頼まれた子犬の奈々ちゃんのペットシッターに行ってきました。
帰って来たら、うちのぴーちゃんとその相棒のお兄ちゃんはお昼寝中(^^;)
その隙にPC作業。
今日はブログを書いたら頼まれもののシルクのまつり縫いをしたり、ご飯の準備をしたりする予定。
明日はオーダー貰ったフェルトボールを作る予定です(^^)
頼まれ物があるってほんと嬉しいものです。
さて来月で失業保険も切れることもあり、少しづつ新しい道の準備をしています。
まだ、何をどうするって言うのはないんですが、仕事ではないけど、フリーマーケットとか参加して見たいと思ってまして。
ぴーちゃんとお兄ちゃんは二人してベランダで、フリマに持ち込む道具を整理する、いろんなデザインの木箱など制作してくれてます。
そういうのが出来上がっていくのを見るのは、嬉し、楽しいもんですねー。
私のことなんで試行錯誤しすぎて、ノロノロ亀さんペースで準備してますが、何とかカタチにしていけるように地道に頑張っていきたいもんです(^^)
さて、Mシュナウザーの赤ちゃん「奈々ちゃん」のお世話をして一週間弱、赤子の成長はマヂで早い。
なんかあっという間に2倍くらいに膨らんだ気が・・・・(^^;)
それを考えるとあんまり大きくならないチワワって、ずっと変んない感じがするのはあたしだけでしょうか。
さてうちのお嬢様チワワのぴーちゃま。犬が嫌いらしいです(笑)
気にはなるのだが、寄って来られると死ぬほど怖いらしい。
奈々ちゃんの所にも何度も行って見たけれど、人懐っこく飛びまわる奈々ちゃんに顔を引きつらせつつ逃げ惑うお嬢様(そ、そんなに~^^;)
そして、気分ワルワルのお嬢様に聞いてみる。
(ぴーちゃんはかなりコトバを理解して、指を舐めることでイエスとノーの返事が出来ます)
「あのさあ、お姉ちゃんは好き?」「ぺろ(うん)」
「じゃ、お兄ちゃんは?」「ぺろ(好き)」
「じゃ、ななちゃんはー?」「・・・・・(しーん・・・・)」
「奈々ちゃん、嫌?」「(じーっと見つめる)・・・ぺろ(嫌)」
そっ、そおかああああああ~~~^^; やっぱりなあ。
ぴーちゃんは奈々ちゃんの面倒見て帰ってくると途端に不機嫌です(^^;)
最初は仲良くさせようと、奈々ちゃんの話をしていた相棒・お兄ちゃんでしたが…。
「奈々ちゃん」の話をすればするほど、どんどん元気がなくなっていくぴーちゃんを見て焦りだすほど。
そうなんです。ぴーちゃんは奈々ちゃんの存在に不安が高まってしまって。
自分だけ構ってもらおうと、隠れては探してもらおうとしたり、ご飯を食べなかったり、果てにはグッタリとなってしまい・・・。
まるで、下の子が出来て赤ちゃん返りしてしまったお姉ちゃんのようです。
もともとぴーちゃんは人間っぽい子ですが、ますます人間のお子ちゃまに見えてきました。
そんなぴーちゃんにしても、ななちゃんにしても、感情表現がとてもシンプル。
ココロに素直なんですね。喜びにしても不安にしても。
ココロの羅針盤とも言うべきものへの反応がストレートです。
そんな姿を見ていると羨ましくなります。
最近時間があったせいか、これからの自分がどういう風に居たいのか、こうしてブログに書いたりしてきました。
「こうありたい」と言う中で「嘘をつきたくない」って言うコトバが本当に一杯出てきて、自分でも驚くぐらいです。
こういうものを見たのだが(経験したのだが)、自分はそういう風にはしたくない、ってのも多いですよね。
なんでそこまで固執してそうなのかな~と思って、過去を振り返ってみると、なんだか行き着いた先、行きついた先で衝撃的な人や出来事に当たってるんですね。
出会ってる人はそれらの道ではみーんな有名な人ばかりで、本なんかもいっっぱい書いてたりするし、人に人格者として尊敬されている人が多いんですよ。
ところが、私、そういう人でほんっとに「いい人」には出会った経験がないのです。
