
きのうの続きであります。
時間がなかったので、きのう書き切れなかったテーマがあるのです。
よく、観光として北海道に来るひとのイメージを考えたら、
大自然のど真ん中に「到着する」駅がふさわしいのではないか、
という意見に接することがあります。
ごみごみとした喧噪を離れて、雄大な自然景観に飛び込んでいくみたいな、
そんなイメージを大切にしていくべきだ、という意見。
たぶんそれは北海道以外の地域から北海道の魅力を捉えた外的な意見。
地元北海道の人間からすれば、そうではなく、
「なにもない」ことから脱却したいという願望の方に力点があるかもしれない。
この旭川の駅舎設計において採択されたコンセプトについて、
そういった部分が相当に実現されているように思った。
もともと旭川駅の立地は忠別川の河畔に面していて、
市内に多数の川が流れている旭川らしい環境にあった。
本州地域の都市形成では、人口密集からこうした利便性土地利用は、
その極限まで追究されて、河畔敷地も徹底的に「有効利用」される。
そこに歴史時間も蓄積して、独特の都市景観が形成される。
しかし、北海道の場合、このような河畔敷地が未利用のままで
21世紀の今日まで存続されてきた。
設計にあたった、内藤廣さんはこのポイントを最大化させる設計を行った。
駅の南側の忠別川河畔を、北海道らしい大自然空間として
パノラマビューを最大の「お迎え」のごちそうに仕立てた。
いわば北海道の大自然そのものが来訪者を迎えるように設計した。
一方で北側の買い物公園に隣接するエリアは、都市性の感じられる切り口。
ちょうど駅舎がその中間を仕切るカタチにした。
価値感の二面性がそこに感じられるのですね。
建築というのは、こういう「境界性」を映し出す装置であると考えると
この駅舎はやはり、北海道でも有数の面白さを持った建築ですね。
日本の北端に近いこの駅は、日本人の感受性の現代の表現でもある。
たぶん内藤さんは、この敷地条件を見て楽しかったに違いない。
東京の設計者が東京では望んでもあり得ない条件があったのだろうと。
そのようにこの建築のポイントを考えたら、
まだまだ忠別川河畔の魅力のコントラストがイマイチではないか。
設計の意図は明瞭だけれど、その魅力を感受する装置がやや力不足。
相手は大自然なので、なかなか箱庭的にはなってくれないし、
装置化にはコストの制約もあることは明白ですが、
もう少しなにか、作戦があったのではないかと思い続けています。
う〜ん、なんかないものだろうか?