唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

鳳翔隴右節度使 その2

2012-05-03 10:09:24 | Weblog
・朝廷の方針は対吐蕃対策で、強硬策を唱える李晟と、和平を重んじる河東馬燧+宰相張延賞が対立し、
貞元三年[787年]3月晟はすべての軍権を奪われ太尉に祭り上げられた。後任は部下の邢君牙である。
・ところが6月水の會盟で吐蕃は約を破ったために、馬燧も失脚した。吐蕃は連年侵攻を繰り返し、
唐朝はその対策に追われることになった。
・君牙は貞元14年[798年]に卒するまで在任し、その後も神策系の武将の赴任地となっていた。
・太和末-開成年間[836-840]以降は吐蕃が衰亡したため高級文官も赴任するようになってきたが
武将中心であった。
・大中-咸通年間[847-874]に入ると文官の短期交替が多くなりも宰相経験者の赴任も多くなっていった。
・廣明元年[880年]黄巣が京師迫る時、宰相鄭畋が節度使として赴任し、京師陥落後は潰滅した
神策諸軍を糾合して京師回復のための中心となった。