アタクシ、コレでも愛をテーマに生きてますから、愛に溢れていると言う場所に出来るだけ赴いてゆくわけなのですが、その「愛の溢れてる」とこで統括している人や代表やってる人ほど愛からかけ離れていると言う状況ばっかりだったんです。
一言では言い表せないほど激しい状態だったりして(^^;)
なんて言うか、夢を語っているだけに、見えた現実は凄惨なものだったわけですね。
皆さん、見た目ややっている仕事だけで相手を捕らえてはいけませんよ~。
ほんんっとに尊敬出来うる方は少ないってのが現実だと思います。
特にお金に囚われた人は、怖いです。
あまりにもそういうのを見すぎて、きっと自分はそうなりたくないなーって思うようになったのかもしれません。
正直、これは大きなトラウマになってるんではないかと思います。
はっきり言って完全に人間不信になるくらいのギャップの在り様でした。
そういう経験の中で何が特に自分にとってダメだったかを考えてみると、「良心」と言うココロの羅針盤にちゃんと「だめなんだよー」と答えが現れていても、人のため、世のためと言いつつ、お金や地位など、その人自身の私欲を満たす方を選んでしまっているところだったと思います。
私欲を選ぶうちはまだいいけれど、私欲を満たす為にその善とも呼べる世界に居て、善なるコトバを笑顔で語ることにさらに拒否反応が。。。。
そして明らかに、そらーないだろー、とか思うことでも、
「前世からのカルマでこうなったからし方がないのだ」とかー、「こころの自由のままにあること」が大切であるとか自分が正しいと主張して譲らず、まわりがドンだけ迷惑したかも顧みず、、人を傷つけちゃったりが平気だったりとか~。
(アタシには明らかにそう思えたんです、ハイ)
その人が正しいって思ってる訳ですから、しょうがないとも言えるんですが・・・。
ただ、やっぱり子どもや周りに居る人が悲しんでる事実に直面すると。。。おいおい、あんたっ!って気持ちになるし、見てて悲しくなりますでしょ?
そーゆーのがほんとにダメだったんですね、きっと。
でもね、そういう人もね、最初からそうだったわけじゃないと思うんですよね。
大体において共同体や会社や仕事って言うのは、殆ど最初は夢を描きながら本当に小さなところから出発したりするものです。
一つのコロッケを何人もで分けて食べながらでも、相手の事を思いやりながら笑顔で頑張れちゃうから、やっていけるんだと思う。
けれど、問題はそこに「富」が関わってきたときなんだと思う。
今まで出会った人たちは、みんなそうやって善で富をなして、その富が出来たことで善性を手放してしまっている方ばかりでした。
ほおんと、お金って人を変えちゃうんだなあ、って思う位。
そのうち、お金が欲しいから、手段として、コトバや商品に善性をくっつけて売るようになってしまう。
使い道がわかったら、人を傷つけると解っていながら、自分の欲の為にお金を使い続けてしまったり。
でも、そうなった頃には、何が大切かはすっかりわかんなくなっているんだと思います。
だから、私は本当にお金を愛として生み出して、そして愛として使える人になりたいなあ、って思うんです。
とにかく見るもの聞くもの、言ってることとやってることのギャップがあんまりにも大きすぎちゃって受け入れられなかったのかも知れません。
それで、自分もかなりいい加減な奴なので、出来るだけ気をつけて暮らして行かねば!、って思うようになったんだと思います。
人間であるという事は、ぴーちゃん達の様に全てにまっさらに生きる事は難しい。
だけれども「良心」と言うココロの羅針盤の存在だけは大事にしたいと思います。
仲良しのステキなスピリチュアリスト祐美haha様(この方は本物・ご安心あれ^^)がよくブログやHPでおっしゃってるのですが、羅針盤が指す場所に困難があっても、結果的に「愛の一番ある方向に」向かって歩んでいく勇気を選べる様に祈りたいと思うのです。
