らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「百日紅(サルスベリ)」の花

2009-09-10 | 
大阪では連日30度を超える残暑が続いていましたが、昨日は9月に入って初めて30度を下回り、秋を感じた一日でした。

夏の終わりに当たり、今日は「夾竹桃」と共に夏を代表する花といわれ、炎天下に似合う花、「百日紅(さるすべり)」の花をご紹介します。

真っ赤に咲いた「百日紅(サルスベリ)」です。


「百日紅(サルスベリ)」は中国南部原産のミソハギ科の落葉中低木で、日本には江戸時代以前に渡来したといわれています。

・互生し、楕円形をした百日紅の葉です。


葉は互生し、長さ5~8㎝の楕円形をしています。
花はフリルが入った花弁が5枚あり、枝先に集まって咲きます。花色は淡紅、紅、紅紫、白色など様々な色があります。

・フリルが入って白色がきれいな「サルスベリ」です。


名前の由来は、7月から9月まで約100日間紅色の花を咲かせる事からつけられたようです。
花は咲き続けているように見えますが、実際には一度咲いた枝先から再度芽が出て花を咲かせています。

・猿も滑るといわれ、名前の由来ともなっている百日紅の幹です。


「百日紅」と書いて何故「さるすべり」と読むのでしょうか?
名前の由来となっているように、「百日紅」は7月から9月まで夏を中心に次から次へと花を咲かせ、約百日にもわたってどこかに花を咲かせていることから、原産地の中国では、この花を中国語で「百日紅」と呼んでいるそうです。
これに対して日本では、「百日紅」の幹がつるつるしているので、木登りの上手な猿でさえ登れないということから「さるすべり(猿滑)」の名前がつけられました。
この結果、漢字の表記は中国語の「百日紅」が用いられ、読み方は日本での「さるすべり」が表記されるようになったようです。

・白色が鮮やかな百日紅です。

       

「百日紅(サルスベリ)」を詠んだ句をご紹介します。

  ・「百日紅 ややちりがての 小野寺」  与謝蕪村

  ・「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」 加賀千代女(かがのちよじょ)  

  ・「炎天の 地上花あり 百日紅」  高浜虚子
                  



「重陽の節句」と菊

2009-09-09 | 季節

今日、9月9日は「重陽(ちょうよう)」です。
そこで今日は「重陽」と「菊」について調べました。

「重陽(ちょうよう)」とは五節句の一つで、陽数である「9」を重ねる意味から旧暦9月9日またはその日に行われる節会(せちえ)のことをいいます。
陰陽思想では、奇数は縁起のよい「陽」とされ、中国では、陽(奇数)が重なると陰になるとして、それを避けるため避邪の行事が行われました。
この中国の行事と日本の風習とが合わさって、定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになり、節句といわれるようになったようです。
節句の「節」とは、中国の暦法で定められた季節の変わり目のことです。

・昨年咲いた、品種名「国華大治」の大菊です。


「重陽の節句」は何故「菊の節句」といわれるのでしょうか?
 ・一つには、旧暦9月は、菊が咲く季節であることから「菊の節句」とも言われていること。
 ・もう一つは、古代中国では、菊は「翁草(おきなくさ)」「千代見草(ちよみくさ)」「齢草(よわいくさ)」と言われ、邪気を祓い長生きする効能があると信じられてきたことによります。

その影響を受けて、日本では9月8日の夜に、菊に綿をかぶせて一晩おき、朝露を吸ったその綿で身体をぬぐって長寿を祈る「菊の着せ綿」という風習がありました。
平安時代に入ると、邪気を祓い長寿を願って菊の花を飾ったり、菊の花弁を浮かべた「菊酒」を飲み交わし、茱萸(しゅゆ:ぐみの実)を掛けて悪気を祓う菊花の宴が催されるようになりました。
このような事から重陽の節句は「菊の節句」とも言われ、五節句の中では最も大切な行事だったそうです。

・これも昨年咲いた大菊で、「国華冲天」という品種です。


京都の上賀茂神社では、現在でも無病息災を祈る「重陽の節会」と言われる神事が行われています。
この神事は、境内の土俵に弓矢を手にした二人の刀禰(とね)が左右から現れ、「カーカーカー」「コーコーコー」と烏の鳴きまねをした後、近所の子供が相撲を行う烏相撲(からすすもう)や、「菊の着せ綿」の神事が執り行われるそうです。
しかし、このような重陽の行事は寺院などの一部で行われる程度であり、一般ではこれと言った行事は殆ど行われていないようです。

