アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ネコノミクス宣言

2023-03-10 16:05:17 | 時代のおわりneo

◎闇路に闇路を踏みそえて

(2019-06-18)

 

ネコノミクス宣言は、猫好きによる猫好きのための猫好き本ではない。

昔から不思議だ、どうなっているんだろうと疑問を持っていたことが、大体わかるような内容の本であった。アングラ・マネーの流れと共にその売買対象は、人身売買、臓器売買、麻薬、兵器などまさに何でもありの世界であり、決済方法として仮想通貨も出て来て、他方パナマ文書みたいにモノと金の流通が俯瞰できるものが登場してきており、事実は小説よりも奇なりと言うが、現実の世界は、地獄も地獄、阿鼻叫喚みたいなことが行われているのがこの21世紀だと目からうろこを落としてもらった思いである。

 

アングラ・マネーの世界では、マフィアが要所要所で介在し、さらにいわゆる決済・トラブルのケツモチや後ろ盾あるいは、プレイヤーは国家そのものだったりする。

 

この問題のある売買対象物と決済手段が混然一体となって、「一つながり」のものになっているのは皮肉なことである。

 

それと、ユーロマネーを中心とする国際金融市場はそれ自体が、タックス・ヘイブンのようなものだが、英領にはかつて香港があり、バージン諸島があるようにアメリカには、デラウェア州があり、パナマがありと、タックス・ヘイブンのようものは、世界に散在している。スイスは一見守秘義務に守られた固い国だが実は緩いとか、国際政治の綾の中で、マスコミ報道とか社会常識とされるフェイク知識を越えた現実が、真の現実なのだと改めて感じさせられた。

 

テクノロジーはそれを用いる者の善悪は問わない。GAFA(Google,Apple,facebook,Amazon)の問題は、こうしたあらゆる問題の集大成でもあるとも感じられる。

 

アングラ・マネーとは、脱税資金のことだが、日本では、どうしても反社会の方に目が行きがちだが、反社会でなくても堅気の脱税も本来アングラ・マネー。

 

国際的なモノの移動は、合法的に移動させねばならないが、国際的に信用されている組織がアングラのモノを移動させているという話も書いてあった。事実とすれば、OSHOバグワンが、マザー・テレサのことを唐突に批判していたのだが、その辺の情報を知っていたのかもしれない。

 

こういう本が出てきて全貌がわかるようになるということは一連のそうした体系は終わりだということでもある。

 

中国、北朝鮮の人権状況はひどいと聞くが、南インド、カンボジア、フランスの状況はもっと怖いとは恐れ入った。

 

闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき(白隠禅師坐禅和讃)

 

『白狐。

所詮、おまえの神通力も、

愛の代用品に過ぎない。

 

そして、

いかなる愛も愛情も不安な灰色と化した時、

ホワイト・フォックス 

おまえに一体、

何ができよう。

 

快適で豊富なる暮らしの神。

聖なるマンモン。

白狐。

 

もう、

おれは、

おまえについて、

どんな判断もしやしない!』

(ダンテス・ダイジの老子狂言から引用)

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現代の偽予言者、エクソシスト(祓魔師)

2023-03-10 06:25:15 | 人と神の「実際のところ」

◎無意識に自分がマインド・コントローラーになっている

 

最近は、NARUTO-ナルトなどオカルト、スピリチュアルテーマの漫画も多く、偽予言者、エクソシスト、チャクラなどという、昔はテクニカル・タームだった言葉を知っている人も多い。

 

終わりの世には偽予言者がはびこるなどと若い頃に聞いてびびっていたが、最近は、数十年前にも増して偽予言者がはびこっている。

 

預言者とは、真理を語る者だが、厳しく見れば、真理を知らぬ者が真理を語った場合、たちまち偽予言者となる。つまり偽予言者とは、

特殊詐欺の犯人から、情報操作、世論操作を信じて誤った真理を書いたSNSの著者やそれに“いいね”を押した人まで、広く含まれることになる。

 

嘘を言わない、正直であるというのは、人として基本だが、冥想修行者の基本でもある。スマホやPCで触れる情報がややもすれば半分以上が真実でないとすれば、そうしたもので出来上がった人物の思考や発言は、半ば偽予言者と考えられる。無意識に自分がマインド・コントローラー、つまりマインド・コントロールする側になっているわけだ。

 

つまり現代人の半分は、自覚しないまま偽予言者になってしまっていると見ることができる。これを終わりの時代と言わずして何と言う。

 

※マタイによる福音書7-15:「偽予言者を警戒せよ」

同じく24-11:「また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。」

 

古い時代にキリスト聖職者の位階にエクシソシスト(祓魔師)というのがあった。チャネラーの憑霊による発動ではないが、キリスト教でもトランスに入ることによってそういう状態になることがあったのだろう。それに加え、改宗、カルト脱会、共産主義洗脳(リフトンの研究による)など、精神の根底を不安定化される事態。そういう場合にエクシソシストが必要になる。だが除霊本とかエクソチズム本を読むと憑依された媒体の方に問題があるなどと書かれていることも多い。

 

ところが最強のそれは、冥想修行の最終段階で登場してくるものであって、大悟覚醒の最終段階でないと出てこないのは、イエスや釈迦の例にあるとおりである。それを考えると、エクソシスト(祓魔師)の位置づけが低かったのはなぜだろうかと考えさせられてしまう。

