唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

朔方節度使 その3

2012-05-24 22:55:59 | Weblog
・乾元元年[758年]9月子儀等諸軍は敗走する安慶緒を相州に包囲したが、無能な肅宗皇帝は宦官に操られ
統一した指揮を誰にも委ねず、しかも幽州で帰順した史思明を挑発するという愚を犯した。史思明は4月
に反し、11月魏州に南下して唐軍を破り、2年3月には滏水で全軍潰滅し、東都もまた失われた。
・6月には邠寧節度使[邠寧慶鄜坊丹延原九州]が朔方より分離された。
・7月には宦官魚朝恩の策動により副元帥は子儀から李光弼に代えられ。兵権のほとんどを奪われた。
・上元元年正月邠寧は邠寧・鄜坊の二道に分けられ、子儀は名目的に両節度使とされた。
・朔方軍は乾元二年~上元2年[761年]光弼の指揮[僕固懷恩を前線指揮官として]のもとに戦った。
・寶應元年[762年]建卯月河中絳州に屯していた朔方軍等は反乱し都統李國貞を殺した。河東軍もまた反し、
前線が崩壊する危機が生じた。子儀が急遽副元帥として登用され、旧部下達を鎮撫して帰順させたが、
危機が収まると宦官李輔國の蠢動により4月解任された。