神道の手振りneo

◎東亜の天地統一

(2014-03-25)

 

大正13年出口王仁三郎は、大正10年の第一次大本事件の衝撃冷めやらぬ中、仮釈放みたいな不安定な身分ながら、モンゴルに脱出した。

 

世間では、スタンドプレー好きの目立ちたがりの教祖が、辺境のパインタラで銃殺されそうになりながら天佑により無事帰国しただけのエピソードとして、出口王仁三郎のモンゴル縦走を見ている節がある。

出口王仁三郎と大本教を考える上で、ポイントと思われるのは、このモンゴル入りと、笹目秀和による教団のご神体の崑崙山中への返還である。

 

霊界物語は全120巻の構想だったが、結局81巻と付録の特別篇入蒙記で完成となった。全体が縮小されたにもかかわらず、モンゴル入りの部分は故意に注目を惹くように残されているのである。

 

モンゴル入りの目的は、モンゴルに精神方面の力で一大王国を築こうとすることだったとされる(霊界物語特別篇入蒙記 第四章 微燈の影)。

 

モンゴル入りに際して娘婿出口宇知麿への手紙では「東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する心算なり。事の成否は天の時なり。」(大本/伊藤栄蔵/講談社P161)と述べ、東亜の統一をまず目論んでいる。

 

韓国中国が連携して反日運動を盛り上げている今、東亜の統一など夢物語に見えるが、ポスト第二次大本事件構想では、日本の大峠の後は、日本はモンゴルで大きく展開するであろうことを出口王仁三郎は見ている。

 

出口王仁三郎は昭和10年の第二次大本事件での収監前夜、なんと教団のご神体を一介の青年に過ぎない笹目秀和に託し、崑崙山中に奉還することを依頼した。出口王仁三郎にとっては既にこの時点で、教団の使命は終わり、みろくの世の一歩を日本はモンゴルで踏むことが予想されているが如き発言が出口日出麿から出る。

 

曰く崑崙山行きは素尊(スサノオ)から出ていること。そして「やがて地球の裏表がひっくりかえるようなときがくると、大本神業の地場が崑崙山中に移らないとも限らないからね」(モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店P215)と。

 

笹目氏は当時からモンゴル独立運動を支援してきた。

 

こうして見てみると、モンゴルは意外にも日本の21世紀における重要なパートナーになっていくかもしれないと思う。誰もそんなことは思っていないのだけれど。

 

パインタラでの銃殺直前の出口王仁三郎の辞世

「いざさらば 天津御国にかけ上がり 日の本のみか世界まもらん」

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予言と先行モデル

2023-02-21 06:49:42 | メインストリーム予言と先行モデル

◎日々の冥想と生き方

 

欧州における第三次世界大戦勃発の噂もさることながら、東アジアにおける戦争勃発の噂もSNS上でバンバン見かけるようになった。

 

そして来週には、毎年気になる3、4月。木の芽時は花粉症でなくとも体調の不調をかこつことが多いが、この冬は厳冬であって強風が特徴の冬だった。

 

イエスの一生を観想法で追体験するというのは、十字架上で大悟したイエスの一生という雛型をわが身に写すという先行予言のまねびである。

 

さて予言には、口述、文章だけの予言と自らの人生ドラマや一国全体、教団全体を先行モデルとして予言とする「雛型予言」というのがある。

 

一国全体を先行モデルとしての予言の典型例は日本であって、日本が世界に先行してみろくの世を実現するというもの。これは、いうまでもないが、毎日漫然と過ごしていた日本人が特定のある日が来ると全員が神を知っている人々になっているという漫画チックな未来ではない。その日以前に日々の冥想修行と、日常生活における「善いことをする、悪いことしない」というライフ・スタイルは、必要なものだ。

 

日本に生まれるというのは、そういう責務を負ってきたということで、神様から離れて特に恵まれた閑日月を長年過ごした人については、神様の側からの風当たりはあるのではないか。

 