「重陽」を詠んだ芭蕉の句を一句ご紹介します。

  ・草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒  芭蕉
   菊の節句の酒は自分には無関係とあきらめていたところ思いがけなく日暮になって一樽届いた。嬉しいが日暮に届いたところに一抹の淋しさを感じる。
   (草の戸は、義仲寺(滋賀県大津市)境内の庵のことです)


(参考)
五節句とは次の五つの節句をいい、いずれも暦の奇数が重なる日となっています。
・「人日(じんじつ)の節句」(1月7日)、1月1日は元旦なので別格とし、7日の人日を節句に入れたそうです。
・「上巳(じょうし)の節句」 (3月3日)
・「端午の節句」       (5月5日)
・「七夕(しちせき)の節句」(7月7日)
・「重陽の節句」       (9月9日)




ツユクサ(露草)

2009-09-08 | 

今日は「ツユクサ(露草)」についてご紹介します。

「ツユクサ(露草)」はツユクサ科ツユクサ属の一年性植物で、日本全土、アジア全域、アメリカ東北部など世界中に広く分布しているそうです。
別名を「ボウシバナ(帽子花)」と言います。

この花は畑の隅や道端に咲いている雑草で茎は地面を這ってから立ち、草丈は15㎝~50㎝になります。6月から9月にかけて1.5㎝~2cmほどの青い花を咲かせます。
花弁は3枚あってそのうちの2枚は青色で大きく上部につき、下部の1枚は白色で小さくて目立ちません。
雌しべが1本、雄しべが6本あり、アサガオなどと同じように早朝咲いた花は午後には萎みます。

・ミッキーマウスを思わせる可愛い花です。


「名前の由来」
・朝咲いた花が昼には萎むことが「朝露」を連想させることから露草と名付けられたという説
・万葉の昔より花から採る染料で衣を染めたことから、「つきくさ(着草)」と呼ばれており、これが転じて「ツユクサ」になったという説などがあります。

「つきくさ」は「月草」とも「着き草」とも表記され、元々は花弁の青い色が「着」きやすいことから「着き草」と呼ばれていたと言われていますが、万葉集などでは「月草」での表記が多いようです。

「薬草として」
開花期に全草を採取して天日で乾燥させたものが生薬の鴨跖草(おうせきそう)といわれ、解熱、利尿、解毒剤として利用されるようです。



万葉集には月草が詠まれている歌が9種あります。
そのうちの2首をご紹介します。

 ・「月草の うつろひやすく 思へかも 我が思ふ人の 言も告げ来ぬ」 大伴坂上家之大娘(おおとものさかのうへのいへのおほいらつめ)(万葉集583)
 (訳):露草のように変わりやすいからでしょうか、私が想っているあの人が何にも言ってこないのは。(露草で染めたものは色が落ちやすいことから詠まれた)

 ・「朝(あした)咲き 夕(ゆふへ)は消(け)ぬる 月草の 消(け)ぬべき恋も 我はするかも」 よみ人しらず (万葉集2291)
 (訳):朝に咲いて、夕方には萎んでしまう月草のような(身も心も消え入りそうな)恋を私はするのでしょう。




白露とは

2009-09-07 | 季節

今日9月7日は二十四節気の一つ「白露」です。
そこで今日は「白露」について調べて見ました。

「白露」とは、大気が冷え、野にはススキの穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃で、草花についた朝露が寒さで白く見える頃を言います。
暦便覧にも「陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也」とあります。

・昨日の朝露です。草についた朝露が白く見え始めました。正に、白露ですね。


露は、ご存知のように、大気が冷やされて大気中の水蒸気が地面や地物の表面に凝結してできた水滴です。

昔から露はいろいろな言葉に例えて使われています。
①涙に例えて
 「我が袖は 草の庵に あらねども 暮れるば露の 宿りなりけり」 伊勢物語
②僅かなことに例えて
 「露にても心に違う事はなくもがな」 源氏物語
③はかなく消えやすいこと
 「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」 秀吉の辞世の句
他にも、少しもとか全くの意味で「そうとはツユ知らず」「ツユ疑わなかった」などがあります。

