らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「バスの日」と「木炭バス」の思い出

2009-09-20 | 雑学
先日NHKで、『9月20日のバスの日を前に、或るバス会社がバスの車体に絵を描かせるサービスを子供たちに提供していました』とのニュースが流れていました。
その時に、9月20日が「バスの日」ということを初めて知りましたが、今日はこの「バスの日」について調べてみました。

「バスの日」とは、日本で初めて営業バスが京都市内を走ったことに由来し、1987年(昭和62年)に日本バス協会が制定した記念日です。

営業バスの運行は1903年(明治36年)9月20日に、京都の二井商会により、蒸気自動車を改良した乗合自動車で、日本で初めて始まったようですが、明治37年1月には経営破たんで営業を終えています。

その後、1987年(昭和62年)10月の全国バス事業者大会でこれを記念して「いつでも、どこでも、みんなのバス」をテーマに、9月20日を「バスの日」と定めたものです。

・バスの日のポスターです。(日本バス協会HPより)
     

このポスターのメッセージは、
  『今年は「バスでエコ」、環境にやさしく、子供からお年寄りまで親しまれるバス』  を表現しているそうです。
特に、燃料高騰などで厳しい経営に陥っている地域バスをもっと利用し、支援してもらえるよう、緊急メッセージを入れてお願いをしています。


「木炭バス」の思い出
バスといえば、今では見られない、バスの後ろから煙を吐いて走る「木炭バス」を思い出します。
木炭バスとは、バスに積載した木炭ガス発生装置による一酸化炭素と僅かに発生する水素を動力として走るバスです。

・これが木炭バスです。(ウィキペディアより)
     

日本では燃料用の原油が不足した戦時下の1940年代に使用されていました。
木炭ガス発生装置によるガスの熱量が小さいことや、温度が高くなり吸気効率が落ちるなどの構造上の問題があって、エンジンの発生出力は極めて低く、上り坂では乗客が降りてバスを手で押すといった光景も見られたそうです。

戦後、配給制度が撤廃されて燃料調達が容易になると、瞬く間に新造されたバスに淘汰され姿を消しましたが、田舎の方では暫くは公共交通機関として走っていました。

・バスの後ろに取り付けられている木炭ガス発生装置です。
     

私の田舎(岡山県笠岡市)でも、戦後間もない頃、木炭バスが走っていたのを記憶しています。形はボンネットタイプのバスで、後部外側に木炭ガス発生装置を搭載しています。
エンジンの出力が低いためエンストをよく起こします。そのときにはボンネットの前に始動用のハンドルを差込み、ぐるぐる回して手動でエンジンを始動させていました。

今では想像もつかないでしょうが、戦中、戦後の貧しい時代にはこのようなおんぼろバスでも公共交通機関として立派に活躍したものでした。


今日は「木炭バス」の名称すら聞いたこともない読者の方たちに、戦後の貧しい一幕をご紹介しました。




岸和田だんじり祭り

2009-09-19 | 雑学

大阪・泉州に秋を告げる「だんじり祭り」のシーズンが到来しました。
今や日本を代表する祭りの一つとなった「岸和田だんじり祭り」。その9月祭礼だんじり祭りが今日と明日の2日間行われます。
そこで今日は「岸和田だんじり祭り」について調べました。

「岸和田だんじり祭り」は、1703年(元禄16年)、岸和田藩主の岡部長泰が、京都伏見稲荷大社を岸和田城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願して行った稲荷祭りが始まりと伝えれれています
当初の祭礼は、「にわか」や狂言などの芸事を演じ、その後に三の丸神社、岸城神社へ参拝したようです。

・岸和田藩主の岡部永泰公です(岸和田市HPより)
     岡部長泰画像の写真
昔は、五穀豊穣を祈願したお祭りでしたが、今は収穫を共に願い、祝うといったことから地域の人々を結びつけるイベントとしての色彩が強くなっているようです。

「岸和田だんじり祭り」は毎年、敬老の日の前々日と前日の土日に行われ、概要は次のようになっています。
第1日目の19日は宵宮で、午前6時から各町のだんじり22台が通称カンカン場へ向かって一斉に繰り出し、”やりまわし”を行い、『曳き出し』が始まります。
午後1時からは南海岸和田駅前にてパレードが行われます。

