らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

細川ガラシャ 辞世の句

2020-02-07 | 雑学

昨年の大河ドラマ「いだてん」は大河史上最低の平均視聴率だったそうです。
過去の最低視聴率は2015年の「花燃ゆ」で12.0%でしたが、「いだてん」はそれをはるかに下回る8.2%でした。
大河ファンの小生も、あまりにも面白くないことから2~3か月で見切りをつけました。

今年の「麒麟がくる」は戦国ドラマということもあって、初回から3回目までの平均視聴率は16.1%と出足は順調のようです。
「麒麟がくる」は本能寺の変を起こした明智光秀が主人公のドラマですが、光秀とタイトルの「麒麟」はどのような関係があるのでしょうか?

調べてみると、「麒麟」というのは中国で古くから伝わる特別な霊獣のようです。
その麒麟は平和な世に現れるとされており、昔から人々は福を求めて麒麟を崇めていました。
このドラマでも、戦乱の世を終わらせ平和をもたらす人物が麒麟を連れて来る、という設定のようですが、果たして、ドラマの主人公である「明智光秀が麒麟を連れてくるの?」と、いぶかってしまいます。
でも、それはドラマの展開に任せることにしましょう。

「明智玉(珠)=細川ガラシャ」
ところで、明智光秀と言えば、三女に明智玉(珠)という美しく怜悧(れいり=かしこい)な頭脳を持った娘さんがいました。
玉は父の明智光秀が織田信長の家臣になった7~8年後の1578年に、信長の政略から細川忠興との婚姻を命じられて忠興に嫁ぎます。
その4年後の1582年、光秀が本能寺で信長を討つと『逆臣の娘』となったことから、忠興は玉を丹後国の三戸野(現在の京都府京丹後市)に2年ほど幽閉しました。
天正12年(1584年)3月、信長の死後に覇権を握った羽柴秀吉の取り成しもあって、忠興は玉(珠)を細川家の大坂屋敷に戻し、監視しました。
このころ、忠興が高山右近から聞いたカトリックの話をすると、玉はその教えに心を魅かれていきキリスト教の信徒になるのです。

マリア様に花を捧げる細川ガラシャです(ネットより)


「ガラシャ 辞世の句」
秀吉の死後、石田三成と徳川家康との間で関ケ原の戦いが始まると、三成は徳川方の諸大名の妻子を大坂城に人質に取る作戦をとります。
三成は徳川方についた細川忠興の妻、ガラシャを人質に取ろうとしましたがガラシャはそれを拒絶しました。
その翌日、三成が実力行使に出て細川屋敷を取り囲むと、ガラシャは侍女や婦人を逃がした後、家老の小笠原秀清に介錯を頼み、遺体が残らぬよう屋敷に爆薬を仕掛けて自害したのです。
この死に際してガラシャが詠んだ辞世が有名な次の句です。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

意味:人であれ花であれ、散るその時をわきまえてこそ美しい、私もそうありたい。
   このような意味になります。

石田方の兵士によって細川家の大坂屋敷を取り囲まれたとき、ガラシャは相当悩んだと思います。
キリスト教の教えでは自殺は神の権威への挑戦で「罪」になります。
一方、細川忠興の妻としての立場からは、命を乞うて無様に生き延びるのは、武士の妻として耐え難いものです。
結局、細川ガラシャは潔く散ってしまおうと考え、家老の小笠原秀清に介錯を頼んで自害の道を選びました。
美人で明晰な頭脳の持ち主でありながら数奇な運命に翻弄された細川ガラシャは、36~37歳の若さで壮絶な最期を選ぶことになったのです。

この細川ガラシャの死は、見方によっては、関ケ原の戦いの最初の犠牲者だったとも言えそうですね。