北国に暮らしていく以上、暖房とは切っても切れない関係。
しかし、わたしが住宅関係のことを仕事にし始めてからでも
その変遷ぶりは大変に激しい。
日本の伝統的民家では、北東アジア全般に広がっていた
「オンドル」という、地中に排煙ダクトを作って動物の糞を乾燥させたような
燃料を燃焼させ、その煙で床暖房的な暖房を取る方式は存在していなかった。
北海道にいて、そのことがなぜなのか、
どうしても理解できない部分があります。
北方日本では活発な北東アジア世界との交流があったけれど、
こと暖房に関しては、こういう先進性導入の事実は見られない。
「オンドル」はそれだけ高度な煙道製作技術が必要であり、
そういった高度な技術者は、北方交易には興味がなかったのでしょうか。
それとも朝鮮や、バイカル湖周辺の民族と、アムール川河口周辺の
北方民族では、民族文化を異にしていたということなのか。
このテーマも、しっかり確認したいと思っている次第です。
今日まで残っている北方民族としてのアイヌの住居では
平地に炉を切って囲炉裏暖房するという形式。
当然調理熱源としても活用するので、年中炊き続けるということだったにせよ、
なんとも原始的な暖房方式だったと思わざるを得ない。
こうしたアイヌの住居より、それより前のオホーツク文化人などの住宅の方が
きちんと竪穴を掘って地中熱を活用する工夫が見られるだけ
むしろ、住宅性能は良かったのではないかと思われます。
アイヌ期以前の住居では、調理にはきちんと「かまど」を製作しています。
かまどというものも、日本文化との交流を物語っているのだそうです。
その後のアイヌの住居の調理は日本からの交易品であった
金属製の鍋だったので、自在鉤で簡単に調理ができる利便性があり、
竪穴を掘るというような面倒な作業をだんだん、敬遠していったものなのでしょうね。
長期的耐久性よりも簡便な住居建築方法に移っていったのでしょう。
明治の開拓は、ひたすら寒冷地北米の様式の輸入が計られた。
はじめて開拓総設計士としてのケプロンさんが北海道に来たときに
持ち込んだとされる「ストーブ」が導入されたのですね。
北海道での炭坑の発見もアメリカ人たちの技術で行われた記録があります。
大量に発掘された石炭は、暖房用燃料としてストーブに活用された。
発掘技術も未発達だったのか、周辺の河川では
石炭が大量に流失して、周辺の人たちはタダで利用していたそうです。
そうでなくても、石炭は越冬用の暖房熱源として
非常に安価に北海道民に提供されていました。
各戸には「石炭庫」という外部物置が設置されていて、
無造作に石炭が貯蔵されていましたが、
特段、「石炭泥棒」というような被害は記憶にありません。
たぶん、それくらい安価に提供されていたと言えるでしょう。
北海道人の冬の暖房の強烈さ、家の中での冬場のビール消費量が全国一だという
統計に表れる北海道気質は、
こういった格安な燃料代がなせるものだったとも言えるかも知れませんね(笑)。
どうもこのテーマ、いろいろありそうなので、
また明日以降も触れたいと思います。
新年早々、さっそく連載ブログテーマ、スタートという次第です。
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