 

現代人の一半がこのような状態だから、現代のエクソシスト(祓魔師)の資格は、大悟覚醒、ニルヴァーナ体験者以外にないと言うことができるように思う。

 

『〈祓魔師〉(Exorcista) は、 文字どおり悪魔(悪霊)を祓う者のことであるが、聖職者の階級(〈品級〉Ordo, Pl. Ordines という)のひとつ。品級は、下級四段と上級三段とに大別され、前者は(下位から)守門、読師(一〇二ページ 注六)、祓魔師、侍祭の四級、後者は副助祭、助祭、司祭の三級にわかれる。これらの品級をさずける権能をもつのは、司教であって、祓魔師の授品式は、司教が受品者に祓魔のための祈禱文などを書いた典礼書を渡すことによっておこなわれた。祓魔師は、定められた祈禱文をとなえながら按手(第一巻三九三ページ注二)することによって悪魔祓いをおこなった。

 

そのほか洗礼志願者に祓魔式をほどこし、その宗教教育を受けもつことも、祓魔師の任務であった。今日では、祓魔師は、事実上司祭職に昇進していくまでの一過程というにすぎない。』

(黄金伝説 2 ヤコブス・デ・ウォラギネ/著 人文書院P274-275から引用)

 

なお、祓魔、除霊が問題になるのは、クンダリーニ系修行の場合であって、禅・只管打坐系修行にあってはそれを問題にしない。もっとも只管打坐系の覚者クリシュナムルティはそれに類したことをやっているが、真理を知る覚者だからできるということはある。

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聖女リタの奇蹟

2023-03-09 03:24:45 | 浅い霊感から神人合一まで

◎洗礼者ヨハネ、聖アウグスチヌス、トレンティノの聖ニコラの出迎え

 

聖女リタ(1371-1457)は、イタリアに生まれ、ウンブリアの宝石とも呼ばれる。聖女リタは、カトリックの信者から最も人気のある聖者で、絶望的な案件や不可能な案件に効能がある聖者であるという。

 

修道女はイエスと結婚するのだから、処女で修道院に入る例が多いが、聖女リタは、なんと結婚して、DV夫を改心させ、その夫を看取り、二人の息子を育て上げたが、三人とも亡くなったので、修道院に無理を言って例外的に修道女になることができた。

 

ある真夜中、外から「リタ、リタ」と呼ぶ声がするので、窓を開けて見ると、誰もいない。しばらくして「リタ、リタ」とまた呼ぶ声がするので、今度は家の扉を開けてみると、洗礼者ヨハネ、聖アウグスチヌス、トレンティノの聖ニコラだった。三人の聖者は彼女について来るように言い、ついていくと修道院の前に着き、重い扉がひとりでに開き、リタが中に入ると、三人の聖者は去って行った。

 

カスシア修道院は、既にリタが修道院の中に入っていることで驚き、三聖者の奇蹟を聞き、修道院受け入れを決めた。

 

カスシア修道院で1443年の復活祭の前の40日間、ヤコブ・デラ・マルカという有名説教師によるイエスの受難の物語を聞いてリタは感動した。その足でチャペルの十字架のイエス像の前で、「その痛みを私にもお分け下さい」と懸命に祈ったところ、イエスの頭の茨の冠から刺が飛び出して、リタの額に傷ができ、それは生涯治らなかった。この聖痕は腫れあがり腐臭をはなったことから、彼女は独房で8年間を過ごすことになった。

 

彼女には、その他にも奇蹟譚があるが、気になったのはこの二つ。

 

三人の聖者が彼女を迎えにきて、修道院に送り届けたのは、彼女の大悟のシーン。2、3柱の高級神霊がお迎えするのは、大悟時の定番。

 

聖痕が額にできた件は、でき方が珍しいが、そこにあまりこだわらなくてもよいのではないだろうか。イエスの一生の観想法を繰り返す中で、イエスとの一体化が聖痕という形で成ったのだ。古代チベットでは、額の中央のある位置に器具で穴をあける技法があったというが、それですべて問題がなくなったわけでもないのだろうと思う。

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「神様」のいる家で育ちました

2023-03-08 03:53:03 | 時代にFace it

◎君の絶望そのものがすでに君が絶対そのものであることをしめしている

 

『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~/菊池 真理子/文芸春秋』を読みました。これは、宗教2世の生い立ちと苦悩が、七宗派別に分かれて描かれているもの。七宗派には、最近教祖が亡くなったところや、10年以上教祖が姿を見せていないところも含まれている。

 

宗教には、終着点を天国・極楽に置くものとそれを越えて更に奥に進み得る宗教がある。それは、教義の構造だが、人間本来の自由度を考えれば、そうした枠組みにとらわれず、『どうしょうもないほどの情熱と素直さ』(ダンテス・ダイジ/冥想道手帳から引用)だけでも窮極に到達することができる。

 

社会の構造や貧富の差や親の宗教はどうしようもない部分があるなどと、時に絶望に陥るかもしれないが、世界の見方は、その一種類ではなく、ヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスが見せたように、呪師の戦士としてイーグルなる神の下で、異次元の世界で永遠を求めるような全く別の生き方すらある(カルロス・カスタネダのシリーズ)。

 

