そろそろ木枯らしのようになってきた北海道の名残の紅葉。
きのうは朝早くのドタバタもありましたが、無事に函館・香雪園に遊ぶことができました。
よく「京都嵐山の紅葉にも負けない」というようにいわれるスポット。
わたしは、ごく自然で素朴な黄色や薄い紅葉でも大好きなんですが、
カミさんは「いや、違うっしょ、紅葉は真っ赤じゃなきゃ」という派。
どうもハッキリ白黒を付けたいようなのですね(笑)。
そんなモミジの真紅を求めての遠出であります。
この香雪園については何回かブログで紹介してきました。
函館の経済がはなやかだった時期の先端ファッション業・京呉服商さんが、
京都の庭師たちを招いて贅を尽くした庭園で北海道で稀有な花鳥風月文化。
京都的美意識こそが江戸〜明治期までの先端ファッションであり、
その精緻は花鳥風月的感受性にあったのでしょう。
北海道で花鳥風月的感受性は、たとえば建築については
そこに建てられた数寄屋造り建築は、そのままの繊細さでは通じにくいけれど、
その美意識について、大きくは異論はなかったのだと思います。
そういった京の美意識を「伝える」目的でこうした庭園を造営したのでしょう。
わたしたちは大好きでちょこちょこと訪れるのですが、
紅葉シーズンはなかなか来られる機会がなかったのです。
今回は香雪園のHPを確認して、ちょうどいい季節に出掛けられた次第。
で、写真のような真紅の饗宴があちこちで炸裂。
日本人として、こういう花鳥風月的心象で受け止める色彩感覚は無条件にいい。
カミさんの様子を見ていると、まさに桃源郷をさまよう旅人(笑)。
わたしは植物についてあんまり知識はありませんが、
やはり樹種の選定や、その育成の仕方、
管理や手入れによって、モミジというのもまったく違う色合いを見せるのか?
あきらかに自然状態のモミジ種とは違った輝きを感じる。
京都嵐山というような京文化では、こういった植物管理テクノロジーにおいて
人類最高レベルの進化を遂げてきたと言えるのでしょうか。
最近は日本の「盆栽」文化が海外で受容されはじめているということですが、
もうすこし勉強しなければと思い至った次第であります。
そういえば、北海道ではこうしたランドスケープデザインはまだ未発達。
庭をつくる文化に乏しく、敷地内空地は冬の物理的堆雪スペースとしてしか
認識されてこなかった部分があろうかと思います。
まぁ堆雪の結果、繊細な樹木管理ができにくくなるのはやむを得ないのですが。
日本の住宅は、こうした「庭や植栽」との「交歓性」が重要なファクターだった。
温暖地の建築家は「視界透過率」を重視し低レベルな単板ガラスを上位とする傾向。
そこに高性能な3重ガラスが介在したとしても、この民族的花鳥風月交歓性を
どう高断熱高気密的に受容していくべきなのか、
日本の住文化発展には欠かせない視点なのだろうと思います。
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