唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

河陽節度使 その4

2012-05-22 10:04:05 | Weblog
・光啓2年[886年]10月爽は卒し、配下の部将達は子の仲方を擁立したがすぐお互い争い始めた。
・12月黄巣の後継秦宗權の部将孫儒が河陽を制圧し、仲方は奔った。
・光啓3年儒は河陽を棄て、爽の將李罕之が入るが、文徳元年[888年]仲間の東都張全義に逐われた。
・罕之は河東李克用の支援を得て回復を志し、窮した全義は朱全忠に頼り、河陽を全忠將丁會に渡した。
・その後河陽は全忠勢力下となり、留後が交替していったが、全義や會がなることが多かった。
・光化元年[898年]には李罕之、3年には孟遷、天祐4年[907年]には王師範と帰降した将帥の名目的
な就任があったが実質は會のもとにあった。
・澤潞二州は克用・全忠の最前線として転々と帰属が変わるが、河陽は継続的に全忠の拠点として維持された。

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