そんなことを言っても、この絶望や理不尽や不条理は何も変わらないと思うのかもしれないが、例えばどんな立派な教祖様もいつかは死ぬ。人間である以上、どんな頑丈な人でもヒーローでもアイドルでも権力者でもスーパーリッチでも、いつかは死んで、名声も財産も勲章も地位も家族も友人もすべて置いていってしまう。

 

それを前提に、自分が本当に望んでいるものをまず見きわめることが先決なのではないだろうか。

 

この時代は、宗教的なものを求めなくとも、世俗的に普通に社会人として生きていくだけでも全精力を傾けねばならない時代になり果てた。求道者として、永遠不壊なるものを求めるには、あまりにも環境は厳しいが、それでもあきらめずに、できる手近なことから始めて、続けて行けば、ある日気がつくこともあるかもしれない。

 

取り逃がさないように、始終気をつけていることは大切だ。ある朝、長年待望したイエス様が来臨したが、眠っていて気がつかなかったというようなことは起こり得る。

 

悟りとは、神仏を見る、あるいは神仏と合体するということだが、今生でそれに到達するには、自分ではどうしようもない、『生きるエネルギー』が十分に必要だということもある。

悟りとは、意外に簡単みたいに表現されることもあるが、そうでない部分もあるように思う。

 

君の絶望そのものが

すでに君が

絶対そのものであることをしめしている』

(ダンテス・ダイジ/冥想道手帳から引用)

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世界樹の見え方

2023-03-07 20:41:49 | 錬金術neo

◎それはひっくり返っている

(2009-12-26)

 

世界樹は哲学の樹(アルボル・フィロソフィカ)とも呼ばれ、北欧神話ではイグドラシルとも呼ばれる。錬金術文書では、転倒した樹(アルボル・インウェルサ)とされ、上から下に成長し、樹冠が下に、根が上にある。この転倒した世界樹は、古代秘教的世界観から来るもので、神である根から世界が発出しているという見方に、人間からの見え方を加えたものである。

 

『ある錬金術の文書では、「鉱物の根は空に、枝は大地の下にあり、これを引き抜くと、恐ろしい音がして、大いなる恐怖が続く」と記されている。『世界の栄光』では、哲学者たちの言葉として「その鉱物の根は空にあり、梢は大地の下にあり」と述べられている。

(中略)

 

転倒した世界樹の数多くの例の中で最も有名なものは、『ウパニシャッド(奥義書)』にあるものだろう。樹の宗教的意味がアルボル・フィロソフィカのそれと似ている。

 

この宇宙は永遠に存在する樹であり、その根は高く、枝は下に広がる。

樹の純粋な根が梵であり、その中に三界(欲界と色界と無色界)が存在し、これを超越する者はいない。』

(ヨハンネス・ファブリキウス/錬金術の世界/青土社p229から引用)

 

悟っていない人間には、世界樹は根が下に枝が上に広がって見える。世界樹の根を目撃した瞬間に、世界樹の見え方はひっくり返る。世界樹の根は神であり、仏であり、タオであり、ニルヴァーナである。

 

この逆転した世界観こそ覚者の証拠である。悟った人が周辺に理解されないのはここに最大のキーポイントがあるのではないか。

 

また霊が見えようが、ハイアーセルフと話ができようが、世界が逆さまに見えない人は本物ではあるまい。タロット・カードの木から吊るされた男こそ、覚者の姿である。吊るされて世の中がひっくり返ることほど恐ろしいものはない。実はそちらの方が真相だったと。それ以外にアセンションはあるまい。

 

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一厘の仕組-2

2023-03-07 03:35:44 | 冥想いろいろ

◎なぜ出口王仁三郎だけが知っていたか

 

一厘の仕組とは、九分九厘悪玉ペースで進んでいた世界の趨勢が、最後の一厘で大逆転すること。逆転と言えば、タロット・カードの吊るされた男で有名だが、出口王仁三郎を読んだ人なら、一厘の仕組が古事記の仲哀天皇の段に描かれていることは知っている。

 

冥想シーンで、九分九厘から一厘の大逆転は、個人が逆転して世界全体になること。

 

古事記の仲哀天皇の段で、九分九厘の崖っぷちシーンは、仲哀天皇が神託のとおりにせずに、なまなまに琴を弾じているうちに人知れず崩御されたこと。

 

次のとおり出口ナオは一厘の仕組を知らなかったと言っている。なぜ出口王仁三郎だけが知っていたか。出口王仁三郎には、体験とは言えない体験があったからではないか。

 

※二代様:出口スミ

『◯一厘の仕組

(『大本神論』に啓示された三千世界救済の大神策・天地の祖神の大経綸)

 

二代様  「一厘のお仕組は開祖様でも御存じなかった。」

聖師    「王仁は知っていた。」

(昭和二十年九月四日)

 

(大正時代に聖師は『古事記』の大后息長帯日売命(おほきさきおきながたらしひめのみこと)の帰神のところに一厘の仕組が示されてあると教えられた)

 

(参照)『霊界物語』第一巻第三十五章「一輪の秘密」。第三十六章「一輪の仕組」』

(新月の光(下巻)/木庭次守P301-302から引用)

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冥想道手帳 ダンテス・ダイジ-11

2023-03-06 06:12:41 | ダンテス・ダイジの風光

◎君の欲望は決して満足することはないが

 