第2日目の本宮(20日)は、午前9時過ぎから祭りの最大の神事『宮入り』が岸城神社・岸和田天満宮・弥栄神社で行われ、クライマックスに達します。

また、両日の午後7時から10時頃までの間は『灯入れ曳行』と呼ばれる、約200個の提灯で飾られただんじりを、小さい子供から老人まで楽しめるよう歩行曳行し、昼間のだんじりの「動」に対し、雅やかな「静」を演出します。

・約200個の提灯で飾られた『灯入れ曳行』です。(ウィキペディアより)
     

だんじり祭りは泉州、河内や大阪、神戸、奈良など、関西一円の祭りの形態として存在しています。
そのうち、岸和田以南の泉州各地のだんじりは、その殆どが10月祭礼で、体育の日の前々日、前日に当たる、土曜日、日曜日に行われます。
今年の祭礼は、10月10日(土)と11日(月)の2日間です。

・昨年10月の熊取のだんじり祭りです
     

(参考)
・五穀とは、米、麦、粟、稗、豆を言います。
・勧請(かんじょう)とは、神仏の来臨を請うこと。神仏の分霊を請じ迎えてまつること
・”やりまわし”とは、だんじりを曳行する人たちが走ってスピードつけ、だんじりを直角に回す曳行方法です。
・「にわか」とは、俄狂言の略で、素人が座敷や街頭で行った即興の滑稽寸劇で、後に寄席などで興業されたものです。
 明治以降、改良俄、新聞俄、大阪俄と言われたものから喜劇劇団が生まれたそうです。




「ムクゲ(木槿)」の花

2009-09-18 | 

今日は「ムクゲ(木槿)」の花をご紹介します。

「ムクゲ(木槿)」はアオイ科フヨウ属(ハイビスカス属)の落葉低木です。
原産地は中国で、日本には平安時代に渡来したと言われています。
渡来当時、日本では桔梗やムクゲの花を「アサガオ」と呼んでいたとの説があります。
当時「アサガオ」とは特定の花を表す名前ではなく、「朝に咲く美しい花」との意味だったと考えられているようです。
草丈は2m~3mになり、花径は8㎝~10㎝、夏から秋にかけて美しい花を次々と咲かせます。
花色は白、紫、赤などがあり、咲き方は一重咲きや半八重咲き、八重咲きなど、多様な品種があるようです。

・中心部が紅色の美しい花です。


「ムクゲ(木槿)」の名前の由来は、韓国名である「無窮花(ムグンファ)」から変化したとする説や、中国名の「木槿(もくきん)」が訛ってムクゲとなったとする説などがあります。



葉は互生し、卵形で4cmから10㎝くらい、緑の葉で粗い鋸葉となっています。

・「ムクゲ(木槿)」の葉と蕾です。


ムクゲには薬用としての効能があり生薬として用いられています。
・樹皮を乾燥したものは木槿皮(もくきんぴ)、槿皮(ちんぴ)という生薬で、抗菌作用があり胃腸薬や水虫などの皮膚炎の薬に配合されるそうです。
・また、花を乾燥したものは木槿花(もくきんか)、槿皮(チンファ)という生薬で、皮膚炎、胃腸炎、下痢止めなどに用いられます。



「ムクゲ(木槿)」は、中国ではフヨウと共に古くから鑑賞された花木であり、韓国でも中国から渡って多く栽培され、今では国花のように親しまれているそうです。
また、儒教や道教では徳を象徴する花として扱われ、仏教では仏法を象徴する花と考えられてきたようです。

諺に、「槿花(きんか)一日(いちじつ)の栄(えい)」があります。
これは、「ムクゲ(木槿)」の花が1日で萎むことに例えて、”人の世の盛りははかない”ことを言っており、栄華が早く滅び去ることを説いたものです。

・1日で、はかなく萎んだ「ムクゲ(木槿)」の花です。


「ムクゲ(木槿)」を詠んだ句をご紹介します。

  ・「それがしも その日ぐらしぞ 花木槿」  (小林一茶)

  ・「道のべの 木槿は馬に 食はれけり」  (松尾芭蕉)




