唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

嶺南節度使史 その5

2021-02-09 10:00:49 | Weblog
興元元年[784]
◎.9月 前嶺南節度使元琇は戸部侍郎へ
◎.3月 前饒州刺史[蘇州刺史から転じるが不任]杜佑[字君卿]が御史大夫
廣州刺史嶺南節度觀察使となる。
嶺南は従来兼五管經略使であるが、当時の人事担当者が疎漏であったために
抜け落ちた。これにより嶺南は五管を管掌しなくなった。
佑は廣州の道路を広げ火災の危険を防いだ。また朱厓黎民を討った。

貞元三年[787]
◎.3月 杜佑は尚書左丞/右丞へ移った。
◎.3月 溪洞の人心を安定させていた検校右常侍兼御史中丞容管経略使李復
[字初陽]が御史大夫嶺南節度經略觀察處置等使となる。安南の姦吏李元度、
胡懷義を誅し乱れていた統治を復し、陶瓦を教え、蠻獠を綏撫した。

貞元五年[789]
◎.10月 李復は判官姜孟京と崖州刺史張少遷を派して乾封年間[666~68]
より山賊が占拠していた瓊州を回復し都督府を置いた。

貞元八年[792]
◎. 功績により李復は檢校工部尚書宗正卿へ
◎.9月 竇参の党として失脚していた太子賓客薛珏/玨[字溫如]が嶺南節度使となる。

貞元十一年[795]
◎.正月 薛珏は卒する。
◎.正月 溪洞を制圧していた邕管経略使王鍔[字昆吾]が御史大夫
嶺南節度觀察使となった。軍人ではあるが吏才も備えた鍔は商利・交易
の利を貪欲に漁り巨富を築いた。

貞元十七年[801]
◎. 王鍔は刑部尚書へ
◎.5月 工部侍郎趙植[字洪祚]が御史大夫嶺南節度觀察使となった。

貞元十八年[802]
◎. 趙植は卒する。節度掌書記試大理評事張貞元は多額の贈賄をし邕
州經略使に転じる命を受けた。給事中許孟容等はこれを非として任命
を制止した。
◎.8月 御史中丞邕管経略使徐申[字維降]が廣州刺史御史大夫嶺南
節度支度營田觀察處置本管經略等使東海郡公。前使趙植が卒したあと
官規が糜爛していたのを引き締め。清廉な治政を行い、劍南劉闢の乱
には征討の援軍を送った。功績により金紫光祿大夫檢校禮部尚書を加
えられた。

元和元年[806]
◎.3月 徐申は卒する。
◎.3月 安南に長く在任しよく安撫していた檢校工部尚書前安南経略使
趙昌[字洪祚]が検校戸部尚書嶺南節度使となった。
昌は七十歳を超えていたが頗る元気であった。

元和三年[807]
◎.4月 趙昌は荊南節度使へ
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