冥想道手帳の続き

『読書からでも映画からでも知人からでも

この世の虚しさや不安からでも

失恋や最愛の者の死からでも

マリファナやロック・ミュージックからでも

どんなキッカケであってもかまわない。

君が絶対に確かなものを求めようとする時

冥想が始まる。

 

サイケデリック・トリップによって

君が悟りらしきものを開いたとしても

それは、冥想という果てなき戯れの

出発点であるにすぎない。

 

ベナレスの風景を眺めているうちに

喜びでも悲しみでもない遙かなものに

ふれて君が深い静寂を味わったとしても

それは、冥想しかない冥想への

旅のはじまりを示すだけだ。

 

森の中に迷っている

三才の童子のように

完全なやすらぎを

心底から君が求めること

それが、宇宙創成以前からの

君の冥想との因縁である。

 

君の欲望は

決して満足することはないが

君自身は幸福そのものだ

 

自分自身の

本当の

願いが

何であるかを知れば

君にはどんな問題もない。』

(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)

 

ここは、発心と究極の両方が描かれている。

 

何のために冥想を始めるか。それは、『絶対に確かなもの』や『悟りらしきもの』、『遙かなもの』、『深い静寂』、そして『完全なやすらぎ』に触発されたり、求めたりすることで始まる。

 

冥想の極みは、君自身は幸福そのものであることに気づくこと、あるいは、自分自身の本当の願いを知ること。この表現は、最終ステップ直前において見ている自分、気づいている自分、知っている自分を残しながらも、その先も展望している。

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大八洲神社のご神鏡

2023-03-05 16:33:27 | 古神道の手振りneo

◎世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時ぞ知られける

(2020-08-03)

 

二度の大本教事件は、日本の運命の先行モデル。その大本教の本部エリアに日本をさらにミニマイズした場所がある。それが金竜海。

 

地球は天球の縮図であり、日本は地球の縮図、さらに金竜海は日本の縮図。

 

出口王仁三郎は、綾部市に金竜海という三千余坪の池を造営し、大八洲(神島)、六合大島、沓島、冠島などの島も置いた。

 

祭神のポイントは、地上の神界も地上も主宰する国常立尊(艮の金神)が祀られていないこと。両方主宰していないと地上天国であるみろくの世は来ない。

 

そこで、まずは、天の三体の大神である、天照大御神、日の大神(伊邪那岐尊)、月の大神(伊邪那美尊)を大八洲神社に祀った。

 

さて第二次大本教事件直後のある日、籠(この)神社の先代宮司海部穀定氏が京都の古道具屋で、店の主人がとある青年と金竜海の大八洲神社に祀られていたご神体である鏡を預かってほしい、いやそんな物騒なものは預かれないと押し問答になっているところに出くわした。

 

海部氏はとっさにこれを預かることを申し出、青年はほっとして立ち去ったという。

 

このご神体は出口王仁三郎自ら作った鉄製の神鏡であって、直径9センチ、表には16弁の菊花紋、裏面には、

『世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時ぞ知られける

神乃まもりのおろかならぬわ』という歌が彫られていた。

※「おろか」とはおろそかの意。

※”裏金神 原爆をこの世に送り出した神” 西郷武士/著 文芸社P263-264参照

 

金竜海とは、竜宮と言われるが、いままでよくわからなかったところがあるが、ネオ・アトランティスと見れば合点がいく。

 

世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時とは今の時代のことである。

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旭形亀太郎メモ

2023-03-05 15:53:18 | 古神道の手振りneo

◎知られざる明治維新の元勲

(2020-12-25)

 

愛知県に玉鉾神社を創建した旭形亀太郎。本名は、速水亀太郎、大阪の貧しい武家の次男。1861年二十歳にして京都の力士となった。1863年宮中の護衛のために勤王の同志を集めて力士隊を組織し、その隊長となって日夜宮中に奉仕。1864年の蛤御門の変(禁門の変)では、特に宮中に召され孝明天皇の玉座の守備を任された。

 

この際に御製を賜った。

照る影をひら手に受けし旭形

千代にかがやくいさをなりけり

 

これにより名を旭形と改めた。当時近衛家はじめ公家や薩長を中心とした小松帯刀、桂小五郎、西郷吉之助、横井小楠、大久保一蔵、坂本龍馬らとの間は幕府方の警戒が厳しく往来が困難であったが、常に旭形を密使として交信していた。一時気取られて新選組につかまったこともあるが、知り合いの与力に助けられた。

 

この当時の働きと交流、人脈が、明治になってからの実業家、篤志家としての成功の原動力となったと思われる。

 

旭形といえば、アサヒビールの総代のことばかり言われるが、陸軍偕行社の嘱託、大阪慈恵会病院の設立発起人、日本赤十字社の大阪支部幹事などを歴任。

(以上参照:史談 土俵のうちそと/武者成一/雲母書房)

 

後に彼は孝明天皇を祭神とする玉鉾神社を創建したが、小松宮彰仁親王が参拝されたほどの神社。明治政府は、無位無官の民間人による孝明天皇の神社創建をどう思っていたのだろうか。

 