帰って来たら、うちのぴーちゃんとその相棒のお兄ちゃんはお昼寝中(^^;)
その隙にPC作業。
今日はブログを書いたら頼まれもののシルクのまつり縫いをしたり、ご飯の準備をしたりする予定。
明日はオーダー貰ったフェルトボールを作る予定です(^^)
頼まれ物があるってほんと嬉しいものです。
さて来月で失業保険も切れることもあり、少しづつ新しい道の準備をしています。
まだ、何をどうするって言うのはないんですが、仕事ではないけど、フリーマーケットとか参加して見たいと思ってまして。
ぴーちゃんとお兄ちゃんは二人してベランダで、フリマに持ち込む道具を整理する、いろんなデザインの木箱など制作してくれてます。
そういうのが出来上がっていくのを見るのは、嬉し、楽しいもんですねー。
私のことなんで試行錯誤しすぎて、ノロノロ亀さんペースで準備してますが、何とかカタチにしていけるように地道に頑張っていきたいもんです(^^)
さて、Mシュナウザーの赤ちゃん「奈々ちゃん」のお世話をして一週間弱、赤子の成長はマヂで早い。
なんかあっという間に2倍くらいに膨らんだ気が・・・・(^^;)
それを考えるとあんまり大きくならないチワワって、ずっと変んない感じがするのはあたしだけでしょうか。
さてうちのお嬢様チワワのぴーちゃま。犬が嫌いらしいです(笑)
気にはなるのだが、寄って来られると死ぬほど怖いらしい。
奈々ちゃんの所にも何度も行って見たけれど、人懐っこく飛びまわる奈々ちゃんに顔を引きつらせつつ逃げ惑うお嬢様(そ、そんなに~^^;)
そして、気分ワルワルのお嬢様に聞いてみる。
(ぴーちゃんはかなりコトバを理解して、指を舐めることでイエスとノーの返事が出来ます)
「あのさあ、お姉ちゃんは好き?」「ぺろ(うん)」
「じゃ、お兄ちゃんは?」「ぺろ(好き)」
「じゃ、ななちゃんはー?」「・・・・・(しーん・・・・)」
「奈々ちゃん、嫌?」「(じーっと見つめる)・・・ぺろ(嫌)」
そっ、そおかああああああ~~~^^; やっぱりなあ。
ぴーちゃんは奈々ちゃんの面倒見て帰ってくると途端に不機嫌です(^^;)
最初は仲良くさせようと、奈々ちゃんの話をしていた相棒・お兄ちゃんでしたが…。
「奈々ちゃん」の話をすればするほど、どんどん元気がなくなっていくぴーちゃんを見て焦りだすほど。
そうなんです。ぴーちゃんは奈々ちゃんの存在に不安が高まってしまって。
自分だけ構ってもらおうと、隠れては探してもらおうとしたり、ご飯を食べなかったり、果てにはグッタリとなってしまい・・・。
まるで、下の子が出来て赤ちゃん返りしてしまったお姉ちゃんのようです。
もともとぴーちゃんは人間っぽい子ですが、ますます人間のお子ちゃまに見えてきました。
そんなぴーちゃんにしても、ななちゃんにしても、感情表現がとてもシンプル。
ココロに素直なんですね。喜びにしても不安にしても。
ココロの羅針盤とも言うべきものへの反応がストレートです。
そんな姿を見ていると羨ましくなります。
最近時間があったせいか、これからの自分がどういう風に居たいのか、こうしてブログに書いたりしてきました。
「こうありたい」と言う中で「嘘をつきたくない」って言うコトバが本当に一杯出てきて、自分でも驚くぐらいです。
こういうものを見たのだが(経験したのだが)、自分はそういう風にはしたくない、ってのも多いですよね。
なんでそこまで固執してそうなのかな~と思って、過去を振り返ってみると、なんだか行き着いた先、行きついた先で衝撃的な人や出来事に当たってるんですね。
出会ってる人はそれらの道ではみーんな有名な人ばかりで、本なんかもいっっぱい書いてたりするし、人に人格者として尊敬されている人が多いんですよ。
ところが、私、そういう人でほんっとに「いい人」には出会った経験がないのです。
