勿来の関、と書いて「なこそのせき」、と読むんですが、
読めないですよね、一般的には。
まぁ、そういうことなんですが、
王朝期から平安期ころには盛んに日本史に登場する関所。
関東から奥州に向かうところにあるわけで、
「まつろわぬ」ひとびとと、王朝国家を隔てるための装置だったのですね。
いわば、国境線。
江戸期以降の近代化は、日本人から地方感覚、独立的感覚を奪ってきた歴史。
近代国家としての普遍性が一般化しましたが、
ちょっと歴史をさかのぼれば、日本には多くの「国家」感覚が存在した証だと思います。
ちょうど、藤原氏が奥州に派遣を樹立した頃には、
外ヶ浜から白河まで、里塚を建てたという時期とも重なる。
言葉は通じるけれど、違う国家が並立していたのでしょう。
だから、「征夷大将軍」というような役職が存在もしたのだと思います。
というようなことはさておき、
この勿来の関には、源義家の像が置かれています。
こういう人物がおかれているあたり、この地の歴史が伝わってきますが、
現代から見れば、やや遙かな感じがする。
でも、関東や東北各地には源氏の氏神といわれる「八幡神社」が多い。
源義家は八幡太郎という別名のような武名が高い武将。
対奥州国家への侵略者というのが実相のように思われるのだけれど、
英雄視されて伝わっているのは、その後の頼朝による全国制覇が預かっているのではないか。
そんな雑感が思い起こされるのですが、
やはり歴史の深さが直接的に伝わってくるような史跡です。
ただ、周辺は最近になってやや整備が進んできてはいますが、
資料館などもそれほどの奥行きはない、
やや残念な資料蓄積と感じられました。
しかし、白河の関と並ぶ、関東・奥羽の境の関所。
訪れることができて、うれしかったです。