昔から夏と言えば「お化け屋敷」「幽霊屋敷」が登場しますが、コロナ禍のここ3年程は感染防止の観点からこのベントが開かれていないようです。
子供や若いカップルたちの肝試しの場として「お化け屋敷」は人気がありました。
私も子供の時、行ったことがありますが、とても怖かったことを覚えています。
コロナが収まって、またこのイベントが再開されるといいですね。
ところで日本の幽霊には足がありませんよね。
何故なのでしょうか?
今日はその由来を調べてみました。
「日本の幽霊」
日本の幽霊と言えば足がなく、髪が乱れた白装束の姿をイメージすると思います。
ところが西洋の幽霊は足があり、もちろん白装束でもありません。
日本の幽霊も江戸時代中期までは足がありました。
しかし、江戸時代中期のある画家が描いた幽霊画によって、以後の日本人が持つ幽霊像が変っていきました。
その画家は円山応挙(1733年~1795年)です。
応挙が描いた幽霊画によって、以後の幽霊像が変ったようです。
「応挙の幽霊画には何故足がない」
言い伝えでは、応挙は「幽霊画を掛け軸に書いてほしい」という依頼を受けましたが、描けず悩んでいました。
そのときに、夢枕に亡くなった妻が出てきてその姿をそのまま書いたといわれるのが応挙の幽霊画だそうです。
会いたくても会えない、大切な人への想いが描かれた絵だったのです。
この応挙が描いた幽霊画には足が霞んで見えません。
髪も結っておらず乱れて肩まで垂れています。
着物は白装束で、現代の日本人が思い描く幽霊のイメージそのままです。
その幽霊画が余りにも迫力のあるものだったので、幽霊と言えば応挙の幽霊と言うことになり、脚のない白装束の幽霊像が広まっていきました。
・江戸時代の絵師・円山応挙の幽霊画で、国内で真筆と認定された「返魂香之図(はんごんこうのず)」です。
円山応挙の幽霊画に足が描かれていないのは次の説が考えられるという事です。
①反魂香(はんごんこう)説
焚くと死んだ人の姿が現れるというお香に反魂香がありますが、これを使うと煙の中から死者が現れます。
足がないのは煙で霞んでいるからとする説です。
②妻と再会説
応挙の妻お雪さんは応挙より早く、それも彼の現役時代に死亡したと言われています。
応挙は幽霊の絵を頼まれて描けずに悩んでいるときに、妻のお雪さんの霊に会ったというエピソードがあります。
そのお雪さんには足がなかったから、それを忠実に再現したという説です。
有力なのは①の説のようです。
以後、歌舞伎の幽霊芝居の際にも足を見せないようにしたり、宙吊りにしたりするなどの工夫が施され、庶民の間にも足のない幽霊像が定着していったという事です。
私が住まいしている大阪南部の熊取町は連日35度前後の猛暑が続いています。
町役場では猛暑の危険性から「日中の外出はできるだけ控えるように」と呼びかけています。
この時期、家庭菜園では秋野菜の準備をしなければいけないのですが、この暑さでは日中に畑に行くわけにもいかず、もっぱら録り溜めたドラマを観る日が続いています。
そんな中、先日、「十津川警部」シリーズの第45話、「志賀高原殺人事件黒姫伝説の謎」を観ました。
このドラマから、「黒姫伝説」とはどのような伝説なのか?
