正月丙子,郭子儀入朝,魚朝恩邀之游章敬寺。
子儀が河中より入朝し、朝恩と会した。宰相元載は両者が結ぶのを警戒し、朝恩が子儀を暗殺しようとしているという噂を流し、対立を煽ろうとしたが、子儀は周囲が止めるのを振り切り近臣数人のみで朝恩を訪問した。朝恩はその信頼に感激した。
二月乙巳,以楊子琳為峽州團練使。
成都より奔った子琳は瀘州に拠り、蘷州・涪州を取った。荊南節度衞伯玉はこれを慰撫した。
五月辛卯,僕固懷恩の娘を崇徽公主として,回紇可汗に嫁がせた。
代宗は懷恩が反意がなかったのにも関わらず、追いつめて反させたことを自覚していて、娘を遇することで少しは償おうとした。懷恩の家は鉄勒僕固部の酋長であるので、回紇の可汗家とは釣り合っている。
九月吐蕃寇靈州;十月常謙光奏吐蕃寇鳴沙,渾瑊將銳兵五千救靈州,子儀自將進慶州
この歳の吐蕃侵攻は辺境で撃退することができた。
十一月壬申,宰相杜鴻漸が卒し、老耄の裴冕を後任にしたが、十二月冕も亡くなった。
専権する元載が都合の良い同僚を選ぼうとしたわけである。
大暦五年 西暦770年
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正月辛卯,鳳翔李抱玉を山西節度使,魚朝恩派陝虢皇甫温を鳳翔節度使とした。
宰相元載と宦官魚朝恩の対立が深刻化し、代宗は元載を支持し朝恩を除こうとした。そのため表面上朝恩派の溫[内実は載に裏切っていた]を転任させ、神策軍に数県を領有させて朝恩を油断させた。
三月癸酉,寒食,上置酒宴貴近于禁中,載守中書省。宴罷,殺朝恩,外無知者。
代宗は朝恩を宴会に呼び寄せ、元載に護衛を遮断させて殺した。そして罪を認めて自殺したと公示した。ただこれより載がより専権を振るうようになり、代宗は載を排除しようと動き出す。
四月乙巳,以涇原節度使馬璘兼鄭穎節度使。
涇原節度へ転出させられた馬璘が、その貧地[原州は実質吐蕃所有地]では軍を養えないと訴えてきた。そのため比較的豊かな鄭穎二州を管轄させて補いとした。
子儀が河中より入朝し、朝恩と会した。宰相元載は両者が結ぶのを警戒し、朝恩が子儀を暗殺しようとしているという噂を流し、対立を煽ろうとしたが、子儀は周囲が止めるのを振り切り近臣数人のみで朝恩を訪問した。朝恩はその信頼に感激した。
二月乙巳,以楊子琳為峽州團練使。
成都より奔った子琳は瀘州に拠り、蘷州・涪州を取った。荊南節度衞伯玉はこれを慰撫した。
五月辛卯,僕固懷恩の娘を崇徽公主として,回紇可汗に嫁がせた。
代宗は懷恩が反意がなかったのにも関わらず、追いつめて反させたことを自覚していて、娘を遇することで少しは償おうとした。懷恩の家は鉄勒僕固部の酋長であるので、回紇の可汗家とは釣り合っている。
九月吐蕃寇靈州;十月常謙光奏吐蕃寇鳴沙,渾瑊將銳兵五千救靈州,子儀自將進慶州
この歳の吐蕃侵攻は辺境で撃退することができた。
十一月壬申,宰相杜鴻漸が卒し、老耄の裴冕を後任にしたが、十二月冕も亡くなった。
専権する元載が都合の良い同僚を選ぼうとしたわけである。
大暦五年 西暦770年
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正月辛卯,鳳翔李抱玉を山西節度使,魚朝恩派陝虢皇甫温を鳳翔節度使とした。
宰相元載と宦官魚朝恩の対立が深刻化し、代宗は元載を支持し朝恩を除こうとした。そのため表面上朝恩派の溫[内実は載に裏切っていた]を転任させ、神策軍に数県を領有させて朝恩を油断させた。
三月癸酉,寒食,上置酒宴貴近于禁中,載守中書省。宴罷,殺朝恩,外無知者。
代宗は朝恩を宴会に呼び寄せ、元載に護衛を遮断させて殺した。そして罪を認めて自殺したと公示した。ただこれより載がより専権を振るうようになり、代宗は載を排除しようと動き出す。
四月乙巳,以涇原節度使馬璘兼鄭穎節度使。
涇原節度へ転出させられた馬璘が、その貧地[原州は実質吐蕃所有地]では軍を養えないと訴えてきた。そのため比較的豊かな鄭穎二州を管轄させて補いとした。