日本は先の大戦で神洲不滅のスローガンの下で、世界で初めて原爆を落とされ、白村江の戦以来の敗戦国となった。この敗戦はもう一度あることを教団ごと雛型予言(教団を日本の雛型とみる)したのが、昭和十年の第二次大本教弾圧事件。次の敗戦では、また軍人内閣になることまで予見されている。それは、昭和神聖会の軍事教練で先行モデル出しをしたのだろう。

 

出口王仁三郎の関連した雛型予言はもう一つあって、モンゴルへの西遷である。

 

大正13年出口王仁三郎は、蒙古入りし、蒙古の地で御神業を4か月間にわたり展開。最後は同行していた植芝盛平と一緒に張作霖配下によって銃殺されかかるところまで行く。

この間、出口王仁三郎が、王文泰やダライラマ(弥勒下生達頼喇嘛(みろくげしょうだらいらま))、と名乗ったのは調子に乗り過ぎだったようにも見える。

さらに昭和10年第二次大本事件前夜、出口王仁三郎の密命を受け、笹目秀和氏が大本の御神体を崑崙に返還しにいったのは、まさにこのルートであった。その出発の際に日本民族のモンゴル西遷があることもほのめかされている。

 

その後出口王仁三郎は、モンゴルでの苦難の虜囚生活の影響か、生涯体調不良(肝炎?)に悩み、共に銃殺寸前まで行った合気道開祖植芝盛平も終生肝炎に苦しんだ由。

 

なおモンゴル西遷篇は、生き残った日本人達向けの話であろうことは想像される。

 

ネットでは、とかく日本人の生存率だけが注目されるが、自分が生きるか死ぬかというのは、自分で何とかできることではない。自分では髪の毛一本白くも黒くもできない。その延長線上に自分の生存可能性があるのであって、最大の関心事は、自分が神を知って(悟りを開いて)、それをもって生きていけるかどうかということにあるはずだと思う。

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人間の善悪

2023-02-20 12:24:40 | 【アストラル体】【ザ・ジャンプ・アウト-07】neo

◎自由から善へ

(2014-05-05)

人間の本性は善だと信じ込んでいたが、そうでもないということを知るに至った。

 

人間は、善悪のバランスの中で成長していくことで、本当の自由な意志を得て、悪を去り善を植えることができるようになるというのだ。この立ち位置のことを天の浮橋と呼ぶのだろう。

 

教派神道の教祖である出口王仁三郎によると、

 

1.人の精霊(アストラル体やメンタル体のことか)は、善悪両方の要素を含んでいる。出生後子供の時分までは、人は概ね悪の要素の方が旺盛であり、長ずるに従って善の要素が強くなるものである。

 

2.人の精霊には、別途2種の精霊(アストラル体以上の存在のことを言っているようだ)が同伴しており、一体は、天国と交流している善玉精霊(正守護神)であり、もう一体は、地獄と交流している悪玉精霊(副守護神)である。

 

3.ところがこの正守護神、副守護神も、自分のついている人間が自分とは別のものであるという認識がなぜかなく、人間が自分のものであると信じ込んでいるがために、一生懸命その人間を守護するという。

 

4.特に出生してからは、人間は直ちに悪の裡(うち)に落ちるため、その後の幼少期は、この両守護神がいなければ、肉体を維持していくことができない。(体主霊従でないと肉体も成長しないということか)

 

5.また長じては、善玉守護神がいなければ、悪を脱して善に覆(かえ)ることができない。

 

6.人間はこの両者の徳によって、天国と地獄の圧力を受けながらそのバランスを保持できることで、真の意志の自由を得ることができる。

 

(参考:出口王仁三郎全集二巻/あいぜん出版)

 

正守護神と副守護神は、どちらも人間のサポーターであり、アストラル以上の微細身の次元に分類されると思われる。より肉体物質に近いほうが地獄的であるから副守護神とし、想念主体とは天国的だから正守護神とする説明のように思われる。だからといって単純に副守護神がアストラル体次元のサポーターであり、正守護神がメンタル体次元のサポーターであるという説明ではないように思う。

 

