唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

淄青平盧節度使 その3

2011-12-25 22:15:38 | Weblog
・建中二年[781年]河北の動乱が続いている時期、李正己は死亡し子の納が自立したが唐朝は認めなかった。
・そのため李納は魏博田・恒冀王武俊・幽州朱滔・淮西李希烈とともに反し齊王として自立した。
・徐州にいた李洧[正己從父兄]は唐朝につき、海・沂二州を奪おうとしたが果たせなかった。
・興元元年[784年]形勢不利な唐朝は徐州を除く李納の淄青節度使領有を認めた。鄆・曹・濮・・密・
登・來・齊・沂・淄・兗の十二州である。
・徐州は一応貞元4年まで領州とされていたが、鄆州への移治の承認と引き換えに除外された。
・その後李納の子師古、その弟師道とあいついで継承し元和14年[819年]まで自立が続くことになった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 淄青平盧節度使 その2 | トップ | 淄青平盧節度使 その4 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事