竹島の日
昨日の2月22日は「竹島の日」でした。
日本固有の領土である竹島も、現実には韓国が不法に占拠しており、加えて、政府でも韓国に遠慮してか、情報発信をあまりしていないことから、若い人たちを中心に国民の間で次第に関心が薄れてきているように感じます。
そこで今日は竹島について調べることにしました。
「竹島」
竹島は島根県の沖合いにある岩礁で日本固有の領土ですが、現在は韓国が不法占拠しています。
島根県の隠岐の島との距離は一番近いところで157㎞、韓国領の鬱陵島との一番近い距離は87㎞のところに位置し、その面積は0.23平方k㎡で、東京の日比谷公園の1.4倍程度の島といわれています。
1905年(明治38年)2月22日、島根県告示40号に基づき、島根県知事が所属所管を明らかにしています。
・竹島です(ウィキペディアより)
「竹島の日」
「竹島の日」は、竹島が島根県に編入された2月22日を記念する日です。
そして、竹島を編入して100周年に当たる平成17年3月16日に「竹島の日」の制定に関する条例が島根県議会で可決されて制定されました。
その目的は、国民の竹島への関心を深めてもらうこととされています。
竹島は安政4年(1857年)長久保赤水(ながくぼせきすい)が作成した「亜細亜小東洋図」にも日本の領土として掲載されています。
この地図には竹島は「竹シマ」と書かれて色で塗り分けされています。
・1857年に作成された亜細亜小東洋図に示されている「竹シマ」です
「李承晩ライン」
その竹島が戦後、韓国の李承晩大統領によって不法に占拠されることになったのです。
その経緯は、外務省のHPによれば、竹島は1952年(昭和27年)1月,李承晩韓国大統領が「海洋主権宣言」を行って,いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し,同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに,そのライン内に竹島を取り込みました。
そして、1954年(昭和29年)6月,韓国内務部は韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣したことを発表して不法占拠が始まったのです。
外務省HPより
「李承晩ライン設定の経緯」(外務省HPより)
李承晩ラインによって竹島が韓国の支配下にあると一方的に宣言した事に対し、アメリカは1954年(昭和29年)に竹島問題はサンフランシスコ平和条約により日本領として残したこと、李承晩ラインの宣言が一方的で違法であると韓国政府に伝達しました。
しかし、韓国はこれを無視し続け、現在に至っています。
このとき日本政府は一体何をしていたのでしょうか?
何故、明確に日本の領土であると主張しなかったのでしょうか?
このことが現在の領土問題をこじらせ、不法占拠を許している最大の要因のように思われます。