武将伝に入れられたと本人が知ったら激怒するとは思いますが。
幕領出身の方です。
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郗士美伝
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字和夫,高平金鄉の人
父純[字高卿]は進士出身で清名高節で太子詹事致仕。
士美は学問に志し、父の友である顔真卿に評価された。
若くして陽翟丞、昭義節度[李抱眞.王虔休、李元]の幕僚となった。
貞元二十年.坊/房州刺史から黔州刺史兼御史大夫持節黔中經略招討觀察鹽鐵等使として溪州賊帥向子琪を平定し、功績により檢校右散騎堂侍を加えられ高平郡公に封ぜられた。
元和二年.京兆尹となった。
三年.鄂州觀察使となった。
五年.安黃節度伊愼の子宥の安州領有を平和的に解いた。
十二月.河南尹を経て
六年.古巣の檢校工部尚書潞州大都督府長史充昭義節度使となり、盧從史以来乱れていた軍紀を粛清した。
十一年.反した成德節度王承宗を征討し、諸軍が進まない中唯一これを柏鄉に破った。
十二年.病により工部尚書に移った。
十四年五月.檢校刑部尚書忠武節度使となるが病が重くなり
八月に卒した。六十四歳。贈尚書左僕射,謚曰景。
交遊が広く、然諾で重んぜられた。