たまほこのひ可里などでは、孝明天皇の予言(遺勅)を前面に出して説明するのだが、明治維新は20人程度の結束したグループで成ったのだが、旭形は、その中心的なハブ(隠密中の隠密)としてなくてはならないピースだったということがわかる。単に禁門の変で、玉体をカバーしつつ、銃弾を二発受けながら退避せられたということばかりではない。

 

そして維新後の栄達への無欲ぶりは、西郷隆盛に並ぶ。

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たまほこのひ可里

2023-03-05 15:49:57 | 古神道の手振りneo

◎三種の神器を守る

(2020-12-21)

 

慶応二年旧12月25日、孝明天皇が崩御され、生前に言い含められたとおり、天皇陛下近衛隊の力士旭形亀太郎が、車夫佐藤紋次郎に遺勅『たまほこのひ可里』(予言集)を託した。彼は、スの拇印のある人物にそれを渡すように命じられていたが、昭和10年の第二次大本教事件に係る家宅捜索に遇い、その際警察にその文書を焼却するよう迫られ、やむなく焼却。

 

佐藤紋次郎は、このことを悔い、記憶をたどって、遺勅を再作成した。それを持って、昭和17年、出獄して間もないスの拇印のある人物、出口王仁三郎に持参した。出口王仁三郎には特にこれについてのコメントはないが、歌集では、いい加減なことをまくしたてる人物がやってきてうるさいので、お茶も出さずに帰したと日付入りで残している。

 

孝明天皇は、知多半島武豊の玉鉾神社に祀られている。この土地が後に重要な意味を持つであろうことは以前述べた。

 

霊界物語では、玉を奪う話が多い。玉とは国がまえをつければ、国のことである。霊界で国盗りするとは、神国日本を奪おうとすることだから、孝明天皇遺勅に、アメリカは、日の丸と三種の神器を奪おうとして来るなどと書いているそうだが、三種の神器は、今やどこかの神社や博物館にあるのではなく、日本人個々が自らのうちに確認することができる時代となっている。

 

その意味で、三種の神器を奪われないようにするということが大切。

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大和魂の構造

2023-03-05 07:26:40 | 冥想いろいろ

◎慈悲心(善の方へ働く感情)、理性、意志

 

出口王仁三郎は、大和魂とは、菩提心のことであるとし、慈悲心(善の方へ働く感情)、理性、意志の三つで成るという。

この中で慈悲心・愛は、知性の劣った者でも鳥獣でも理解できるから最上と位置付ける。

 

知性、理性を武力、軍事、情報戦に優先投入する時代は、過去何千年続いてきたわけだが、この知性の優れた人間がどんどん出現している時代に、誠の力は世を救うとか、言向け和(やわ)すなどと得々と語る者もいるが、世界を平和裡に新時代に向けて移行させていく根源的パワーは、軍備強化でもなく、インテリジェンスの強化でもなく、経済力の強化でもなく、反戦キャンペーンでもなく、まず自分が神知ること。

 

神知る者に独特の思考様式、行動形態が、自ずと時代を正しい方向に向かわせる。これは不思議なことだが、爛熟腐敗を極めた時代に必ず聖者、覚者、神人(アヴァターラ)が地上に投入されるというのは、そのメカニズムがあるからではないのだろうか。

 

そして、知者の多いこの時代は、聖者覚者が一人出てもどうにもならず、続々とフツーの人が悟って行かねばならないのだ。

 

以下、出口王仁三郎の大和魂の説明。

『『大和魂は仏の道で云ふ菩提心の事だ。此菩提心は三つの心が集つて出来たものだ。其第一は神心、仏心又は覚心と云つて善の方へ働く感情を云ふのだ。要するに慈悲心とか、同情心とか云ふものだ。第二は勝義心と云つて即ち理性である。

 

理性に消極、積極、各種の階級のある事はもとよりである。理性の階級については到底一朝一夕に云ひ尽されるべきものでないから略する事として、第三は三摩地心と云ふのだ。

 

三摩地心とは即ち意志と云ふ事である。尚よき感情とよき意志とよき理性と全然一致して不動金剛の大決心、大勇猛心を発したものが三摩地心であつて、以上三者を合一したものが菩提心となり大和魂ともなるのだ。

 

何程理性が勝れてゐても知識に達してゐても、知識では一切の衆生を済度する事は出来ない。智識あるもの、学力ある者のみ之を解するもので、一般的に其身魂を救ふ事が出来ない。これに反して正覚心所謂神心、仏心は感情であるから、大慈悲心も起り、同情心もよく働く。此慈悲心、同情心は智者も学者も鳥獣に至るまで及ぼすことが出来る。これ位偉大なものはない。』

(霊界物語 第40巻 第2篇 寒梅照国 第6章 仁愛の真相から引用)

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知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎-2

2023-03-04 15:27:04 | 古神道の手振りneo

◎富士と鳴門の仕組みの完成

(2021-01-11)

 

出口王仁三郎のことですらまともに理解されていない現代において、「大本裏神業」とは、大方の人にとっては、どちら方面のことやら想像もつかないマニアックな話なのだろうと思う。

 

明治中期、出口ナオという極貧のスーパー・チャネラーがいて、大神が降臨し、時代への大警告予言を金釘文字にて記録していた。彼女は京都の寺社大空襲などを含む日本の終末ビジョンを見ていた。何年か後に青年出口王仁三郎が高熊山の洞窟修行で、それと同様の日本の終末ビジョンを幻視。その幻視の内容が出口ナオと合致していたので、二人はパートナーとして教団を立ち上げた。