・朝露に濡れる草です


歌や句にも露を詠んだものがたくさんありますのでその一部をご紹介します。

 ・「この夕べ 秋風吹きぬ 白露に 争ふ萩の 明日咲かむ見む」 (万葉集10-2102   よみ人知らず)
                            
 ・「秋萩に おける白露 朝な朝な 玉としぞ見る 置ける白露」 (万葉集10-2168)
  (あきはぎに おけるしたつゆ あさなさな たまとしぞみる おけるしらつゆ)

 ・「白露も こぼさぬ萩の うねり哉    ( 松尾芭蕉 )

露の季語は「秋」です。
朝夕は秋を感じるようになりましたが、大阪では昨日の日中の最高気温は34.5度になり、連日真夏日が続いています。
秋は確実に近づいているものの、本格的な秋の到来はもう少し時間がかかりそうです。


 


大菊の「福助作り」(その3)増し土から開花まで

2009-09-06 | 
今日は「大菊の福助作りに挑戦」シリーズの3回目をご紹介します。
このシリーズは、NPO法人グリーンパーク熊取の菊グループ部会が主催しているもので、昨日講習がありました。
初回は7月20日(講習は18日)に「菊苗の挿し木」を、2回目は8月10日(講習は8月8日)に「鉢上げ」を受講し、昨日はこのシリーズの最終回として「増し土から開花」までの手順とその管理につい受講しました。

・これが前回行った鉢上げです。


昨日は、前回の鉢上げから3週間が経過し、菊の根が鉢の中に十分に回っているので追肥と増し土を行い、更に、福助の作りの草丈の高さ制限である40cm以下に押さえるべくビーナインの散布を行いました。

「鉢上げ後の管理」
①~⑤までの手順は」前回に書いていますので省略します
⑥「追肥」  9月上旬に追肥としてスプーン2杯の乾燥肥料または固形の油粕を三ヶ所に分けて埋める。この肥料が止め肥で、最後の肥料になります。
⑦ 「増し土」 鉢の中に根が充満してくるので、鉢の表面に2センチほどの厚さに増し土(用土を追加する)を行います。

・手順⑥、⑦に従って増し土と追肥を行ったところです。


⑧「ビーナイン処理」 前回の処理効果は3週間ほどで効果切れとなるので、9月上旬に3回目の処理を行います。
 この時、成長が不十分な場合は茎の伸長を確認しながら時期をずらします。

・追肥を3箇所に分けて施し、土に混ぜ込むところです。
 なお、この鉢の成長は遅れているようなので3回目のビーナイン処理は4~5日遅らせる予定です。


⑨「蕾発生時の施肥」 9月下旬になると蕾ができるので花肥としてハイポネックス1000倍液を2~3回施す。
⑩「わき芽摘み」 先端部に近いわき芽は2~3芽残し、それ以外のわき芽を摘み取ります。
⑪「鉢回し」 蕾が出たら3~4日毎に鉢を回して満遍なく日光を当てる。
⑫「薬剤散布」 蕾の出る前後に薬剤散布を徹底して行い、病害虫を退治しておきます。
 殺虫剤・・デス、マラソン、スミチオンなど
 殺菌剤・・ベンレート、マンネブダイセン、ダコニールなど

・増し土と追肥を行い、支柱を立て、水苔を敷いて乾燥防止をします。この後、蕾が出る頃に⑫の「薬剤散布」を行って病害虫予防を根こそぎ退治します。


⑬「潅水」 開花前には朝夕2回水遣りを行います。これが大きな花を咲かせるポイントだそうです。
⑭「輪台」 厚物は2~3分咲きのころ12cm前後のものを、管物は5~7分咲きのころ15㎝くらいの輪台を花首から3㎝ほど下げて取り付けます。

・水苔を敷いて完成した鉢です。


⑮「花後の手入れ」 花が咲き終わったら、10㎝くらいを残して上部の枝を切り取り、
越冬させて冬至芽を育て、3月中旬に摘心を行ってさし芽の準備を行います。

なお、10月31日に各自2鉢ずつ持参し、開花した作品の成果を講評してもらいます。



「ジュランタ・タカラヅカ(宝塚)」の花

2009-09-05 | 
今日は、我が家の庭に咲いている「デュランタ・タカラヅカ(宝塚)」の花をご紹介します。
この花は、クマツヅラ科デュランタ属の常緑低木の植物で、熱帯アメリカが原産地です。日本には明治中期に渡来したようです。

