・建中二年[781年]河北の動乱が続いている時期、李正己は死亡し子の納が自立したが唐朝は認めなかった。
・そのため李納は魏博田・恒冀王武俊・幽州朱滔・淮西李希烈とともに反し齊王として自立した。
・徐州にいた李洧[正己從父兄]は唐朝につき、海・沂二州を奪おうとしたが果たせなかった。
・興元元年[784年]形勢不利な唐朝は徐州を除く李納の淄青節度使領有を認めた。鄆・曹・濮・・密・
登・來・齊・沂・淄・兗の十二州である。
・徐州は一応貞元4年まで領州とされていたが、鄆州への移治の承認と引き換えに除外された。
・その後李納の子師古、その弟師道とあいついで継承し元和14年[819年]まで自立が続くことになった。
・そのため李納は魏博田・恒冀王武俊・幽州朱滔・淮西李希烈とともに反し齊王として自立した。
・徐州にいた李洧[正己從父兄]は唐朝につき、海・沂二州を奪おうとしたが果たせなかった。
・興元元年[784年]形勢不利な唐朝は徐州を除く李納の淄青節度使領有を認めた。鄆・曹・濮・・密・
登・來・齊・沂・淄・兗の十二州である。
・徐州は一応貞元4年まで領州とされていたが、鄆州への移治の承認と引き換えに除外された。
・その後李納の子師古、その弟師道とあいついで継承し元和14年[819年]まで自立が続くことになった。
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