「秋作ジャガイモ」の栽培

2009-09-17 | 家庭菜園

昨年、初めて「秋作ジャガイモ」を栽培しました。
キッカケは、菜園仲間から「秋作ジャガイモ」の植え付けの話を聞いて挑戦したものです。
今日は、今年の「秋作ジャガイモ」の栽培についてご紹介します。

昨年は9月中旬でしたが、今年は1ヶ月早く、盆明けの8月18日に植え付けました。
植え付け品種は「デジマ」「キタアカリ」「メークイン」の3種で、いずれも今年の春に収穫したものです。
その中から60g前後の小粒のイモを取り出し、切らずにそのまま植え付けました。

私の栽培方法は下記のとおりです。
この後、12月の収穫まで途中経過を随時ご紹介していきます。

・幅90㎝の畝に深さ20cmの溝を掘り、種芋を置いて肥料を施したところです。
 中央の赤いイモが「キタアカリ」、その手前(右下)が「デジマ」、奥(左上)はメークイン」です。


・植え付け後、覆土して畝を戻したところです。1ヶ月経過して漸く出芽の前触れである”土割れ”が散見されるようになりました。


「私の栽培方法」
・畝作り

 植え付けの10日ほど前に化成肥料、鶏糞、をよく混和し、畝幅90㎝で畝を作ります。(石灰を多量に使用すると、そうか病にかかりやすいので控えました。)。
・種芋
 春に収穫した60g前後のイモを切らずに丸ごと使用します。
 秋植えジャガイモは、切ると高温と湿度のために新芽が出ないうちに腐る場合が多いようです。
・植え付け時期
 秋植えジャガイモは、盆明けから9月上旬に植え付けをするようです。
・植え付け 
 幅90㎝の畝に、深さ20cmの溝を2本掘って、株間30㎝で種芋を置きます。
・施肥
 置いた種イモの両脇に、イモに当たらないように化成肥料を一握りずつ施します。
・追肥
 草丈が20cmくらいに成長したら追肥として化成肥料を施し、土寄せを行います。
 更に11月頃、花が咲く前に2回目の追肥と土寄せを、上記に準じて行います。
・収穫
 12月に葉と茎が枯れてきたら収穫します。




リンゴの栽培(その2)収穫

2009-09-16 | 家庭果樹

今日は鉢植えのリンゴ栽培(その2)収穫をご紹介します。

今年のリンゴ栽培は、開花した4月に人工授粉を行い、5月には2回の摘果作業と袋掛けを、そして最終的に7個の幼果を残して育ててきました。
また、今年は一回り大きい鉢に植え替えを行い、根張りよくしました。
そして、開花から5ヶ月経過した今月、収穫の時期を迎えました。

・これが鉢植えの「王林」です。やや小粒ですが、果実が実っている果樹の眺めは達成感と喜びを感じます。


我が家のリンゴの樹は5年目で枝も充実していますが、受粉用に植えている別品種の開花時期が合わず、今年も姫りんごの花粉を使って受粉したためでしょうか、実ったリンゴは小粒でした。

・これが今年実ったリンゴ「王林」です。小粒ですが比較的よく育っています。


リンゴ栽培は、初心者には「アルプス乙女」の品種が育てやすいといわれています。
これは、リンゴの殆どは自家不稔性なので、相性の良い2品種を混植しなければいけませんが、「アルプス乙女」は自家結実性のため1本だけでも実がつくこと。
更に、真っ赤なリンゴが鈴なりになるので食用、観賞用として栽培が楽しめること、などによるようです。

「アルプス乙女」は、ふじ以外の品種の受粉樹としても使えますので、来年はこの品種の栽培を検討したいと思っているところです。
なお、梨の花粉でもリンゴの受粉が可能とのことなので、これも試してみたいと思っています。

・王林は今年5個を実らせました。


この春に試みた遅咲き品種の接木は不成功に終わりました。10月以降、腹接ぎの方法を試みたいと思っています。

・果実は小ぶりですが、味は申し分なく、満足できるものでした。


「リンゴの栽培方法」
・用土    水はけのよい土が適しています。 乾燥しすぎ、湿りすぎの土はりんご栽培に適しません。
・肥料    3月に配合肥料を、9月、11月に追肥として玉肥を鉢の号数割る2の割合で表面に施します。なお、7~8月は花芽形成のため肥料は与えません。
・摘果    生育状態のよい1果を残し、他は摘み取ります。目安は3~4芽に1果とし、中心果が大きくて、育ちがよいとされているようです。
・剪定    前年に伸びた梢の1/3を、冬の剪定時に切り詰めます
・水遣り   鉢植えでは水切れに注意しましょう。真夏で渇きが早いようでしたら、1日に2回程度やります。但し、根腐れには気をつけてください。
・薬剤散布  3月下旬に石灰硫黄合剤(20倍液)を散布する。
        5~7月に殺虫、殺菌剤を散布する。