興味が湧いたので調べてみることにしました。
「ドラマ」
ドラマは十津川警部(渡瀬恒彦)の部下の亀井刑事(伊東四朗)が休暇を取って志賀高原を訪れるバスの中での出会いから始まります。
亀井は、美しい女性・広田みや子(上野なつひ)と出会い、みや子から志賀高原の大沼池に伝わる「黒姫伝説」について聞かされ、美しい娘・黒姫と大蛇の化身との悲恋に思いを巡らせます。
その翌朝、大沼池のほとりで亀井がみや子を見つけたその時、銃声が響き、みや子は何者かに狙撃されました。
息を引き取る間際、みや子は亀井に「黒姫伝説」由来のお守りを託します。
この後、連続殺人事件に発展してドラマが展開していきます。
・大沼池の大蛇神社です。
一方、地元に残る「黒姫伝説」は次のように伝えられています。
「黒姫伝説」
今の長野県中野市に、戦国時代、高梨氏という一族が勢力を張っていました。
高梨氏の武将高梨政盛(一説では政頼)に黒姫という美しい姫様がいたそうです。
ある日、殿様は黒姫を伴ってお花見に出かけました。
その花見の宴のさなか、黒姫の前に一匹の白い蛇が現われたのです。
殿様は「宴の楽しさにつられて出てきたのだろう」と上機嫌で言い、「姫、あの蛇にも酒盃をあげなさい」と黒姫に勧めたのです。
黒姫は蛇を怖がらずに、酒盃を白蛇の前に差し出すと、蛇は嬉しそうにそれを飲み干して去っていきました。
後日、殿様のところに一人の立派な姿の若者が訪れました。
その若者は「私は、あのお花見の宴の時、黒姫からお酒をいただいた者です」と告げました。
殿様は彼の話を聞いて驚きました。
若者は、「自分は、志賀高原の大沼池に棲む龍です」と言い、白蛇に化けて散策していたところへ、花見に来ていた殿様一行と出くわし、酒を飲ませてくれた黒姫の姿が忘れられないと言うのす。
続けて、「姫をさらうのはたやすいことですが、それでは道理に反するのでこうしてお願いに参りました。黒姫をぜひ妻に貰いたいのです」と。
当然、殿様は断わりました。
人でない者に大事な娘を渡せなかったのです。
しかし、この若者はその後も、毎日、毎日、殿様のもとを訪れ、お願いしたのです。
屋敷を厳重に警備しても無駄でした。
若者は必ず殿様の前に現われたのです。
若者の熱心な姿に、いつしか黒姫は龍に心ひかれるようになりました。
若者が城を訪ねて来るようになって100日目、心配になった殿様は部下と相談し若者に策を仕掛けたのです。
その罠にまんまと陥った彼は、殿様たちから殺されそうになります。
若者は激怒し、「礼をつくした返答がこれか!」
本性を現わし、龍となって、たちまち天にかけのぼったのです。
その途端、あたり一面が大嵐に襲われました。
あちらこちらで洪水がおこり、あたり一面地獄のような光景と化したのです。
やさしい黒姫はこれを見て、矢も盾もたまらず「龍よ、私はあなたのところへ行きましょう。だから嵐をしずめておくれ」と呼びかけたのです。
その声を聞きつけ龍が天から下りてきて、黒姫を乗せると再び天にかけのぼっていきました。
龍は妙高と戸隠の間の山に降りたち、山頂の池で黒姫と暮らすようになり、以後、その山を「黒姫山」と呼ぶようになったというお話です。
・伝説の黒姫山です。
悲しい黒姫伝説ですが、ドラマでは龍は出てきません。
「大沼池」の赤い鳥居や「大蛇神社」は出てきましたが、伝説と結びつけることができるのはこれくらいのものです。
ドラマの全体としては通常の連続殺人事件としての展開でした。
「太陽熱発電の日」
今日は「太陽熱発電の日」だそうです。
太陽熱発電の日とは、1981年のこの日、香川県三豊郡仁尾町(現三豊市)の電源開発・仁尾太陽熱試験発電所で世界初の太陽熱発電が行われたことを記念して制定された記念日です。
太陽熱発電は、太陽光発電に比べて発電効率が高く、コストが抑えられるようですが、日本の気候・地形では発電に向いていないため、国内ではほとんど実用化されていません。
実際、香川県三豊郡仁尾町の太陽熱試験発電所の場所は、日照量が少なく、最大出力が2000kWと、実用になる程度の大規模な発電ができなかったため、この発電所での実験は1985年に中止されました。
それなのに記念日が制定されているのですね。
「日本における太陽光発電」
一方、太陽光発電が日本で初めて注目されたのは、1973年のオイルショックのときです。
しかし、当時はまだ絵に描いた餅の状態でしたが、1990年代になると、商業ベースで導入され始め、2000年以降は技術革新でコストも一気に下がり一般家庭への導入が進みました。
「住宅用太陽光発電」
日本で初めて太陽光発電が住宅に設置されたのは、1993年になってからです。
ただ、コストは4kWでおおよそ1,500万円にもなったことから、一般家庭へは普及しませんでした。
「余剰電力買取制度」
2009年に余剰電力買取制度がスタートしました。
この制度は、家庭などにおける太陽光発電で余った電気を、電力会社が10年間、一定の価格で買い取ることを義務づけた制度です。
当時の売電価格は1kWhあたり48円です。
これは、一定期間売電収入が保証されることで、初期コストを回収してもらおうという狙いからです。
さらに国は、太陽光発電システムを導入する際の補助金制度も設けました。
こうした結果、太陽光発電を導入する家庭が急増し、販売業者も相次いで誕生しました。
「我が家の太陽光発電」
我が家も国と熊取町の補助金を受けて太陽光発電を設置しました。
当時の買取価格は1Kwh当たり42円です。
住宅メーカーの販売担当者からは「10年で初期コストが回収できます」と説明がありました。
その後、1年間の関西電力の買い取り実績をみると、説明通り回収できそうな状況でした。
そして、来月で10年間の買取期間が満了となります。
当初の投資金額の二百数十万円は、国と町の補助金を含めてほぼ回収できる見込みです。
10月からは買取単価が1Kwh当たり8円に下がります。
「結果的には」
太陽光発電の設置について批判的な人もいましたが、我が家では設置して良かったと思っています。
今年は特別な暑さが続いていますが、雨の日を除いて、日中のエアコン代は太陽光発電が賄ってくれており、電気代も節約できています。
その上、余剰発電量を買い取ってもらっているのです。
初期費用額を銀行に預けるより遥かに高い運用益を生んでくれています。
但し、これも来月までですが・・・。
今日8月4日は2回目の土用の丑の日で、「二の丑」と言われます。
1回目は7月23日でした。
当日の弊ブログ「大伴家持のウナギの和歌」に「土用の丑の日の由来」などを記していますのでご参照ください。
ところで土用とは、一体どのようなものなのでしょうか?