人間にとってこの両者は更に密接な隣人というべきものであるような感じだが、なぜだかそのからくりをきちんと明かした説明は見かけない。

いずれにしてもこの天国と地獄のバランスにおける自由、天の浮橋をもって初めて善に進むことができるのだ。

 

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ソクラテスの死生観-2

2023-02-20 12:20:49 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎12片の皮を縫い合わせたボール

(2012-11-23)

 

パイドンの続き。

 

まず、魂は不死にして不滅でハデス=死の世界においても存在を続ける。基本線はこうだが、ハデスでは地獄に落ちて輪廻転生サイクルに戻ってこない者がいるのも認めているので、事実上砕霊のようなものがあるのも認めているようにも読める。

 

パイドンは、ソクラテスの死の直前の説教なのだが、人間の魂は死の世界にあっても永劫不滅なのだから、積善陰徳が肝心ということで、その場の聴衆に合わせた話を開陳しているように思う。いわゆる高弟向けの秘儀ではない。

 

ソクラテスは、その話の延長として、我々の世界の上方にある世界としての真の大地=地球ロゴスを描写する。霊界上層の大地ということなのだと思うが、真の大地を上方から見れば12片の皮を縫い合わせたボールのようだという。サッカーボールは切頂20面体だが、正12面体なら正五角形12枚である。ここで五行、五大が発想され、物質の原理として登場するのだろう。

 

この大地に特徴的なのは、その美しさである。あらゆるものがこの世のものならぬ美しさで、大地全体が鮮明で純粋な色彩を持ち、目を見張るばかりな紺碧、黄金色、雪よりも白い白亜など、様々な色であり、その上にある花々、果実も華やかな色彩を持つ。そして石ころは皆宝石である。紅玉、緑玉、碧玉などの宝石でない石はなく、金銀なども地をおおっている。

 

そして大地の上には穴もあり、穴のひとつには地獄タルタロスもある。

 

法華経の見宝塔品にも、釈迦が、清浄な世界を見せてくれたら、そこは地面が瑠璃で、木が宝石で、黄金の縄で道を区切っていたなどと、ゴージャス霊界の描写があるが、それと同様である。

 

なぜこんな贅沢セレブの国訪問みたいな話を聞かされなければならないのか、それは単なる夢物語ではないのか、と大悟する前の日蓮みたいな感想を持たれる人もいるのではないか。

 

この話の基本は上層部霊界の話であって、ソクラテスは、霊魂は不滅だから因縁を浄化するために善行を行い悪事を行わないようにすべきだという、カルマ・ヨーガ推進のネタの一つとして使っている。

 

ソクラテスもこのゴージャス世界の住人の寿命は長いが永遠ではないとしているので、明らかにこれは霊界のことであって、第六身体の不壊の世界のことではない。

 

つまり、ソクラテスの美麗霊界の描写は、覚醒や大悟そのものが万人の問題となっている現代に比べれば、のんびりした時代だった聴衆向けの説法だったように思えるのである。

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ソクラテスの死生観-1

2023-02-20 12:15:42 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎パイドン

(2012-11-22)

 

ソクラテスが毒杯をあおって身体が次第に冷えていく状況を自ら実況中継したシーンのあるのが、パイドン。

 

パイドンにある彼の臨終観は、このようなものだ。

まず、悪人が死ねば、悪人が積んできた悪徳もご破算になると思っているが、魂は不死にして不滅であるがゆえに積んできた悪徳の報いから死後も逃れることはできない、と戒める。

 

人が死ぬとダイモーン(神霊)がその人を待っている。そのダイモーンは彼が存命中に彼を見守ってきたダイモーンだ。

このダイモーンが彼を案内して中有に連れて行く。

中有で裁きの庭に立つ。

 

裁かれた後、ダイモーンと一緒にハデス=死者の国に旅立つ。

死者の国でしかるべき期間過ごした後、ふたたび別のダイモーンに連れられてこの世に転生してくる。

こうした輪廻転生を何度も繰り返す。

 

このような死生観は、チベット密教をはじめとする仏教のそれと同じで、おなじみのものである。

 