・紫色が鮮やかな「ジュランタ・タカラヅカ(宝塚)」の花です。


「ジュランタ・タカラヅカ(宝塚)の名前の由来」
ジュランタは、ローマの植物学者ドゥランテスに因み、タカラヅカ(宝塚)は単なる商品名のようです。
日本の園芸会社が育種を続け、その品種の中から濃い紫色の白覆輪の花に「宝塚」と言う名を与え、白花には「白組(アルバ)」、斑入り観葉系には「来夢(ライム) 
」を命名して商品化したそうです。

「ジュランタの品種」
 ジュランタの品種には次のようなものがあるようです
  ・タカラヅカ(宝塚)  濃い紫色の花で、周りに白い縁取 り があります。
  ・バイオレット     淡い紫色の花です。
  ・白組(アルバ)     花は純白で、かすかな香りがあります。
  ・来夢(ライム)    全斑の観葉です。弱光線下で管理すると葉が美しいライム色になるようです。
  ・小雪         花は白地、紫のストライプがあります。

・周りに白い縁取 り があり、濃い紫の花を咲かせる「タカラヅカ」の品種です。


「ジュランタ」には、花木として扱われる花のきれいな品種と観葉植物として扱われる葉の美しい品種があります。
「宝塚」は花木として扱われる代表的な品種であり、「ライム」は、葉がライム色で爽やかな夏向きの観葉植物です。

・「ジュランタ・タカラヅカ(宝塚)」の茎と葉です。鉢植えにして観葉植物としても十分楽しめます。


草丈は大きくなると2m~5mに成長することもあり、枝ぶりも良いことから庭木や垣根に植えられることが多いようです。

・房状に垂れ下がって咲いている「ジュランタ・タカラヅカ」です。


「ジュランタ」は別名をタイワンレンギョウ、ハリマツリと言います。
濃い紫色の小花を房状に垂れ下がった状態で咲いていますが、上から見ると鮮やかさが一段と増します。

・ジュランタ・タカラヅカの花と蕾です。花の上から撮影したものですが、紫色の鮮やかさが一段と増して見えます。



花言葉 「あなたを見守る」



「スイフヨウ(酔芙蓉)」の花

2009-09-04 | 

平安の昔から観賞され、人々に愛されてきた芙蓉の花。その園芸品種の一つが「スイフヨウ(酔芙蓉)」です。
今日は私が住まいしている大阪・泉州・熊取町、山の手台住宅の遊歩道に咲いているこの「スイフヨウ(酔芙蓉)」の花をご紹介します。

・午前7時頃に撮影した「スイフヨウ(酔芙蓉)」です。純白で見応えのあるきれいな花です。


「スイフヨウ(酔芙蓉)」はアオイ科、フヨウ属の落葉低木で、原産地は日本、中国、台湾といわれています。
花は一重咲きの芙蓉に対して八重咲きで、時間の経過と共に変色していくのが大きな特徴となっています。



「スイフヨウ(酔芙蓉)」は、早朝には白い花を咲かせ、正午前後にはピンク色に変わり、更に、夕方にかけて赤くなって、翌朝には萎んでしまいます。
この様を、酒酔いの顔がだんだん赤くなってくることに例えて「酔う芙蓉」ということからつけられた名前です。

・正午頃に撮影しました。ピンクに変色しています。


・1日のうちで白、ピンク、赤、と変色し翌朝には萎んでしまいます。この萎んだ花も「枯れ芙蓉」として鑑賞されるようです。
 赤色の萎んだ花は前日咲いた「スイフヨウ(酔芙蓉)」の花です。