そこでまず、土用について調べました。
「土用とは」
日本大百科事典によれば、土用とは五行に由来する暦の雑節です。
中国では、1年のうち、春・夏・秋・冬の四季に、木・火・土・金・水の五行をあてようとするも、四季に五つを割り当てるのはむりであることから、春・夏・秋・冬の四季に木・火・金・水をあて、各季の終わり18日余に土を当てました。
これを土用と言います。土用は「土曜用事」を略したものです。
現行暦では、太陽の視黄経がそれぞれ27度、117度、207度、297度に達したときが、それぞれ春の土用、夏の土用、秋の土用、冬の土用の入りで、その期間はおよそ18日間です。
そして、各季の土用があけると、立夏、立秋、立冬、立春となります。
年間4回ある土用のうち、夏の土用は梅雨明けや大暑と重なり体調を崩しやすいため、最も重要視されるようになりました。
なお、五行説とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという説です。
「土用の食べ物」
食欲が落ちがちな夏の土用の丑の日には「う」のつく食べ物で「食い養生」をするのが昔からの風習で、代表格は「ウナギ」となっています。
ウナギは、疲労回復に効くビタミンやエネルギー源となる脂質をたっぷり含む滋養に富んだ食材です。
夏バテ防止に有効ですが、近年では、ウナギの養殖に使う天然稚魚(シラスウナギ)の激減で価格がはね上がり、絶滅も危惧される状態になっています。
そこで、その代わりに勧めているのが、昔から親しまれてきた「う」のつくものや土用の行事食です。
「『う』のつくもの」
・梅干し:クエン酸が疲れをとり、食欲が増進します。
・うどん:さっぱりとしてのど越しもよく、暑い日でも食べやすい食べ物です。
・ウリ類:胡瓜(キュウリ)、西瓜(スイカ)、南瓜(カボチャ)、冬瓜(トウガン)、苦瓜(ニガウリ=ゴーヤ)などのウリ類は、夏が旬で栄養価が高く、体の熱をとったり、利尿作用で体内バランスを整えたりします。
「土用の行事食」
・土用餅:あんころ餅のこと。
その昔、宮中の公家の間では「土用の入りの日に、ガガ芋の葉を煮出した汁でもち米の粉を練り、丸くまるめたものを味噌汁に入れて食べると暑気あたりしない」という風習がありました。
土用餅の餅は力持ち(力餅)、小豆は厄除けに通じるため、食べると無病息災で過ごすことができると言われています。
・土用しじみ:栄養価が高く、肝臓の働きを助けることから「土用しじみは腹薬」といわれています。
しじみには、良質のたんぱく質やグリコーゲンにタウリン(アミノ酸の1つ)、ビタミンが豊富に含まれており、他の貝と比較してみると、含まれている栄養素は群を抜いています。
しじみは、「生きた肝臓薬」とも言われるほど、肝機能の修復や活性化の効果に富んでおり、加えて、貧血の予防や疲れ眼の改善、利尿の促進や免疫力の強化など様々な効果があるようです。
・土用卵:土用に産み落とされた卵のことで、ウナギ同様、精がつくとされています。
卵には、ひよこ全身の細胞(脳や神経など)を作ったり、骨格を作ったりするために必要な栄養が全て含まれています。
栄養素としては、たんぱく質やカルシウム、鉄分のほか、人の体内では生成できない8種類の必須アミノ酸など、ビタミンCを除くほとんどの栄養素があるようです。
「丑湯(うしゆ)」
「丑湯」とは、土用の丑の日に、夏バテ防止や疲労回復のために薬草を入れたお風呂に入ることです。
この風習は江戸時代からあって、この日にお湯に浸かると無病息災で過ごせるとされています。
昔から丑湯に入れられていた薬草は、桃の葉やドクダミなどです。
どちらもあせもや湿疹などの夏の肌トラブルを和らげる効果が期待できるそうです。
緑茶やハーブティーの茶葉をお茶用のパックに入れて、湯船に浮かべれば、清々しい香りを楽しむことができます。
「暑い時期はシャワーだけ」という人もいらっしゃるかもしれません。
今日の土用の丑の日には「丑湯」に浸かり、夏の疲れを癒やしてみては如何でしょうか?
