唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

朔方節度使 その5

2012-05-26 23:04:05 | Weblog
・大暦年間[766-779年]郭子儀は朔方軍主力を河中府に置き、旧安禄山配下の河北藩鎭を牽制したが、
吐蕃の侵攻には都合が悪かった。そのため大暦三年[年]邠寧馬璘を原に移して、
邠寧を直轄化して有力諸将を置き、鳳翔李抱玉と連携して防禦にあたることとした。
・子儀は邠州・京師・河中を移動しながら統治し、配下諸軍に絶対的位置を保ったが、
唐朝に対しては恭順を誓い、宦官勢力につけこむ隙をみせなかった。
・大暦14年[779年]宗皇帝が即位すると、閏5月さすがに老衰してきた子儀より平和的に軍權を回収し、
配下の李懷光・渾瑊・常謙光達に分割して分与した。
・後継の中心は厳格な靺鞨人李懷光であり子儀旧將達には不満が生じたが、懷光は9月これを誅した。
・11月には西川節度使より入朝した崔寧を京畿・朔方節度使として優遇した[懷光には河中を与えた]
が、名目だけであり旧朔方諸将が留後として分立していた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする