昨日は母の日でしたね。
皆様はお母さんに思いをはせられましたか?
街では花束を持った人をたくさん見かけました。
世界で一番有名なお母さんといえば、イエス様のお母様「マリア様」ではないでしょうか?
ちょうどカトリックの教えでは5月はマリア様に捧げられる月で、マリア様に捧げられる薔薇の月だそうです。
実はこのマリア様、日本とは深い関係があるんだそうですよ。
マリア様ファンのわたくしが以前調べたところ、日本という国はキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルによってマリア様に捧げられたとか。
つまり、この国はマリア様によって守られているんだそうです。
そのせいか、日本の歴史的な出来事の多くがマリア様の祝日と呼ばれる日に起こっているのだそうですよ~。
「お母さん」を大事にする、母性豊かな日本の気質とあいまって、うなずけるような気がいたしました。
私の母は遠くの地で病床に臥している上に意識が定かでないので、何かをしてあげるという事は出来ませんが、今日、明日は時間があるので、今の母に気持ちの良いものを何か用意できたらいいなあと思っています。
さてさて、この週末は仲の良い俳優さんのコンサートで恒例のお手伝いをさせて頂きました。
たくさんの素晴らしい歌を聞かせてもらい、耳にも嬉しいお手伝いでした。
また、このお手伝いをする中で、自分のこれからの人生に大きな影響を及ぼすであろう、たくさんの気付きを頂けて、本当に心にも嬉しい週末でした。
この時間をいただけた事に心から感謝したいです。
原宿の閉店からこちら、この週末に起きた出来事も含め、このところ新しい出会いと過ぎた日々に培った繋がりの方たちとの間で深く考えさせられる出来事が続いています。
たぶん、わたしの人生において、大事な事は何かを深く考え、そしてその歩みに対してしっかりとした信念を持つべき時が来ているんだと感じます。
そう心に感じたので、起こること一つ一つをしっかり考える様にしています。
出来事に対して単純に何を感じたのか、
出来事を、相手に対してどう思ったか?
私に置き換えた時、自分はどうしたいのか?
思いは色々です。
ただ、はっきりと私が「好むもの」は見えてきた気がします。
そして「嫌だなあ」と思うことも。
考え方にしても、行動にしても、何にしても。
そして、自分が信じてきたものに対してどれだけの信頼があるかも。
どうやら私は「いいかげん」でなく「善いかげん」でいたいらしい。
これは「中道」と言うのとはちょっと違う感じなんですね。
バランスと言うものは本当に大切なんだけど、わかっちゃいるけど、なんですが(笑)
私よりの気持ちよさに順ずるものです。
まあ、自分勝手で自己中ってだけなんですが~(^^;)
じゃあ「善いかげん」でいるために、私自身は何をしたくないか?
絶対したくない事は?とここのところ考えてまして。
答え、それは「嘘はつきたくない」
じゃあ、あんたの嘘ってなんなのさ?と問いますと
「全てに対して誠実でないこと」に、行き着きました。
つまり、誠実でないから「いいかげん」になると感じてる私に出会ったわけですね。
つまり私にとって「いいかげん」って言うのは単純に「中途半端」ではないんです。
「相手に対して嘘のある気持ちや行動」を意味します。
「善いかげん」ってのは、向き合う相手に対して、それはモノでもヒトでも動物や植物に対しても、誠心誠意をもって、嘘のない気持ちを捧げていられる自分のあり方なんだと解りました。
あ、お断りしておきますが、これはあくまでも自分自身の心の事なので、決して人様がどうこうとかではありません。
なんで適当にスルーしてくださりませ(^^)
つか、他の方の生き方まで、考えている余地が、度量が~~~(^^;)
もちろん、自分の心を通して、周りにいる方のあり方に疑問を持ったり、心配したりすることもありますが、これは人間が人として関係を持つときに大事なことだと思ってます。
それがなくなったら人ではありませんし、エゴがエコを産むんです・笑。
(善くわかんないけどそんな感じ?)
ってか、万一、わたしの考え方を聞いて、あたしのことだわ!とか思う人がいたら、なぜそう思うのか胸に手を当てて見られると良いのかも知れませんけれどね~。
脱線しました。
なぜ、こういう風に考える様になったかって言うと、私個人の魂が「いいかげんだよなあ」って思うことに本当によく出会ったからです。
仕事でも、人間関係でも、家族関係でも。
仕事だったら、言葉だけは立派で、人様からお金を頂いているのにも関わらず、精一杯やっていない。
手抜きをしてても、自分に都合のいい言い訳を心の中に思い浮かべて納得する。
お金を得るために「善」を利用する。
人間関係でもこの人ならいいだろうと最初から手を抜いてみたり。
家族関係でも、まず自分のやりたい事や考えを優先して、それをやる事を正当化。
でも家族はじつは不満だらけ、とか。色々ありますね。
常日頃、言葉が立派であるヒトほど、それが起きた時、嘘が露呈する。
もちろん、私自身、じゃああんた完璧なのかよ!って言われたらごめんなさいデス(><)
全てに関して「いいかげん」なところも多々あり。
なんせ「ゆるい」のが好きなものだから。
けれども私は出来るかぎり、そうしたくないって思った、と言うお話なのでした。
ゆるいって言うのは、いいかげんじゃない。
「ゆうるり」と言う意味。
「メロウ」つまり「まろい」なんである。
私は「まろいまろい時間」が好きだから。
そこには嘘なんてあって欲しくないのかもしんない。
私はこれからも「まろい」時間を大切に生きようと思っている。
だから、今はこれから何をしようかなーと考え中。
何をするにしても、たくさんの方に自分の持っているものをシェアしていくことになるんだと思うけれど、それを仕事にするならば、特に嘘はつきたくないものだと思う。
心を大事に、相手を大事に、その間に嘘がないように。
私に関わる人が、みな、ハッピーに暮らせるように。
「善いかげん」のまろい時間を作っていきたいなあ、と思っています。
皆様はお母さんに思いをはせられましたか?
街では花束を持った人をたくさん見かけました。
世界で一番有名なお母さんといえば、イエス様のお母様「マリア様」ではないでしょうか?
ちょうどカトリックの教えでは5月はマリア様に捧げられる月で、マリア様に捧げられる薔薇の月だそうです。
実はこのマリア様、日本とは深い関係があるんだそうですよ。
マリア様ファンのわたくしが以前調べたところ、日本という国はキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルによってマリア様に捧げられたとか。
つまり、この国はマリア様によって守られているんだそうです。
そのせいか、日本の歴史的な出来事の多くがマリア様の祝日と呼ばれる日に起こっているのだそうですよ~。
「お母さん」を大事にする、母性豊かな日本の気質とあいまって、うなずけるような気がいたしました。
私の母は遠くの地で病床に臥している上に意識が定かでないので、何かをしてあげるという事は出来ませんが、今日、明日は時間があるので、今の母に気持ちの良いものを何か用意できたらいいなあと思っています。
さてさて、この週末は仲の良い俳優さんのコンサートで恒例のお手伝いをさせて頂きました。
たくさんの素晴らしい歌を聞かせてもらい、耳にも嬉しいお手伝いでした。
また、このお手伝いをする中で、自分のこれからの人生に大きな影響を及ぼすであろう、たくさんの気付きを頂けて、本当に心にも嬉しい週末でした。
この時間をいただけた事に心から感謝したいです。
原宿の閉店からこちら、この週末に起きた出来事も含め、このところ新しい出会いと過ぎた日々に培った繋がりの方たちとの間で深く考えさせられる出来事が続いています。
たぶん、わたしの人生において、大事な事は何かを深く考え、そしてその歩みに対してしっかりとした信念を持つべき時が来ているんだと感じます。
そう心に感じたので、起こること一つ一つをしっかり考える様にしています。
出来事に対して単純に何を感じたのか、
出来事を、相手に対してどう思ったか?
私に置き換えた時、自分はどうしたいのか?
思いは色々です。
ただ、はっきりと私が「好むもの」は見えてきた気がします。
そして「嫌だなあ」と思うことも。
考え方にしても、行動にしても、何にしても。
そして、自分が信じてきたものに対してどれだけの信頼があるかも。
どうやら私は「いいかげん」でなく「善いかげん」でいたいらしい。
これは「中道」と言うのとはちょっと違う感じなんですね。
バランスと言うものは本当に大切なんだけど、わかっちゃいるけど、なんですが(笑)
私よりの気持ちよさに順ずるものです。
まあ、自分勝手で自己中ってだけなんですが~(^^;)
じゃあ「善いかげん」でいるために、私自身は何をしたくないか?
絶対したくない事は?とここのところ考えてまして。
答え、それは「嘘はつきたくない」
じゃあ、あんたの嘘ってなんなのさ?と問いますと
「全てに対して誠実でないこと」に、行き着きました。
つまり、誠実でないから「いいかげん」になると感じてる私に出会ったわけですね。
つまり私にとって「いいかげん」って言うのは単純に「中途半端」ではないんです。
「相手に対して嘘のある気持ちや行動」を意味します。
「善いかげん」ってのは、向き合う相手に対して、それはモノでもヒトでも動物や植物に対しても、誠心誠意をもって、嘘のない気持ちを捧げていられる自分のあり方なんだと解りました。
あ、お断りしておきますが、これはあくまでも自分自身の心の事なので、決して人様がどうこうとかではありません。
なんで適当にスルーしてくださりませ(^^)
つか、他の方の生き方まで、考えている余地が、度量が~~~(^^;)
もちろん、自分の心を通して、周りにいる方のあり方に疑問を持ったり、心配したりすることもありますが、これは人間が人として関係を持つときに大事なことだと思ってます。
それがなくなったら人ではありませんし、エゴがエコを産むんです・笑。
(善くわかんないけどそんな感じ?)
ってか、万一、わたしの考え方を聞いて、あたしのことだわ!とか思う人がいたら、なぜそう思うのか胸に手を当てて見られると良いのかも知れませんけれどね~。
脱線しました。
なぜ、こういう風に考える様になったかって言うと、私個人の魂が「いいかげんだよなあ」って思うことに本当によく出会ったからです。
仕事でも、人間関係でも、家族関係でも。
仕事だったら、言葉だけは立派で、人様からお金を頂いているのにも関わらず、精一杯やっていない。
手抜きをしてても、自分に都合のいい言い訳を心の中に思い浮かべて納得する。
お金を得るために「善」を利用する。
人間関係でもこの人ならいいだろうと最初から手を抜いてみたり。
家族関係でも、まず自分のやりたい事や考えを優先して、それをやる事を正当化。
でも家族はじつは不満だらけ、とか。色々ありますね。
常日頃、言葉が立派であるヒトほど、それが起きた時、嘘が露呈する。
もちろん、私自身、じゃああんた完璧なのかよ!って言われたらごめんなさいデス(><)
全てに関して「いいかげん」なところも多々あり。
なんせ「ゆるい」のが好きなものだから。
けれども私は出来るかぎり、そうしたくないって思った、と言うお話なのでした。
ゆるいって言うのは、いいかげんじゃない。
「ゆうるり」と言う意味。
「メロウ」つまり「まろい」なんである。
私は「まろいまろい時間」が好きだから。
そこには嘘なんてあって欲しくないのかもしんない。
私はこれからも「まろい」時間を大切に生きようと思っている。
だから、今はこれから何をしようかなーと考え中。
何をするにしても、たくさんの方に自分の持っているものをシェアしていくことになるんだと思うけれど、それを仕事にするならば、特に嘘はつきたくないものだと思う。
心を大事に、相手を大事に、その間に嘘がないように。
私に関わる人が、みな、ハッピーに暮らせるように。
「善いかげん」のまろい時間を作っていきたいなあ、と思っています。