昨年9月、新潟市東区の無人餃子販売店で、32個入りの冷凍餃子3セットとタレ3セットの計3600円分を盗んだとして、同市東区に住む48歳会社員の男が逮捕されたというニュースがありました。
無人販売店での窃盗事件としては、他にも今年6月には埼玉県で男女2人が無人販売店の餃子を盗んだとして逮捕されています。
更に、茨城県内の無人ラーメン販売所でも男が窃盗犯で逮捕されています。
最近、無人販売店が広がりを見せていますが、代金を支払わずに品物を持ち帰る窃盗犯が増えているようです。
しかし、防犯対策としては、防犯カメラの設置、料金箱も持ち去られないように工夫されているだけであり、それ以外の万引きに対する対策は施されていない店舗が多いということです。
評論家の間では、基本的に「性善説に立って、ある程度の万引きを覚悟して営業しているのではないか」とも言われていますが、無人販売所で代金を払わずに商品を持ち帰ってしまった場合、窃盗罪が成立しますので、軽い気持ちで窃盗行為をしないようにお気を付けください。
ところで、「性善説」「性悪説」の言葉は今から約2300年前の中国で生まれた言葉ですが、今日はこの言葉を主張した孟子と荀子の説を調べました。
「性善説」
性善説とは、広辞苑によると、人間の本性は善であり、仁・義を先天的に具有すると考え、それに基づく道徳による政治を主張した孟子の説。と説明しています。
簡単に言えば、「人は生まれながらにして善である」という思想です。
「孟子の説」
孟子はあらゆる人には善のきざしが生まれつき備わっていると考えました。
その善のきざしとは惻隠(そくいん)、羞悪(しゅうお)、辞譲(じじょう)、是非(ぜひ)の四つの心です。
・惻隠とは・・・他人の苦しみを見過ごせない憐れみの心。
・羞悪とは・・・不正を恥じる心。
・辞譲とは・・・謙譲の心。
・是非とは・・・善悪を分別する心
です。
孟子は人間に備わっているこうした善のきざしを育て発展させていけば、「仁・義・礼・智」という四つの徳を備えた聖人君子になることができると考えました。
孟子が人には生まれながらに善のきざしがあると考えたのは、人の道徳性が天に由来すると考えたからでした。
そして、現実社会にあふれる悪については、孟子は、悪とは人の心の中ではなく人の外に存在し、この影響を受けることで善のきざしが曇り、いろいろな問題が生まれてくると考えました。
・左が孟子で、右が荀子です。
「性悪説」
性悪説とは、広辞苑によれば、荀子(じゅんし)の性説。人間の本性は悪であるとして、礼法による秩序維持を重んじた。孟子の性善説に対立。と説明しています。
簡単に言えば、「人は生まれながらにして悪である」という、性善説とは真逆の思想です。
唱えたのは荀子という儒学者であり思想家で、現在は「諸子百家」という中国思想家の1人として数えられています。
性善説との大きな違いは、生まれたときの人間の本性にあります。
性善説が、生まれながら「いい人」であると唱えたのに対して、性悪説では生まれた時、人は「悪」であると言っているのです。
「荀子の説」
孟子より少し遅れて登場した荀子は、孟子の「性善説」を批判し、人間の天性は悪だ、と言っています。
・人間というのは生まれながらに自分の得になることを好み、だから争いが生まれる。
・人間というのは生まれながらについ他人を憎んでしまうので人を傷つける。
・人間というのは生まれながらに感覚的な満足を求めるから、逸楽にふけるようになる。
このように人はおのれの持って生まれた天性に流されれば、どうしても他者と争うようになる。
だから人為な矯正が必要なのだ、と荀子は考えました。
「性の意味」
ここで言う「性」とは、性別のことではなく人間の本質・本性という意味になります。
つまり、人は、生まれたときにはいい人であるという考え方が、性善説の本来の意味なのです。性別で善悪が変わるわけではありません。
「結論」
性善説と性悪説は思想の問題であり、この問題に関する個人的意見には、「どちらか一方が正しい」ものではありません。
人の心は複雑で様々な面を持っており、敢えて言えば「どちらも正しい」のかも知れません。
しかし、どちらの説であっても、無人販売店の防犯対策はしっかりしておかないと窃盗はなくならないような気がします。