・芙蓉の樹皮は強く、製紙の原料や下駄の緒に、また、花や葉の粉末は腫れ物の特効薬として用いられてきたそうです。


「スイフヨウ(酔芙蓉)」の花は、中国では楊貴妃の美しさに例えられています。

・早朝の「スイフヨウ(酔芙蓉)」の花です。
 白色も、ピンクも、そして夕方の紅色も、いずれも見応えのある素晴らしい花です。


ピンク色に変色した「スイフヨウ(酔芙蓉)」の花です。正に、楊貴妃が酒に酔ってほんのりピンクに染まったと思わせるような妖艶さが漂っています。

・正午頃撮影した「スイフヨウ(酔芙蓉)」の花です。早朝の白からピンクに変色したところです。


・午後5時30分頃に撮影しました。ピンクから真っ赤に変色しています。


「芙蓉の貌」、「芙蓉の顔(かんばせ)」という表現があります。これらの言葉は「美しい」、「しとやかな顔立ち」を意味し、美人の例えとして使われる表現です。
「スイフヨウ(酔芙蓉)」の美しさ、優雅さはこのように言葉において特別に表現されており、とても魅力的な花です。

・午前中の白色が夕方には一斉に赤色に変色しました。


芙蓉を詠んだ歌と句をご紹介します。

   「白き芙蓉 あかき芙蓉と かさなりて 児のゆく空に 秋の雨ふる」 与謝野鉄幹

   「反橋(そりばし)の 小さく見ゆる 芙蓉かな」 夏目漱石

   「枝ぶりの 日ごとにかはる 芙蓉かな」 松尾芭蕉




ヘクソカズラ(屁屎葛)の花

2009-09-03 | 

私が住んでいる大阪南部、熊取町:山の手台住宅地のはずれにある、竹やぶの雑草の中に「ヘクソカズラ(屁屎葛)」の花が咲いていました。
今日は、なんとも気の毒な名前がついているこの「ヘクソカズラ(屁屎葛)」について調べて見ました。

「ヘクソカズラ(屁屎葛)」とは、アカネ科、ヘクソカズラ属の植物で、古名は「クソカズラ(屎葛)」と言われていました。
日本各地や東アジアに分布する蔓性の多年草で、葉や茎に悪臭があることから「ヘクソカズラ(屁屎葛)」の名前がつけられたようです。



葉は蔓性の茎に対生し広卵形、花は7月~9月にかけて咲き、花弁は白色、中心部は紅紫色をしており、秋には実がつきます。



果実の乾燥したものは、しもやけ、あかぎれなどの外用民間薬のほか生薬としても利用されるようです。



花冠の先の部分は五つに裂けて、中心部分が紅紫色をしており、その色合いが灸を据えた跡のようなので「ヤイトバナ(灸花)」と呼ばれ、更に、早乙女の傘にも似ていることから「サオトメバナ(早乙女花)」などの別名があります。



古くには「クソガズラ(屎葛)」と呼ばれ、万葉集にも詠われています。

   「かはらふじに 延ひおぼとれる 屎葛(くそかづら) 
        絶ゆることなく 宮仕(みやづか)へせむ」  
高宮王(たかみやのおおきみ) (万葉集16-3855)

   (訳):サイカチ(マメ科の落葉高木樹)の木に、しっこく絡みついているクソカズラのように、私は今の役所勤めをいつまでも続けていこう。

この歌を詠んだ高宮王はどのような人であったか分かっていないようですが、名前から想像すると貴族の一員だったと思われているようです。
奈良、平安時代に「クソガズラ(屎葛)」と呼ばれていたのが、いつの頃からか「屁(へ)」までつけられて「ヘクソカズラ(屁屎葛)」と呼ばれるようになりました。

若山牧水も、くだらない物思いと「ヘクソカズラ(屁屎葛)」の悪臭を重ねて、次のように詠んでいます。

   「くだらぬ 物思ひをば やめにせむ
      何かに匂ふは 屁臭葛(ヘクソカズラ)か」 
若山牧水


「ヘクソカズラ(屁屎葛)」とは、誠に気の毒な呼び名ですが、全草に異臭があるこの蔓性植物に対しては、この命名も分からぬではありませんが・・・・・・・。





「ランタナの花」と「七変化」

2009-09-02 | 

今日は庭に咲いている「ランタナ」の花をご紹介します。

「ランタナ」はクマツヅラ科の常緑小低木で、原産地は熱帯アメリカといわれています。
日本には江戸時代末期に渡来し、鑑賞用に栽培されてきたようです。
5月から11月にかけて花をつける花木で、草丈は約80㎝~1m、よく枝分かれし、1㎝に満たないような小さな花が1箇所にまとまって沢山咲きます。

・我が家のランタナの花は白色で変化しません。(純白でとても清楚です)