 

出口王仁三郎は、教団を拡大し、大正中期までには、チャネリング・帰神を主体とする大教団にまで発展させていたが、関東大震災予言の時期を一部幹部が「大峠」なる世の終わりと誤認宣伝する事件をきっかけに大正10年2月12日に第一次大本教事件として大弾圧を受けた。

これが、日本の第二次世界大戦敗戦の鋳型。

 

大正13年2月13日出口王仁三郎は、保釈(責付出獄)の身ながらモンゴルに高跳びし、盧占魁という馬賊の頭領に従ってモンゴル内を宣教した。ところが、東北軍閥トップの張作霖に盧占魁とその兵士諸共ほとんどが全滅させられ、出口王仁三郎一行も銃殺寸前まで行きながらかろうじて生還。これは、日本の人口が大幅に減るが、モンゴルにて存続はする鋳型。

 

大本教はさらに教勢を増し、皇族、軍部を含め政権内部に食い込み、公称信者数8百万人とも言われるまでになった。ここで近衛隊を模した昭和青年会という組織を作り、出口王仁三郎は、天皇のように白馬に乗って閲兵に見えるようなイベントまでした。これが明治中期から英国の指導協力の下、国家神道体制による戦争推進機構を完成させようとしていた官憲を刺激し、昭和10年12月8日第二次大本教事件が起き、出口王仁三郎は、以後7年牢獄で過ごすこととなる。これは日本の次の世界大戦敗戦の鋳型。

 

第二次大本教事件前夜、大本教のご神体は笹目秀和に託され崑崙山中に返還された。これも裏神業の一つ。ところが、今回の雑誌ムーの特集を見ると、ご神体はいくつも秘匿されていたらしい。そのいくつかが篤信の信者に流れ、また別途それについてのアドバイスも出口王仁三郎から出ており、それが裏神業を形成しているように思う。

 

そうした一人が泉田瑞顕。彼は、商工業文明の終わりと私有財産の奉還、租税制度の撤廃、貨幣制度の廃止などを説く。ところが、いずれも現代の技術文明の大規模な崩壊後のことであり、貨幣制度が金銀本位制をやめて御稜威本位制となるのは、大衆全員が神知る霊的社会になって後のこと。なぜなら御稜威が万人共通の価値観となるには、大神があって人は天皇を最高位に置く180位階であることが社会通念にならねばならないからである。終末予言を軸とするのはやむを得ないが、それから先は空想的なところがあるように思う。日月神示は彼の著作で知った。

 

出口王仁三郎は、辻天水を召命し、水茎文字を見せるなどして特別扱いし、大本教は世界の宗教が滅ぶ型であることを明かしたという(『知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎』、雑誌ムー2021年2月号の特集P23)。宗教が滅ぶとは、映画『マッドマックス』のような世界になることでなく、万人が神仏を知っている世界。万人が最低でも見神見仏(十牛図の第三図)の体験を有している世界。

 

それにしても、全組織宗教が壊滅しないと、万人が最低でも見神見仏しないと出口王仁三郎は踏み込んで見ていたのか。

 

裏神業には淡路神業があり、武智時三郎に「淡路の神秘ヱル、ヱロヘ、イスラヱル」という著作がある。一度見たがあまりにも霊がかりであって感心しなかった。武智時三郎の義理の息子白山義高は、淡路島に出口王仁三郎の命で井戸を掘削。さらに昭和27年淡路の菰江海岸の旅館四州園の敷地内で古代ユダヤの遺跡とされるものが発見された時に対応している。淡路島に残るイスラエルの足跡 イスラエル遺跡について詳しく説明。 (http://mysteryspot.org/report/awaji-israel/awaji-israel.htm)

 

これについて、淡路-近江-北伊勢とご神体が移るが、これが『富士と鳴門の仕組みの完成』の条件と出口王仁三郎が説明した由。これは地球ロゴスの神秘生理学ですね。

 

イスラエルは、ディアスポラで世界に民族離散し、20世紀になってようやく再建国できた。 日本は単独国家でやってきたがこれからはどうか。霊界物語入蒙篇の意義を考えさせられる。

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知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎-1

2023-03-04 15:20:57 | 古神道の手振りneo

◎茜大神、菰野、淡路島、伊勢

(2021-01-10)

 

『知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎』は、雑誌ムー2021年2月号の特集。

 

大本裏神業は、チャネラーの系譜の色彩が強い。行というものは、総じて無意識を触るものであって、神業という名の行を行っている人を第三者が外形だけ見て何をやっているのか判じることは容易でない部分がある。それを見抜ける力量の人とは、釈迦の臨終時に四禅から涅槃に入ったと説明した人物とか、和気清麻呂が満月相を現じたと見た人物とか、龍樹の満月相を見た人物ぐらいの方ということになろう。

 

人が本気になるのは、ネガティブ予言でショックを受けた時だからと言って、更にネガティブな新たな予言を出しても、期待したとおり大衆が動くものでもない。有名ネガティブ予言が現実化しかけた時に思うのは、依拠すべき、まともな教え、まともな宗教があるのかどうかということの方であって、凄惨残虐な詳細な地獄絵図を見たいということではない。

 