アタクシ、コレでも愛をテーマに生きてますから、愛に溢れていると言う場所に出来るだけ赴いてゆくわけなのですが、その「愛の溢れてる」とこで統括している人や代表やってる人ほど愛からかけ離れていると言う状況ばっかりだったんです。
一言では言い表せないほど激しい状態だったりして(^^;)
なんて言うか、夢を語っているだけに、見えた現実は凄惨なものだったわけですね。
皆さん、見た目ややっている仕事だけで相手を捕らえてはいけませんよ~。
ほんんっとに尊敬出来うる方は少ないってのが現実だと思います。
特にお金に囚われた人は、怖いです。
あまりにもそういうのを見すぎて、きっと自分はそうなりたくないなーって思うようになったのかもしれません。
正直、これは大きなトラウマになってるんではないかと思います。
はっきり言って完全に人間不信になるくらいのギャップの在り様でした。
そういう経験の中で何が特に自分にとってダメだったかを考えてみると、「良心」と言うココロの羅針盤にちゃんと「だめなんだよー」と答えが現れていても、人のため、世のためと言いつつ、お金や地位など、その人自身の私欲を満たす方を選んでしまっているところだったと思います。
私欲を選ぶうちはまだいいけれど、私欲を満たす為にその善とも呼べる世界に居て、善なるコトバを笑顔で語ることにさらに拒否反応が。。。。
そして明らかに、そらーないだろー、とか思うことでも、
「前世からのカルマでこうなったからし方がないのだ」とかー、「こころの自由のままにあること」が大切であるとか自分が正しいと主張して譲らず、まわりがドンだけ迷惑したかも顧みず、、人を傷つけちゃったりが平気だったりとか~。
(アタシには明らかにそう思えたんです、ハイ)
その人が正しいって思ってる訳ですから、しょうがないとも言えるんですが・・・。
ただ、やっぱり子どもや周りに居る人が悲しんでる事実に直面すると。。。おいおい、あんたっ!って気持ちになるし、見てて悲しくなりますでしょ?
そーゆーのがほんとにダメだったんですね、きっと。
でもね、そういう人もね、最初からそうだったわけじゃないと思うんですよね。
大体において共同体や会社や仕事って言うのは、殆ど最初は夢を描きながら本当に小さなところから出発したりするものです。
一つのコロッケを何人もで分けて食べながらでも、相手の事を思いやりながら笑顔で頑張れちゃうから、やっていけるんだと思う。
けれど、問題はそこに「富」が関わってきたときなんだと思う。
今まで出会った人たちは、みんなそうやって善で富をなして、その富が出来たことで善性を手放してしまっている方ばかりでした。
ほおんと、お金って人を変えちゃうんだなあ、って思う位。
そのうち、お金が欲しいから、手段として、コトバや商品に善性をくっつけて売るようになってしまう。
使い道がわかったら、人を傷つけると解っていながら、自分の欲の為にお金を使い続けてしまったり。
でも、そうなった頃には、何が大切かはすっかりわかんなくなっているんだと思います。
だから、私は本当にお金を愛として生み出して、そして愛として使える人になりたいなあ、って思うんです。
とにかく見るもの聞くもの、言ってることとやってることのギャップがあんまりにも大きすぎちゃって受け入れられなかったのかも知れません。
それで、自分もかなりいい加減な奴なので、出来るだけ気をつけて暮らして行かねば!、って思うようになったんだと思います。
人間であるという事は、ぴーちゃん達の様に全てにまっさらに生きる事は難しい。
だけれども「良心」と言うココロの羅針盤の存在だけは大事にしたいと思います。
仲良しのステキなスピリチュアリスト祐美haha様(この方は本物・ご安心あれ^^)がよくブログやHPでおっしゃってるのですが、羅針盤が指す場所に困難があっても、結果的に「愛の一番ある方向に」向かって歩んでいく勇気を選べる様に祈りたいと思うのです。