劉祥道。字同壽。魏州觀城人也。
父林甫は中書侍郎・樂平男。
祥道は父の爵位を嗣ぎ、
永徽初に中書舎人・御史中丞・吏部侍郎を歴任する。
顯慶二年黃門侍郎仍知吏部選事となるが、濫用する傾向があった。
修禮の功で陽城縣侯。
四年刑部尚書となり姑息。
龍朔元年權檢校蒲州刺史。
三年兼檢校雍州長史
にわかに右相として宰相になった。
小心であり、宰相の地位を懼れて解任を請い、
司禮太常伯に転じた。
儀礼には通じており封禪の功績にて廣平郡公。
乾封元年金紫光祿大夫致仕。其年に71才で卒する。
贈幽州都督,謚曰宣。子の齊賢が襲爵し、宰相に至った。
[宰相履歴]
麟元年8月司列太常伯兼右相~12月罷
父林甫は中書侍郎・樂平男。
祥道は父の爵位を嗣ぎ、
永徽初に中書舎人・御史中丞・吏部侍郎を歴任する。
顯慶二年黃門侍郎仍知吏部選事となるが、濫用する傾向があった。
修禮の功で陽城縣侯。
四年刑部尚書となり姑息。
龍朔元年權檢校蒲州刺史。
三年兼檢校雍州長史
にわかに右相として宰相になった。
小心であり、宰相の地位を懼れて解任を請い、
司禮太常伯に転じた。
儀礼には通じており封禪の功績にて廣平郡公。
乾封元年金紫光祿大夫致仕。其年に71才で卒する。
贈幽州都督,謚曰宣。子の齊賢が襲爵し、宰相に至った。
[宰相履歴]
麟元年8月司列太常伯兼右相~12月罷