今やまさにコロナという悪疫でもって、大衆を不安でもって思想と行動をコントロールし、次はアメリカのようにSNSも含め、言論、宗教、集会までも抑圧して行こうとするのだろう。アメリカは民主主義の国だと聞いていたが、今やそれは名ばかりの国になった。選挙において不正ははやったもの勝ち、悪事を隠すのにSNS主催者自体が協力することを世界中が目撃した。(霊的には、中国のアメリカへの浸透ぶりと北海道への浸透ぶりはパラレルという視点も忘れてはいけない(型出し)。)

 

次は、十六神将、十六魔王が揃ったところで、茜大神(大本裏神業錦の宮の神で、血染め焼尽の戦乱の神)の段階が予想されるのだろう。

 

今般の米大統領選挙での売電推しは、SNSも参加したことでヒトラー当時のファシズムの宣伝以上のものと感じられる。また中国の集金平崇拝は、文化大革命当時を思わせるものがあるが、彼のグリップは毛沢東のそれに及ばないことから、毛沢東の死とほぼ同時に文化大革命が終息したが、今般はそれほど長持ちしないのではないか。見え隠れする四分裂。

 

軍拡を急速に進めるドイツは、1938年のオーストリア併合に際し、中途半端な宥和策をとる欧米に付け込んで、そのまま領土拡張を進めた。

一方経済規模拡大と並行して軍備増強する現代中国に対しまたも宥和的な政策をとる欧米に、第二次世界大戦時の対独宥和姿勢と似ていると見る識者も少なくはないのではないか。

 

さて、世界は自分であって、自分は世界であるというのは、神人合一した第六身体アートマン・レベルの実感である。ゆえに、世界戦争とか、外国による日本国侵略の予感があるのであれば、悲劇的予言に慄くよりは、まず自分が冥想により神に近づくことの方が先決である。

 

大本裏神業では、世界の宗教はどんどん滅んでいき、最後に残るのはキリスト教だが、それも・・・・・と出口王仁三郎は予言したそうだ。いまや他人の悟り、他人の宗教にすがってもどうにもならない。自分自らが神仏にアプローチし合一を目指さねばならない。

 

そういったことを前提にして、終戦後、出口王仁三郎は、「拝みたい者には、築山など作って拝ませたらよい」などと云っている。

 

裏神業といえば仰々しいが、それは個別の信者に対して、出口王仁三郎が授けたその信者専用のユニークな修行法と見た方がよいように思う。それと、再度の教団隆盛を果たして出口王仁三郎が裏神業の発展として念願していたのだろうか。

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チャネリングのメカニズムを考える

2023-03-04 06:33:12 | 冥想いろいろ

◎霊能力、超能力志向の冥想修行は、時代遅れ

 

七つの身体論と輪廻転生は切っても切れない関係がある。その辺縁にチャネリングという技術もある。

 

チャネリングとは、自分のボディに他神霊を感合させて、当該他神霊の言葉をわが身が語るという技術。チャネラーとは霊媒とも云う。出口王仁三郎は、身辺に長命の優秀な霊媒がいたのにこんなことを言っている、

 

『【霊媒】

 

霊媒などになる人を、身魂が磨けて居るから霊覚がある、などと思うて居る人がだいぶんあるやうであるが、決してさうでは無い、意志が弱いから、霊に左右せらるるのである。霊の方では使ひやすいから使ふので、かうした人間には大した仕事は出来無い、確かりして居て、しかも霊覚があると云ふやうな偉人は、滅多に出るものではない。

 

大抵意志薄弱で、一生涯憑霊に支配されて、真の自我と云ふものの確立がない、情ない状態で終つて仕舞ふのである。霊媒になるやうな人は、一寸人がよいやうで、さうしてどこかにぬけた所がある。しまひには悪い事を仕出かし勝である。命も短いものである。』

(月鏡/ 出口王仁三郎から引用)

 

さらに、

『【霊媒は短命】

 

霊媒の物理的現象を起す精力素(エクトプラズム)は精液の変形したるものである。そして外気にふるれば九分迄は汚れて其の精気を失ふものであるから、再び身体にかへつても駄目である。ああした実験を度々やるのはよくない、生命が短くなる。私は皆一通りやつたが、この原理が分つたからやめたのだ。』

(月鏡/ 出口王仁三郎から引用)

 

チャネリングの話ではないが、霊能の得方について大本教で鎮魂帰神に邁進していた若き谷口雅春が霊能の得方には2種あると述べている。

 

彼は肉体をコップとし、霊を水とする。水(霊)の分量がコップ(肉体)より過剰となれば、水が外に流れ出すから霊能力が発現する。また逆に水(霊)の量が変わらなくてコップ(肉体)の大きさが小さくなれば、水は外に流れ出す場合も霊能力の発現。

 

これは神懸、憑依等の話なのでアストラル体以上の説明だろうと思うが、霊の方が充実し過ぎて溢れ出すようになった出口ナオのようなケースが前者であり、肉体が衰弱してコップの容量が小さくなったので霊が外に発現するのが後者。後者は、よく内臓が弱いと霊能力があることがあると言われる巷説を裏付ける。(参考:雑誌神霊界93号(大正8年9月)の大本霊学座話)

 

以上を踏まえるとチャネリングでの、いわゆる霊とは、エーテル体、アストラル体、メンタル体から、時に第六身体アートマン(大神)まである。

 