パイドンでは、死後の世界では、至る所で分かれ道が多数あるので道に迷いやすいから、ダイモーンが道案内をしなければならないと、うがった説明をしているので、ソクラテスは自分でそれを見たことがあるのだろうと思う。

 

只管打坐で行く人は死後の世界がどうこうという話はあまり問題にしないものであるから、ソクラテスはクンダリーニ・ヨーギであったことがうかがえる。

ソクラテスは、こういう死生サイクルを見たのだろう。

 

更にソクラテスは、法華経ばりの「まことの大地」を見た感動の経験をも語っているのだ。(続く)

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ダイモンあるいはデーモン

2023-02-20 07:10:09 | 人と神の「実際のところ」

◎最初は守護霊として後には魔術の根本動因として

 

ダイモン(daimon)は、ソクラテスの死生観を読むと出てくる守護霊のようなもの。ダイモンはローマ時代には、ゲニウス(genius、守護霊)と呼ばれていた。

 

一方デーモン(demon)とは、悟りの直前に登場する悪魔であって、イエスの時も釈迦の時も成道直前に登場している。

ダイモンとデーモンは、そもそも別物だが、自由な石屋さんなどで現実を操作する魔的なパワーの根源をダイモンと呼ぶようになったようだ。それは以下の文でわかる。

 

『ギリシア語のダイモンは、本来は神あるいは神的存在を意味する言葉であったが、やがて神(テオス)の意味領域が確立するとともに、一般には神より下位にあり、現象世界より上位にあって現象世界を動かす根源的な力、原動力を意味するようになる。

 

人間と神々の中間に位置づけられたダイモンは、ギリシア時代における密儀・魔術・医術・予言などの基本原理と理解されていた。ゲニウスは、このダイモンを継承するラテン語であり、近代ヨーロッパにおいて、万象に内在する神的な力を意味する言葉として復活するのである。

鷲の飛ぶ姿を見る時に、われわれは天才を見るのでも、守護精霊や詩魂を見るのでもない。われわれは、鷲の飛ぶ姿に顕現している神的な力を見るのである。』

(フリーメーソンと錬金術/吉村正和/人文書院P177から引用)

 

密教とは、現実を操作できる魔的、神秘的なパワーを人間のよかれと思う方向に用いるもの。カトリックでは、聖霊を非常に広い意味で用いているが、その影のような位置にあるものとして薔薇十字以降の人々はダイモンを見たのだろうと思う。

 

守護霊の位置づけについては、出口王仁三郎その役割について厳密な定義づけを行っている。『人の精霊には、別途2種の精霊が同伴しており、一体は、天国と交流している善玉精霊(正守護神)であり、もう一体は、地獄と交流している悪玉精霊(副守護神)である。』というのがそれ。

 

なお我々の天賦の霊のことを本守護神と呼び、

正守護神、副守護神と同じレベルで並べているのは意味のあることとして考えてみるべきだろう。

 

また正守護神の人間へのエスコートぶりは、ソクラテスのダイモンと同様であると思うが、チベット密教では、正守護神、ダイモンに言及がないのはなぜなのだろうか。

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昭和神聖会ということ-2

2023-02-19 14:58:38 | 時代のおわりneo

◎昭和神聖会で実施したこと

(2006-09-21)

 

昭和神聖会は発足後1年5カ月で第二次大本事件に遭遇した。出口王仁三郎は、昭和神聖会の目的は浮草の如き信者の団結促進を図ることだったと説明しているが、本音はそれだけではなく、「型を出す」という「時代の先行モデルを大衆の潜在意識に植えつける」という操作を意図していたようなところがある。

 

1.昭和神聖会でやったこと

昭和神聖会でやったことは、次のようなものである。

(1)軍人による軍隊式訓練を行い、分列式(閲兵式のことか)までやった。

(2)信者を青年(中年、老年まで含めて)の有事の動員計画を作成していた。

(3)武器は、刀を2~3百振用意してあったが、自分で使うつもりはなく、教団に来訪した軍人に渡すつもりで持っていた。

(4)大本信条は昔出来たままだったので、信条を改正すると共に、大本規約を改正した。

(5)王仁三郎全集を発行した。

(6)映画部を設けて映画宣伝をした。(当時はまだテレビはなかった。)