「老人の日」と「老人」について

2009-09-15 | 雑学

今日、9月15日は「老人の日」です。そして、今日から21日までの1週間は「老人週間」で、21日の月曜日は国民の祝日「敬老の日」です。
そこで今日は「老人の日」と「老人の定義」について調べました。

「老人の日」
「老人の日」とは、2002年(平成14年)1月1日改正の「老人福祉法」によって制定されました。
それまでは、9月15日は「敬老の日」として存在していましたが、2003年(平成15年)から「祝日法」の改正によって「敬老の日」が9月の第3月曜日となるのに伴い、従前の「敬老の日」を記念日として残すために制定されたものです。


「老人の日」・「老人週間」の経緯
昭和22年(1947年)に兵庫県多可郡野間谷村(現:多可町)で行われた敬老行事がきっかけとなり、昭和25年(1950年)に、9月15日を「としよりの日」とする敬老福祉の県民運動が開始されました。

昭和26年(1951年)には、中央社会福祉協議会が全国運動を提唱し、9月15日から21日までの1週間を運動週間として、「老人を敬い慰め、励ますと共に、老人福祉に対する国民的理解を促進し、老人自身もまたその立場を自覚し、新しい社会建設に参加する」ことをうたって様々な活動が推進されるようになりました。

そして、昭和38年(1963年)までは「としよりの日」とされていましたが、「としより」という名称はひどいということで、翌年から「老人の日」に改められ、昭和41年(1966年)からは、国民の祝日「敬老の日」となりました。
更に、平成13年(2001年)の老人福祉法の改正により、9月15日を「老人の日」、9月21日までの1週間を「老人週間と」定められました。

「老人の日」、「老人週間」の目的
「老人の日」、「老人週間」の目的は、国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めると共に、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促がすこととされています。

「老人の日」・「老人週間」の標語

   「みんなで築こう活力ある長寿社会」


・「敬老の日」
国民の祝日「敬老の日」は、「国民の祝日に関する法律(祝日法)」の改正により、平成15年(2003年)から9月の第3月曜日に変更されました。
祝日法では、敬老の日の目的について、「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」としています。


「9月15日と「老人」との関連
593年の9月15日に、聖徳太子が大阪の四天王寺に「非田院(ひでんいん)」を設立したと言われています。
「非田」とは、「慈悲の心を持って貧苦病苦の人を救えば、福を生み田となる」という意味があるそうです。
「非田院(ひでんいん)」は身寄りのない老人を収容する、現在の「老人ホーム」のよな施設だったそうです。
「敬老の日」はこの「非田院(ひでんいん)」の設立に因むと考えられているそうです。

老人の定義
WHO(世界保健機構)では、65歳以上を老人と定義しています。
日本では、年齢による明確な定義はありませんが、「老人保健法では70歳以上、寝たきり老人は65歳以上を老人としています。
一般的には65歳以上を老人とみなして統計をとっているようです。

老化とは
加齢と共に臓器の機能が次第に衰えて、ついには環境に適応できなくなり、個体死に至る過程であり、老化は常に進行性で不可逆なものであると定義されています。




メドーセージの花

2009-09-14 | 
今日はメドーセージの花をご紹介します。

この花は学名を「サルビア・グァラニティカ」と言い、流通名が「メドーセージ」と言われているものです。
元々、「メドーセージ(Meadow Sage)」と言われている花は「サルビア・プラテンシス(Salvia Pratensis)」のことで別に存在しています。

・これが元々のメドーセージといわれているサルビア・プラテンシスです。(ボタニックガーデンHPより)
Salvia pratensis

今日ご紹介している、流通名の「メドーセージ」は、シソ科サルビア属の宿根草で、原産地は南米メキシコ・パラグァイといわれており、日本には明治20年代に園芸植物として渡来したといわれています。