エクトプラズムは、エーテル体レベル。一口に霊をボディに引き入れる、感じ取るといってもレベルの差は相当にある。

 

ただしチャネリングとしては最高レベルの、大神の言葉を伝えるチャネリングであっても、チャネラー本人は何を伝えたか全くわからないという事がある。チャネリングは、それが限界なのだろう。

 

霊能力、超能力志向の冥想修行は、時代遅れのものとなって久しい。

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出口王仁三郎の鎮魂法-6

2023-03-03 06:58:10 | 冥想いろいろ

◎帰神術、神人感合、高弟たち

 

彼の大衆向けの修行法は、神下ろしメインだったが、それを中止したのはわかるが、次の段階として、信者をなぜ見神や神人合一の道に進ませなかったのだろうか。

本物の覚者は、このような場合、高弟向けの冥想指導と一般信者向けの冥想指導を分けるもの。高弟向けの冥想指導は、彼の著述には具体的にはほとんど出てこない。だが高弟向けのものこそ、見神や神人合一の道があるのだろうと思う。

 

さて日本の新興宗教で戦後勃興したもので古神道系のものは、生長の家、世界救世教など大本関連が多いことが知られている。また裏神業とも呼ばれる小規模なものもある。こうした大本系の新興宗教の指導者や小規模グループあるいは個人の古神道系の弟子たちこそ高弟に当たるものではないかと思う。つまり高弟向けの冥想法は、彼らに引き継がれたのではないかと思われる。そうしたものには植芝盛平の合気道も含まれる。

 

また大規模にチャネリング(神下ろし)をやらせたことが、結果的に霊がかりを脱却しきれぬ遠因になったことも見逃せない。その延長線上に、大正10年に世の立替があるという予言が大々的にはずれた(出口王仁三郎自身ははずれることをわかっていたし、主導していた幹部に予言取り消しを要請していた。)事件がある。順路としては、霊がかりを脱却して、見神して、神人合一を目指すもの。

 

後に生長の家を開いた谷口雅春は、出口直日に次のようにその予言取り消しの伝言を依頼した由。

 

『三代教主直日の回想によると、一九二一(大正一〇)年の秋のある日、谷口は王仁三郎をたずねたが、王仁三郎が不在であったため、直日にたいし、大本は一九二一(大正一〇)年に世の立替えがあるといったが、なにもかわったことがない。信者のおおくは家業を放棄し、会社をやめてきているので、いま生活ができなくて困っている。「大本はまちがいであったと天下にあなたの名で謝罪して下さい」と要請したという(「おほもと」昭和33・4)』

(大本七十年史 上巻 第4編第2章 一部の離反/谷口正治/著者大本七十年史編纂会・編集から引用)

 

さて既述のような経緯で、出口王仁三郎は、大正時代には集団における神下ろし行(チャネリング、神託、シャーマニズム)はやめてしまったが、最後に彼の見る神下ろし行の全容を挙げる。

 

『神感法については、一度説明しておかねばならぬ必要があろうと思うから、ここに大略だけを記しておく次第である。

 

そもそも感合法なるものは神人感合の術であって、至厳至重なる事柄であるから、濫りに語るべきものでないのであるが、神界の許可を蒙りて、ちょっと付記しておく次第であるから、謹んで拝すべきである。

 

この神感法とて神人感合の術なるものは、神様と吾人の霊魂とが相一致するの道であって、帰神なるものが即ちそれなのである。

 

帰神術は精細に調べてみると三百六十二法という大多数の方式があるが、まずその概略を並べると、無形の感合法と有形の感合法とがある。しかして無形の感合法には神感法と他感法と自感法との三大法がある。また無形の神感法にも他感法にも自感法にも、各上中下の三法があって、これを合すと九法となって来るが、有形の感合法も同じく神感法と他感法と自感法の三大法があって、同じく三大法ともに上中下があるから、前と同じく合して九法となるのであるが、この無形法と有形法とを合してみると十八法となるのである。

 

話が後先になったが、そもそも神界には正神界と邪神界がありて、正神界とは俗に善神界と云う界なり。邪神界とは妖魅界と同じ事であるが、前記の如く、正神界の感合法には無形と有形とを合して十八法あるが、邪神界も同じく無形と有形とを合して正神界と同じく十八法あるのであるから、すべて感合法というものは、正邪を合して三十六法となるのである。これを細別すると、前に記した如く三百六十二法となるのである。今入門の子弟に解し安き様、左に図を以て示す事にしよう。

 

   帰神の標目図

 

善神界

    無形

  自感法  上中下  三法

  他感法  上中下  三法

  神感法  上中下  三法

         合わせて九法

    有形

  自感法  上中下  三法

  他感法  上中下  三法

  神感法  上中下  三法

         合わせて九法

     有形無形合わせて十八法

邪神界

    前に同じく合わせて十八法

     正邪合わせて 三十六法

  これを分かって 三百六十二法

 

このほかに、巫女なり法華坊主の行う感法はあるが、これらは下々の下法で等外である。現今の淫祠教に行うて居るのは、みな邪神界の感合法であるから、信仰すべきものでは無いのであるから、ちょっと参考のために付記しておく。』

(出口王仁三郎著作集 第1巻 神と人間 本教創世記 第三章から引用)

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