 

2.昭和神聖会の目指した体制

昭和七年の十月統管(出口王仁三郎)随筆により、目指す体制面でのあり方を表明した。それによると

 

(1)絶対服従は天下統治の大本なり。私意を加へ言論を為す者は、断然除名して神聖会の統制を保つ覚悟を要する

(2)神聖会は、統制上一人の独裁を要する。神聖会員は総て統管の命令に絶対服従すべきである

(3)議会主義は駄目だ、独裁政治に限るのだ。

(4)大事を為すものは光鋭強化せる一団体の威力だ。一千万人の理解ある賛同者を獲得する迄は決して褌を緩めてはならぬ。

として当時本州の人口が6千万しかなかった当時、一千万人の昭和神聖運動への参加を目標に据え、最盛期で百三十何万人もの賛同者を得ていた。

 

3.日本の先行モデル

以上の昭和神聖会の事蹟から今後の日本の行く末を想像すると、次のようなことになろうか。

 

(1) 戦争のために憲法を改正する。

(2) 戦争遂行のために、議会政治をやめ、一党独裁体制を整える。

(3)その独裁の一党に反対する言論の自由を認めない。

(4)その一党のリーダーの命令には絶対服従を旨とする。

(5)その一党と党首の宣伝を出版、テレビ報道などで盛んに行う。

(6)日本は若干の軍備を準備するが、周辺国に対しては、せいぜい自衛のためのものであると言い訳できる程度の少量の軍備しか持っていない。

(7)ところがある日、戦争遂行準備していることを理由に、米国を初めとする世界じゅうの国から、日本という国が元からなかったかのように、根こそぎに攻撃・破壊される

 

4.まとめ

日本の先行モデルで挙げた予想は、今の段階では、まったく夢物語ではあるが、実際に憲法が改正されて、たとえばテロと戦うための自衛戦遂行を名目として、事実上の一党独裁となるような可能性は全くないとは言えないのではないだろうか。一党独裁になれば、何でもできてしまう。

 

しかし『一党独裁→戦争準備』という夢想的な可能性を云々することよりは、その後の日本を襲う悲劇的シナリオを回避することにこのブログの本旨がある。その回避の方法は、反戦運動、平和運動や、政治活動ではなく、一人一人が、宗派の如何は問わず、まず一日数十分の冥想を始めることしかないだろうと考えている。

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昭和神聖会ということ-1

2023-02-19 14:54:25 | 時代のおわりneo

◎これからの日本のモデル

(2006-09-20)

 

戦前の大超能力者出口王仁三郎は、「第一次大本事件として、大本教に型となって現れたことが、大東亜戦争(第二次世界大戦)となって、そのまま日本に現出した。しかし第二次大本事件が日本に現出するのはこれからである」として、昭和23年世を去った。

 

従ってどのように日本にそれが現出するかを予想するためには、第二次大本事件の特徴を知る必要がある。

 

第二次大本事件(昭和10年12月)は、出口王仁三郎など大本幹部信者の大量逮捕、本部建物の徹底した爆破による破壊、書類の焼却など徹底的にやられ、あたかも歴史の上から大本をなくしてしまおうとする意図の感じられるものであった。

 

そこまで徹底的にやられる主たる原因の一つが、昭和神聖会と呼ばれる信者による似非軍隊組織の構築であったように感じる。治安維持法の嫌疑の中には、出口王仁三郎が自ら天皇になることを狙ったという荒唐無稽のものもあったが、より現実味のある嫌疑としては、昭和神聖会によるクーデターだったのではないだろうか。昭和神聖会という何万人も加入している似非軍隊組織が、出口王仁三郎に対し絶対服従であり、軍隊型の行動訓練を受けているということは、官憲にとって2.26事件や5.15事件などのようなクーデーターの可能性を想像させる材料としては十分だったのではないか。

 