学名(属名)のサルビア(Salvia)はラテン語の「Salvare(治療)」「Salveo(健康)」が語源とされ、「グァラニティカ(guaranitica)」は原産地の一つであるパラグァイの先住民のグァラニ族(Guarani)から来ているそうです。

・これが今日ご紹介している流通名の「メドーセージ(学名:サルビア・グァラニティカ)」です。


この花は成長が早く、6月頃には草丈は1m~1.5mになりまっすぐ伸長します。
花は濃い紫色で、大きく口を開けたような花を咲かせま、葉は茎に対して左右一対ずつ対生で披針形をしており、先端は鋭く尖っています。

・蛇が大きく口を開けたような形をしている珍しい花です。


花には甘い蜜があってミツバチや蝶たちが集まり、葉には強い香りがあって、薬用効果のあるハーブとして栽培されました。
殺菌性が高く、獣肉の臭いを和らげる効果もあるようです。

・花が落ちた後は同じ色の蕚の部分が残るので花が長く咲いているように見えます。


「花言葉」 信じる力、 素朴、 知恵




モミジアオイ(紅葉葵)の花

2009-09-13 | 
大阪・熊取町地方は、昨日、1ヶ月ぶりに降雨があり、田畑の作物を始め、道路沿いや花壇に植えられている草花は生気を取り戻したように感じられます。
今日は、私が住まいしている山の手台住宅の遊歩道に咲いている「モミジアオイ(紅葉葵)」の花をご紹介します。

「モミジアオイ(紅葉葵)」はアオイ科フヨウ属の宿根草で、別名を「紅蜀葵(コウショッキ」)といいます。
原産地はアメリカ南東部で、日本には明治初期に渡来したといわれています。

・モミジアオイ(紅葉葵)の花です。


「モミジアオイ(紅葉葵)」の名前の由来は、葉が紅葉のような形をしていることからつけられました。
草丈は1.5m~2mになり、8月~9月にかけて紅葉のように切れ込んだ葉の脇に、深紅色のハイビスカスに似た五弁の花を咲かせます。
この花は1日花ですが、新しい花が次々と咲き、長い間楽しませてくれます。

・開き始めたモミジアオイ(紅葉葵)の蕾です。


蕾は4~5㎝の大きさです。先が尖った形で上を向き、次々と花を咲かせます。

・モミジアオイ(紅葉葵)の蕾です。


高浜虚子がモミジアオイ(紅葉葵)を詠んだ句がありますのでご紹介します。
この3句は、虚子が孫の防子を亡くしたときの悲しみの句といわれています。

  ・「汝がために 鋏むや庭の 紅蜀葵」

  
  ・「手を出せば すぐに引かれて 秋の蝶」
    
  ・「白露の 母の涙に つつまれて」


「花言葉」 温和




「長月」と「September」の由来

2009-09-12 | 季節
今日は9月の旧暦の呼び名「長月」と英語の「September」の由来について調べました。

「長月」の由来
・旧暦9月は新暦の10月から11月上旬に当たり、夜がだんだん長くなることから「夜長月(よながつき)」の略とする説。
・「稲刈月(いねかりづき)」が「かねづき」となり「ながつき」となったとする説。
・「稲熟月(いねあがりづき)」が略されたものという説。
・雨が多く降る時期であるため「長雨月(ながめつき)」から「長月」になったとする説。
・「穂長月(ほながづき)」が略されて「ながつき」となったとする説。
・「名残月(なこりのつき)」が転じたとする説
  など諸説あるようですが、「夜長月(よながつき)」からとする説が最も有力とされているようです。

「September」の由来
英語での9月名「September」はラテン語の「第7の」という意味の「septem」に由来しているそうです。
9月が何故ラテン語の「第7」なのかについては、紀元前153年までは3月を年の始めとしていましたが、この年以降1月を年の始めとするように改められました。
にもかかわらず名称を変えなかったためそのまま「September」が使用されているそうです。
7月のように名称を変えた月もあります。
7月は元々は「Quintilis」と言い、これはラテン語で「第5の」という意味の「quintus」の語に由来しているそうですが、この第5の」という意味の「quintus」はガイウス・ユリウス・カエサルによって「Julius」に改められ、現在使用している「July」となっています。

