三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

形から入る

2007年12月14日 06時43分00秒 | 古民家シリーズ

写真は宮城県白石市に残る武家屋敷の様子。
白石市って、明治になって新政府からいろいろいじめられて
この地に残ることができず、やむなく、北海道に活路を求めた藩。
で、北海道内で給付された土地は、
いまの札幌市白石区だったそうなんですね。
当時は、っていうか、昔は「白石村」。その後、白石町になって、
やがて札幌に編入され、町から区制施行で、区になった。
原札幌とは、豊平川を挟んで川向こうに位置していて、
当時を偲ぶよすがはあまり残ってはいませんが、
北海道の政治的な中心地との位置関係で言えば、利便性は高い。
きわめて初期に入植の決断を下したからか、
それとも、そこらへんは「政治的に交渉」したからなのか、比較的有利な土地に
入植できたものと思われます。
とはいえ、江戸期に軟弱化した士族たちが
刀を農具に変えて開拓農業に従事して未来を開いてきた。
そういう意味では、札幌と具体的に直接繋がる歴史性、
日本の母体を感じさせる存在ではあるわけです。
いまも、やはり言葉などで、かすかに文化的つながりを伝える部分もあります。

なんですが、さすがに武家屋敷、
この写真は玄関周囲を撮ったものなんですが、
左側の普通の、土間に至る玄関とは別に、
正面に低い高さの「にじり口」とでも言えるハレの玄関がありました。
左手の入り口高さと比べたらわかるとおり、
実に低く、小さな玄関なのですね。
入ってみようかな、とは思ったのですが、
どう考えてもひざまずかなければならなそうで、
ちょっと気持ち的に臆してしまい、断念いたしました。
この玄関は、藩の上級役職者がこの家を訪れるときに使用するそうです。
ここから入ると、そのまま上座に縁側から入れるのだそう。
それが、「格式」を表現していた、という次第。
このあたり、やや茶道の影響も感じられます。
色々な文化要素が、この身分性様式に動員されたのだと感じます。

江戸期の社会の基本は「身分制の維持」だったことから、
たとえば門にもいちいち格式で差別を作る、というような社会。
「形から入って」精神性を涵養する、という狙いだったのですね。
こういうことが実質的にどれほど意味があったかは論議があるところですが、
すこし窮屈とはいえ、精神性には大きな影響を与えてきたことと思われますね。
今現在でも、そのように解説が加えられなければ、
この写真の開口部がそういう意味合いを持っていた、
ということを、たとえば外国の方に伝えるのは至難の業。
まぁ、そのうち、伝達できない歴史的遺物装置になるしかないと思われます。
生活の自然的文化は伝わっていくけれど、
恣意的な権力の強制する様式って、伝わらないのではないでしょうかね。

コメント
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