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何士幹伝
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新旧とも伝はない。
大暦十二年七月。諫言を賞され左拾遺より左補闕。
興元元年五月.淮西李希烈に貢納の道が閉塞されていたが、浙西韓滉は行在にいる德宗皇帝に献納を図った。幕僚であった士幹は苦心してそれを成し遂げた。
諫議大夫。
貞元四年六月.鄂岳沔蘄黄等州都團練觀察使.御史中丞。
八年正月.獻白鹿。
十二年二月.加御史大夫。
十八年.鎭に卒する。鄂州統治は十五年に及んだ。
何士幹伝
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新旧とも伝はない。
大暦十二年七月。諫言を賞され左拾遺より左補闕。
興元元年五月.淮西李希烈に貢納の道が閉塞されていたが、浙西韓滉は行在にいる德宗皇帝に献納を図った。幕僚であった士幹は苦心してそれを成し遂げた。
諫議大夫。
貞元四年六月.鄂岳沔蘄黄等州都團練觀察使.御史中丞。
八年正月.獻白鹿。
十二年二月.加御史大夫。
十八年.鎭に卒する。鄂州統治は十五年に及んだ。