時候がよくなってきました。
日も早く暮れるようになり、だんだん夜が長くなってきました。
日頃読めていない本と向かい合い、できるだけ活字と親しみたいものですね。


古今集より藤原敏行の秋の歌を一首ご紹介します。

 ・「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 
               風の音にぞ 驚かれぬる」 (
藤原敏行)

  (訳)秋が来たと目にははっきり見えないけれど、風の音にはっと気付いた。

       (これは百人一首に撰ばれた藤原敏行の歌です)                                   
       

  

 
 ・「秋来にけり 耳を訪ねて 枕の風」   (松尾芭蕉)  
       
  (訳) 秋が来た。その証拠に秋風が耳を訪ねて枕元に偲び寄ってきた
      この俳句は、上の藤原敏行の歌をパロディ化したものといわれています




スイスの世界遺産とアルプスの謂れ

2009-09-11 | 雑学

9月7日のNHK総合テレビ番組で「世界遺産への招待状ー感動スイス絶景めぐりー」がありました。
テレビでは、世界遺産「ラヴォー地区のブドウ畑」、「ユングフラウ・アレッチ氷河(アルプス)」、「ハイジの世界」などが放映されました。

スイスには文化遺産で6箇所、自然遺産で3箇所が世界遺産として登録されています。
私は昨年初めての海外旅行としてスイスに行き、3箇所の世界遺産を見学しました。
そこで、今日は私が昨年見学した世界遺産をご紹介したいと思います。

・世界遺産「ラヴォー地区のレマン湖とブドウ畑」です。
 このブドウ畑は3つの太陽の恩恵により、ぶどう酒に適したブドウが収穫できるそうです。
 3つの太陽とは、空に輝く太陽、湖畔からの太陽の反射光、それに昼間熱された段々畑の石垣の太陽熱だそうです。
 これらの自然条件に恵まれたブドウ畑とレマン湖があるラヴォー地区が文化遺産として世界遺産に登録されています。


ところで、アルプスの名前の由来をご存知でしょうか?
アルプスとは、スイスの山腹の牧場をアルプ(alp)と言い、このアルプがたくさんあるのでアルプスと言われるようになったそうです。
このアルプ(牧場)では牛が放牧され、各牧場主は自慢のチーズを生産しているようです。

以下は「アルプス三大名峰」といわれている美しい山です。
・アルプス三大名峰の一つで、ヨーロッパ最高峰(4810.9m)のモンブランです。
 手前のグレーの波打っているところは氷河です。


・アルプス三大名峰の二つ目は、朝焼けのマッターホルン(4,478m)です。


・アルプス三大名峰の三つ目は、世界遺産に登録されているユングフラウ(4,158m)です。
 アレッチ氷河と共に自然遺産として2001年に世界遺産に登録されました。
 この氷河の長さは23kmにも及び、アルプス山脈最大の氷河ですが、残念なことに天候不良で撮影できませんでした。


・同じく世界遺産「ユングフラウ・アレッチ氷河(アルプス)」に含まれている山「メンヒ(4,107m)」です。
 アイガーとメンヒの中をトンネルで抜けて、ユングフラウの展望台まで列車が走っています。


・同じく世界遺産「ユングフラウ・アレッチ氷河(アルプス)」に含まれている山「アイガー(3,970m)」です。映画でおなじみの「アイガーの北壁」が見られます。


・フルカ峠の氷河です。世界遺産のアレッチ氷河が天候不良で撮影できなかったので、この氷河を代用として載せます。
 フルカ峠は2,431mの峠で、この氷河は約1万年前にできたといわれています。


・スイス・イタリアの国境にそびえているモンテ・ローザ(4,634m)です。
 山頂がバラの花のように見えることからモンテ・ローザ(バラの山)と名付けられたそうです。(英語ではmountain-roseです。)


アルプス山脈はアルプス・ヒマラヤ造山帯に属し、ヨーロッパ中央部を東西に横切る山脈です。
NHKのテレビでは、そのアルプスの麓に暮らす実在のハイジさん(おばさん)を紹介し、そのご家族の生活ぶりを放映していました。

・ハイジの世界を思わせるスイスの山村風景です。


・世界遺産の「ベルン旧市街」です。
 中世ヨーロッパの姿を今に伝える美しい町並みで、1983年に文化遺産として世界遺産に登録されました。