在来種は花が咲いてから時間が経つにつれて淡黄色から橙色、紅色と変化していきます。この変化の様子から「七変化」という和名がついています。

「七変化」
ところで、「七変化」の語源をご存知でしょうか?
「七変化」とは、変化舞踊の形式の一つで、七種の小品舞踊を組み合わせ、一人の俳優が連続して早変わりで踊り分けるものを言います。
1697年水木辰之助(1673-1745)によって始められ、七化け(ななばけ)と言われて好評を博したそうです。



ランタナの葉は対生し、長さ2~8cmの卵形をしています。葉や枝に固い毛があってざらざらしています。


色の変化しないヒブリダという矮性(わいせい)品種もあります。
花色は、白、黄色、橙色、赤などがあり、草丈が低いので鉢植えに適しています。

・鉢植えの黄色のランタナです。


花が終わった後にはブドウを思わせる、つやのある実をつけます。

「増やし方」 挿し木かまたは種を植えて増やします。
・「花言葉」  
「厳格」「協力」「合意」「心変わり」



防災の日と二百十日

2009-09-01 | 雑学

9月1日は「防災の日」です。
そこで、今日は「防災の日」と「二百十日」について調べました。

「防災の日」
「防災の日」とは,大正12年(1923年)9月1日に発生した「関東大震災」に因んで制定された記念日であり、また、この日は二百十日になることが多く、台風シーズンを迎える時期でもあることから、災害への備えを怠らないようにとの戒めを込めて昭和35年(1960年)に制定されました。

「二百十日」
二百十日は暦上の雑節の一つであり、立春から数えて210日目に当たります。この日は、「二百二十日」と共に台風が来襲する厄日とされ、農家ではイネが開花する時期のため、台風が襲来すると稲作に大きな損害を被ることから警戒する目安の日となっています。
しかし、統計的には台風来襲の特異日は9月16日と9月26日であって、この日には過去大きな被害が発生しています。

「9月16日に来襲した台風」
・昭和23年のアイオン台風
 関東地方に上陸しました。
 死者512名、行方不明者326名、負傷者1,956名、全半壊家屋18,017戸

・昭和36年の第二室戸台風
 室戸岬に上陸、大阪湾に大きな被害が発生しました。
 死者194名、行方不明者8名、負傷者4,972名、全壊家屋15,238戸、半壊家屋46,663戸

「9月26日に来襲した台風」 
・昭和29年の洞爺丸台風
 九州・中国地方に上陸通過し、日本海を発達しながら北上、函館港沖で青函連絡船洞爺丸が座礁転覆しました。
 死者・行方不明者1,761名、全半壊家屋207,542戸  
             
・昭和33年の狩野川台風
 神奈川県に上陸、伊豆半島と関東地方に大きな被害が発生しました。
 死者・行方不明者1,269名、全半壊家屋16,743戸   
            
・昭和34年の伊勢湾台風
 潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方に大きな被害が発生しました。
 死者4,697名、行方不明者401名、負傷者38,921名、全壊家屋36,135戸、半壊家屋113,052戸

「関東大震災」
1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分、神奈川県相模湾北西沖80㎞を震源として発生したマグネチュード7.9、海溝型の大地震による災害です。
千葉県から静岡県東部までの広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大の被害を与えました。

 「被害状況」
  ・死者・行方不明者者 14万2800人
  ・負傷者    10万3733人
  ・避難人数  190万人以上
  ・家屋全壊  12万8266戸
  ・家屋半壊  12万6233戸
  ・焼失家屋  44万7128戸(全半壊後の焼失を含む)

当時、東京にあった新聞社は地震の被害で9月5日まで発刊ができず、加えて、通信・交通手段も途絶えていたため、正確な情報が伝わらず、「在日韓国人・朝鮮人が暴徒化した」とか「井戸の中に毒を入れ、また放火して回っている」などのデマや噂が飛び交ったそうです。
このため朝鮮人の取り締まりや虐殺が起こり、各地で死者や負傷者が多数発生したそうです。

防災の日の今日は、政府においては首都直下型地震を想定し、首相官邸をメーン会場に総合防災訓練を実施するそうです。
またこの日は、31都道府県で約79万5千人が参加して東海地震の想定訓練も行われる予定です。

  皆様方には地震への備えはできていますか?

  今日の「防災の日」に再度確認してみませんか?