昭和6年に信者有志の輪読会である昭和青年会ができ、折しも満州事変の頃であり、これを出口王仁三郎の命により、組織を軍隊式として、15歳以上の信者全員を会員として、団体運動の訓練をして、王仁三郎の命令に絶対服従すべきものとして、統制がとれるようになることを狙って、公式な昭和青年会として再組織した。

 

後にこれから婦人部を独立させ、昭和坤生会とした。更に昭和9年7月6日昭和青年会を中心に大本を支持する大衆団体である昭和神聖会を発足させた。

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自由な石屋さん、錬金術、キリスト教

2023-02-19 07:36:25 | 無限の見方・無限の可能性

◎イエス出現の成果はキリスト教に限定されない

 

自由な石屋さん、錬金術、キリスト教については、寡聞にして浅学非才ながら次のような印象を持っている。

 

紀元前からグノーシス、ユダヤ教、錬金術というのは、中近東から西に存在していた。これらは、いわゆるアトランティス密教から派生した宗教と見られ、風土や時々の聖者の出現によって、しばしば路線変更が見られた。

 

アトランティス密教についていえば、プラトンがソロンという神官からアトランティスのことを聞いたことで当時のアレクサンドリアの図書館にアトランティス密教の精華が残っていたらしいことが想像される。

 

紀元前5世紀頃、ソクラテスは只管打坐型の悟りを実現し、プラトンは、クンダリーニ・ヨーガ型の悟りを実現したことがプラトンの著作でわかる。学者さんが哲学だと言っているから哲学だと思っている人が多いが、彼らは古代ギリシアの冥想修行者である。つまり二人で、顕教系と密教系の悟りを継承していたのだ。

 

イエス・キリストは、ユダヤ教の中から出てきたが、悟りである以上宗派の垣根を越えて他宗派も注目し、誕生時には馬小屋に三人の博士(マギ)も集まったほど。

 

ダンテス・ダイジは、イエスはユダヤ教エッセネ派の中から出て来たと見ていたが、イエスは、超能力を使いまくり、クンダリーニ・ヨーガ系であるユダヤ教の継承者として存命中は活動したことがわかる。

だが当時、グノーシスも8天球という形で正当な悟り(ニルヴァーナ)を見ており、錬金術もユダヤ教と一体となった形でユダヤ教の中にあったのだろうと思われる。

 

最初の錬金術師としてゾシモスやマリア・プロフェティサが出たのが3世紀。マリア・プロフェティサは、ユダヤ人でありユダヤ教から出たと考えるのが自然だろう。心理学者ユングは、ゾシモスの文書を冥想法に関するものと見ており、マリア・プロフェティサの片言『一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のものとして全一なるものの生じ来るなり』も冥想に関するものなのだろうと思う。

 

なおマリア・プロフェティサは物理的な錬金術の器具を発明したとされるが、中国でも漢代において物理的な錬金術である外丹は既に行われていたので、錬金術が中近東オリジナルと見ることはできない。

 

おそらく、グノーシスとユダヤ教の密教的(クンダリーニ・ヨーガ的)な部分が混交して錬金術という形になったのではないか。

 

4世紀にキリスト教がローマ帝国で公認された一方で、ユダヤ教とグノーシスの密教的部分は次第に衰退し、イスラム教の中に取り込まれる形で、15世紀までの長い胚胎の時期を過ごした。15世紀以降にユダヤ人が欧州各地に散って行く中で、その密教的部分に触発された運動が17世紀の薔薇十字の運動。それは自由な石屋さんの流れになっていくのだが、なぜかユダヤ教と違うシンボリズムを用いている。

 

勿論欧州域内では、ホイジンガの中世の秋に見るように、信仰としては安定的だったキリスト教の背後で密教的な物も時々ガス抜きをしつつ醸成されてきたところも無視できない。

 

薔薇は真理の象徴であり、石もまた真理の象徴であり、自由な石屋さんが薔薇のシンボルを用いるのは、真理たるニルヴァーナを標榜するまともな宗教なのだろう。

 

自由な石屋さんというのは、キリスト教神秘主義だの、西洋錬金術だの、新プラトン主義の流れを汲むものだと言われる。だが、17世紀頃さるドイツかなんかの覚者が、21世紀の至福千年実現に向けて、それら密教的なものを再編成して自由な石屋さんというものとして始めたのではあるまいか。

