唐帝国が最大版図となるのは太宗-高宗皇帝初期である。そして繁栄を極めたのは玄宗皇帝の時代と言われる。
そして安史の乱以降は帝国は衰退し、憲宗皇帝の元で多少の復興があり、その後は宦官の専権により衰退して
行ったというのが史書の定見である。
しかし一般民衆の立場からいうと、太宗-高宗.憲宗の時代は遠征・兵乱が相次ぎ、土地は荒れ、戦費の調達の
為重税が課された時代である。
憲宗後の文宗-武宗-宣宗皇帝の約30年間が帝国ではもっとも平和な期間でなかったかと考える。たいした戦乱
もなく、河北三鎭も老化して穏和となり、外敵もまた吐蕃・回紇は衰退したため辺境防衛程度であり、宦官勢
力の跋扈も長安での問題であった。結構自然災害があったようだが、それが主要な話題になる程度の情勢であ
り、外が静かなので官僚は党争に励んだが、宋代の新旧党の争いとは違い、民衆には関係のないことであっ
た。当時の人々は平和な時代を楽しんでいたに違いない。
そして安史の乱以降は帝国は衰退し、憲宗皇帝の元で多少の復興があり、その後は宦官の専権により衰退して
行ったというのが史書の定見である。
しかし一般民衆の立場からいうと、太宗-高宗.憲宗の時代は遠征・兵乱が相次ぎ、土地は荒れ、戦費の調達の
為重税が課された時代である。
憲宗後の文宗-武宗-宣宗皇帝の約30年間が帝国ではもっとも平和な期間でなかったかと考える。たいした戦乱
もなく、河北三鎭も老化して穏和となり、外敵もまた吐蕃・回紇は衰退したため辺境防衛程度であり、宦官勢
力の跋扈も長安での問題であった。結構自然災害があったようだが、それが主要な話題になる程度の情勢であ
り、外が静かなので官僚は党争に励んだが、宋代の新旧党の争いとは違い、民衆には関係のないことであっ
た。当時の人々は平和な時代を楽しんでいたに違いない。
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