唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐の外交関係 対突厥3

2019-02-05 19:23:44 | Weblog
則天期、突厥は骨篤祿・默啜可汗によって再興される。
近頃は歴史において女性を過大に重視する風潮で、一環として則天がいかに偉大な皇帝であったと評価する者も多いが、私は軍事的無能と、財政浪費、無定見な人事を見れば、平均以下の皇帝としか評価できない。
その中でも無意味な武将の粛清により軍事力を低下させ、突厥の再興や、吐蕃の隆盛を招いた外交・軍事的失敗が最大だろう。
門閥打破による人材登用も簒奪のための粛清の副産物でしかない。
則天の功績は皆無と言って良い。
ある程度の繁栄は高祖~高宗時の平和による生産の増加を食い潰した結果と言える。
突厥は默啜可汗の時代に強盛となり河北の諸州を陥し、荒らし回った。
周軍の指揮官は揃って無能で、ただ突厥の荒らした後を、さらに荒らしただけである。
則天は有能な武将を信用できず、文官宰相や武氏一族、はたまた破戒僧を指揮官にするだけだった。唯一評価できるのは宦官を監軍に使わなかったことだけだ。
[玄宗以降は宦官登用が盛んになった。女性皇帝の良い点はこれぐらいか]
ただこの時代の唐[周]-突厥の外交関係は、突厥が下であり。
婚姻や支援を求める立場であった。
玄宗皇帝期[開元年間]に入ると默啜可汗は老齢化し、失政も多く、開元二年北邊諸族の反乱を招き、その討伐時に敗死してしまった。
突厥はその後弱体化し開元八年王晙等が平定し、その勢力を解体した。その後推移はあるが突厥の勢力は消滅していき、回紇の時代になっていった。