三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

交易ルート・平泉の陶器

2008年06月29日 08時21分28秒 | 歴史探訪



きのうのブログの関連で、交易ルートのこと。
平泉の藤原氏居館跡地の発掘作業では大量の陶磁器が出土するとか。
多くは日常使いと言うよりは、今日で言えば弁当箱のような
「かわらけ」が主体なんだとか。
都市平泉は「接待」が主要な役割であったといわれています。
こういうこともわかってくるということで、古代世界の実情が迫ってくる部分ですね。

で、そうした陶器類は、ごらんのようなルートで運ばれたとのこと。
平泉には遠く中国からの陶器類も多かったそうです。
これは平泉という存在の富を物語るものでしょう。
そのほか、愛知県との交易ルートが主体。
たぶん、「舶来」の中国陶器もいったん愛知県に輸入されて、
そこから全国に流通していったものと思われます。
仙台などでは愛知県との経済的な結びつきを感じることがあるのですが、
歴史的にはこのような交易の世界があったのですね。
海を使っての交易の世界の広がりは
当時の経済活動をいろいろに想起させてくれます。
政治的には栄枯盛衰が繰り返されたでしょうが、
こういう交易の世界では、いったん流通が始まれば、
ひととモノの交流は、そうは絶えなかっただろうと思うのです。
平安末期の東北の人口推定は約60万人。
関東が160万人。東海地区が50万人程度。
<歴史人口学・鬼頭宏さんの資料より>
この船の交易ルートを見ると、こういう人口地域間の
さまざまなひととモノの流れや動き、というものを想像します。
船の交易は行きと帰り、ともに積み荷を満載しなければ割が合わない。
お互いの地域から、いろいろな産物が行き交ったのでしょう。
一枚の図ですが、実に多様な想像を起こさせてくれます。


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