 

一方で顕教的なキリスト教は、観想法あるいは只管打坐的な瞑想法を中心に今までどおりがんばっているわけだ。

 

出口王仁三郎は、基本は猶太批判を行わず、昭和神聖会の時代と第二次大本教事件前夜のみにおいて批判。ダンテス・ダイジも、自由な石屋さん側にもちゃんと悟った人間がいると見ている。

 

ところで昨今のマスコミ、スマホによるマインド・コントロールは猛烈であって、特に最近はほとんどの人に関係のない無用の情報を洪水のように流し込んだり、画面をぽちぽちさせることで、まともな思考をさせまいというタイプに変化している。こうした中で正気を保つのは大変だ。

 

一方で歴史学者トインビーの唱えるように文明の根幹は、宗教であって、宗教が衰退すればその文明は滅亡する。近代西欧文明とは、キリスト教をバックボーンとする宗教であって、キリスト教が衰退滅亡すれば、近代西欧文明は終わる。

 

また自由な石屋さんのたくらみは、特に最近においてどんどん露見していっているのだろう。そのたくらみ群は陰謀論とひとくくりにされて論じられることも多い。

 

そして古来からのキリスト教滅亡予言やら、さる勢力の世界統一予言などもある。

だが、そうしたものについては、出口王仁三郎の『○○は大悪に見せて大善をやる』という喝破を忘れるべきではないと思う。

 

全体として見れば、イエス出現なくしては、自由な石屋さんもなかったのだろうと思う。

フリーメイソン螺鈿箱

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宇宙飛行士と老化、放射線障害-2

2023-02-18 06:46:21 | ハタ・ヨーガ(冥想法3)neo

◎まずはできることから

(2011-06-17)

 

「宇宙飛行士は早く老ける?/ジョーン・ヴァーニカス/朝日新聞社」では、宇宙飛行士のリハビリについて、運動による筋力回復と食事を中心に述べている。ホルモン療法、薬物、サプリメントも若干は書かれてあるが、メインの位置づけではない。基本は食事と運動である。

 

以下同上書から抜粋。

 

Ⅰ.食事

1.食事によるカルシウム補給。ほうれんそう、キャベツなどの緑黄色野菜、牛乳、チーズ、卵。食べ過ぎないようにし、カルシウム摂取量を上げるために日常は活動的にする。

2.腸でのカルシウム吸収を促すビタミンDを増やすために日光浴をする。食事なら野菜、レバー、卵。

3.骨を構成するたんぱく質を作るのに必要なビタミンKの摂取。かんきつ類、パパイヤ、いちご、トマト、じゃがいも、レタス、ブロッコリー、ほうれんそうなどの緑黄色野菜。

4.関節の主成分のコラーゲンを作るビタミンC。ビタミンCは、身体が酸化することも防ぐ作用がある。

5.骨を作るのに必要なもう一つの要素のリン。ヨーグルト、卵、チーズ、ナッツ等に含まれており、通常は不足になることはない。

 

Ⅱ.運動

1.有酸素運動(汗をかくほどの運動量)。代謝率を高める。

2.無酸素運動。炭水化物のエネルギーへの変換。

3.運動前のストレッチ

4.筋力強化のウェイトトレーニング

5.良い姿勢の維持(背筋、腹筋、首回りの筋肉の強化)

6.ピラティス・エクササイズ(腹横筋を鍛える運動)

 

ざっとこのようなものが挙がっている。運動の方は肉体系のものだけなので、エーテル体系の気功・導引などがあるとベターであり、放射線障害を意識するならば、放射性物質の排出を促進する手段が更にあるといいと思う。

 

いずれにせよ放射線障害対策は、日本全体の英知を結集して対策を立てる話だが、まずはできることから。そして冥想ですら十分な時間を充てられないのに、運動に十分な時間を充てられるかという問題がある。平常から相当意識していないと継続的に実行できないという点では冥想も同じではある。食材の汚染の問題も避けては通れない。

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